8話:バブル後遺症とネットバブル
1995年から長女の沢村百合はソニーUSAからソニー本社に配属されて父の家の1部屋を借りて生活するようになり祖母の沢村貞江76歳は大喜びし沢村家は5人家族になった。しかし、大きな家で各自、1部屋を持て、大きなリビングとダイニングがあり、全く不自由なことはなかった。日本経済は、バブル崩壊後、多額の借金だけが残った不安感と1997年の消費税引き上げも重なり、人々はあまりモノを買わなくなり、個人消費は落ち込んだ。企業の経営は悪化し、不良債権を抱えた企業の中には、銀行などに借金が返せなくなって倒産する会社や、失業者が増えていった。そのため、多くの会社はリストラをやらざるを得なくなった。
リストラとは、リストラクチャリング「企業の再構築」のことで、経営の建て直しという意味である。新規卒業者の就職難やリストラによる中高年層の失業が増加し、不景気は長期化した。こうして、日本経済は、1997年から平成不況と呼ばれる長い不景気の時代に入っていく。1997年度の経済成長率は-0.7%、1998年度は-1.9%と2年連続マイナス成長を記録した。物価は、1990年代後半にデフレーションが発生し、長期にわたり下落した。完全失業率は、1990年代から景気の拡張期でも上昇傾向にあり、1995年に3%を超えた。その後、日本企業で唯一、高い評価を与えていたソニー株を買おうと考えた。
そして、家族の名義の口座を利用して、その間、沢村広尾は、日本企業で唯一、高い評価を与えていたソニー株を家族の名義の口座を利用して、1995年6月に3760円で3万株を11280万円で買い、残金が7870万円となった。その後、1997年8月、ソニー株を成行で3万株売り12000円で売れ、税引き後利益が30800万円となり残金が38670万円となった。再び1998年11月にソニー株を成行で4万株買うと1株7500円、4万株を3億円で買え、残金が8670万円となった。1999年12月28日、全株を成行で売ると30300円で売れ、税引き後利益が10.2億円となり残金が11億円となった。
この株の投資を見て、長男の良一は、父・沢村広尾のすごさを、まざまざと見せつけられた。そして、これだけの金額になると、日本株投資は、難しいから外貨投資に切り替えるつもりだと説明した。すると、良一が具体的に外貨は何を考えてるのかと聞くと、高金利通貨の外貨変動での売買利益と高金利を利用した定期預金の2本立ててで行くと説明した。良一が、なる程ねと言ったが父は、外貨投資の本数数冊、貸し、これを読んで1ヶ月後、私に説明しろと命じた。ちぇ厳しいなと言うと、「この程度の事はプロの世界では、簡単な入門編だと笑いながら言った」。