9話:バブル崩壊と米国テロ
そして2000年を迎えると、豪ドル円が1豪ドル70円を切り、下げ足を速めてきた。夏が過ぎて、秋、10月になり、1豪ドル56円を切ったのを見て1豪ドル55.5円で400万豪ドル買い指値をいれると、2000年10月19日に全部、約定し、22600万円で400万豪ドル買え、残金が7.7億円となった。そして200万豪ドルを5年定期で7%、残りの200万豪ドルを10年定期・8%で運用することにオーストラリアの銀行に預けた。その後2001年頃から、日本のネットバブルが音と立てて崩れ落ち、光通信、ソフトバンクなどストップ安で連日、株価がつかない日が続き、株価が半分、1/3になる銘柄まで出てきて、バブル崩壊の様相を呈してきた。
沢村広尾は嫌な予感してならなかったが、その予感が奇しくも的中し2001年9月11日、ニューヨークのワールドレードセンターに、ハイジャックされた大型旅客機が激突して、ワールドトレードセンター南ビルが、崩れ落ちるという想像を絶する事態が起き、世界中を震撼させた。このテロ攻撃による死者は合計で2763人だった。その内訳は、事件当時WTCに居た民間人が2192人、消防士が343人、警察官が71人、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が147人、ハイジャック犯のテロリストが10人となっていた。9月11日以降の米国株は、取引再開後、株価は大きく値下がりし一時テロ発生前と比べて15%近く下落した。
またリスク回避の円高が進んだが株価は取引再開後5営業日目に底を打ち、回復基調となった。そして事件から約2ヶ月後の11月9日にはテロ発生前の株価を回復、年末にかけてさらに上昇した。これを見て、沢村広尾は、胸をなでおろした。その後、相場から離れて、一休みしようと思い、2001年10月から家族全員で、日本全国の温泉を巡ろうと考え、最初に、九州の鹿児島に飛び、指宿温泉に行き、名物の砂ブシ風呂を体験した。沢村貞江が一番喜んで、気持ちいいよとご機嫌だった。カツオのたたきや、おいしい料理を食べたが、やっぱり、和牛ステーキとしゃぶしゃぶの方が人気が高かった。翌日は、鹿児島駅に移動して、桜島見物をして、夜の天文館で、名物のさつま揚げや地元の芋焼酎を飲んだが、2軒目の店では、ワインやスコッチウイスキーを飲んだりして楽しんで、ホテルに戻り床についた。
翌日は、朝8時にホテルを出て、鹿児島から9時前の特急電車で大分県の別府温泉に向かい、途中で2回ほど乗換で午後15時に別府駅に到着した。駅からタクシーで海沿いの温泉ホテルに到着し、屋上の露天風呂から見える、海の景色を堪能した。温泉から出て、部屋で休み、夜18時半に料理が部屋に運ばれて夕食を取り、20時には、またホテル内の温泉につかり22時には、床についた。翌日は、9時にホテルを出て、別府駅から特急で、博多に昼前について、駅近くのステーキ屋で昼食を取って駅ビルの店を散策し、14時にタクシーで海辺の日航ホテルに向かい、チェックインした。