22話:金融型クラウドファンディングの終了
その後、2012年4月から毎月5千万円ずつ、東日本大震災の寄付の窓口の大手インターネット企業に振り込み始めた。その後、2012年の年末までに4億円を振り込んだ。やがて2012年12月24日になり、恒例になったクリスマスパーティーを沢村家で盛大に開き、いつものように、刺身、中華料理、ステーキなど多くの料理を用意して、乾杯して、カラオケを始めて楽しんだ。 そして、今年の話題の話になり、あなたの会社で、東北大震災の募金活動に協力しているのですねと言われ、インターネットでみて、私も100万円寄付して、あなたの会社が50万円を足してくれるんですよねと言うので、その通りだと言うと、それは素晴らしいアイディアです。
企業としても素晴らしい宣伝効果になるはずですと言った。確かに、この話の後、投資信託を買いたいと言う人や投資相談の案件が増えて、良一は遅くまで忙しそうに働き、会社の利益も昨年の70%アップだと話していた。しかし、魚屋の大将の淀川貞一さんがインターネットできちんと見てもらっていたのに沢村広尾は感激した。すると淀川貞一さんが、私も実家が貧乏漁師の家で物心ついたときに、家で雨漏りするのは当たり前で持っている所に道ばたで、ひろってきた大きな空き缶を置いたといい、自分達の家だと思っていたのは使い古した漁師小屋だったのです。
いつも近くの公民館で水を飲んで、トイレを利用するのは当たり前だと思って育ったんですと笑いながら言った。だから、朝4時に起きて、早朝の魚市場に行って重い魚を運んでも苦になりませんと静かに言ったを聞いて、沢村広尾は、涙を流すのを見て淀川さんが、うちの娘は、本当に素晴らしい方々の家に嫁いで幸せですと沢村広尾の手を握り返した。そうて沢村広尾は、日本酒を飲んで、淀川さんと肩を組んで、日本の演歌を熱唱し、22時過ぎに、お開きになって、床に入って寝た。翌朝、いつものように淀川夫妻は、早朝に帰って行った。そして2013年になり、振り込み
を継続し、年末に6億円、合計10億円を送金した。
そろそろ、沢村産業の資金が厳しく。2013年の年末までは厳しいかも知れないと、沢村良一が言ったので、父の沢村広尾が、その時は、MB銀行から10億円の融資を受けろと指示した。そんな2013年12月19日の朝、ソフトバンク株を成り行きで全株売りを入れると、売れ、税引き後純利益が76000万円となり、残金が121300万円となった。その後、沢村産業に6億円を送金し沢村広尾の残金が61300万円となった。これで、沢村産業の資金で募金の残金を全額返す事ができるようになったので、直ぐに全額を募金するように指示し、送金を終了した。そして沢村産業から沢村広尾が38700万円を戻してもらい、沢村広尾の残金が10億円に回復し、2013年が募金が終了した。