7話:バブルと崩壊の過程
日本では、1986年11月から1990年中頃まで平成景気と呼ばれる好景気が続いたが、これが、バブル経済の時期であった。 バブルとは、経済が実力以上に泡・バブルのようにふくらんだ状態をいう。日本の土地や株は本来の価値とかけはなれた価格まで上昇し「資産インフレ」、個人や企業が持つ資産の価値が始まった。人々は高級ブランド品、大型乗用車、ゴルフ会員権、絵画、リゾートマンションなどを買いあさった。 しかし、卸売物価や消費者物価は安定していた。その理由は、円高による輸入品の値下がりが影響しているからだ。1980年代後半の消費者物価指数は年間5%以下の上昇で推移していた。
しかしバブルはいつまでも膨れつづける訳ではない。いつかははじける不動産融資総量規制と、湾岸戦争にともなう輸入原油価格の上昇からインフレになることを心配した日本銀行は、公定歩合を引き上げた。その結果、銀行からお金を借りて土地や株を買う人が少なくなり、株安と地価の下落を生む。1990年2月、株価は暴落する。地価の動向をみると1991年3月を境に下がっている。一度、株が下がると、多くの人が、このまま株が下がり続けたら、もっと大きな損をしてしまうと考えるようになり、心配した人は、早めに株を売った。
その結果、さらに株価は下がった。つまり、バブル崩壊が起きた。1989年12月から1992年8月までの株価の低下率は63.3%に達した。1991年3月から1993年10月まで、バブル崩壊による不況は続いたが、実質経済成長率は、1991年度が2.5%、1992年度が
0.4%、1993年度が0.4%で、-にはならなかった。バブル崩壊後、企業はリストラと海外生産・海外進出によって不況乗り切りを図り、実質経済成長率も1995年度は2.8%、1996年度は3.2%と回復傾向にあったが、それは、まだ完全な回復ではなかった。1993年から政府は 「 景気てこ入れ政策 」 として公共投資を行ったが、景気回復効果は
なかった。
長期の不況は税収を減少させ、公共事業の増大は赤字財政を引き起こし、大量の赤字国債を発行することになった。日本経済の低迷は先進国の中でも際だち、1990年代は 「 失われた10年 」 といわれるようになった。バブルの崩壊は、金融機関からお金を借りて株や土地に投資した企業や個人に多額の損失をもたらした。
銀行から資金を借りてまで投資した企業や個人は借金の返済を迫られるが担保としていた自分の所有する土地や株を売ってもバブル崩壊で価格が下がっているので
「10億の土地が5億になったら、売ってもお金が作れない・・・」、
返済するための資金にならない。銀行に借金が返せなくなる。銀行からみれば回収できなくなったお金、これが不良債権である。積極的に融資を行っていた金融機関の多くは、貸し出し先が倒産したり経営悪化に陥り、お金を返してもらえなくなりして、巨額の不良債権を抱え込んだ。バブル崩壊は、地価や株価の下落を引き起こしただけではない。