13話:母の遺書
母の初7日が終わった頃、母の部屋を整理すると、戸棚の遺書が見つかった。そして、6点のダイヤモンドを含む宝石が見つかった。その他、預金通帳が3冊見つかった。そして、遺書と書いて封筒が入っていた。開いてみると、最初に、愛する子供達へと書いてあり、もし、万が一、急に私が具合が悪くなった時、ここに、私の遺産の処理方法を書いておきますと書いてあり、長男の広尾へとの書き出しで始まり、お前は、アメリカで生まれ、その後、イギリスで勉強して、日本に帰って来るという苦しい経験をさせて、ごめんねと書いてあった。
それを読んでいると、息につまって、涙が吹き出て、読めなくなり、奥さんに代読してもらった。私たちの、お金は、あなたの祖母の沢村絹子が苦労の末、稼いだ、お金だと前置きして、花魁だった頃の話と、船成金で有名な内田信也さんが、私の父、あなたの祖父だと書いてあった。その後、鬼怒川温泉の山深い山荘で長い隠遁生活をして、終戦の年の1945年に結核にかかり、最後は、山奥の炭小屋に、たった1人で住んでいたと書いてあり、
それを読んでいた、奥さんも涙声になって、読めなくなった。残したお金を換金したとかいてあった。母は、松竹にスカウトされで映画デビューして、戦前にアメリカの映画監督が日本に来ていたとき、アメリカの映画に出てみないかと誘われ、アメリカにわたり、ハリウッドデビューしたが、離婚問題が起きて、別れた。その後、ハリウッドのプロデューサーと結婚したが、実質的な結婚生活は
短く、その間に生まれたのが、あなたです。その頃、日本とアメリカとの関係は悪化の一途をたどり、あなたをイギリスの学校に留学させたと書いてあった。
そして、最後に、長い間ありがとう、私の遺産は、全部あなた、沢村広尾に任せますので、子や孫のために使って下さいと書いてあった。3冊の預金通帳の残金は6千万円であった。宝石類は全て母の形見として残すことに決めた。その後、油壺の老人ホーム方、入居後2年でなくなったので、入所預かり金5千万円は前金返却しますと言われ、送金先をファックスで知らせ欲しいと言われ情報を送った。これによって、母の遺産として1.1億円が入り、沢村広尾の資産が7.5億円となった。
この母の遺言書により、沢村広尾は自分の出生の秘密や、祖母、祖父の事など、全く謎だったことが一気にわかり安心した。しかし、この事は子供達には、内緒にして、今後必要なときに使おうと考えた。その頃、沢村良一は、自分の会社の秘書に雇った淀川君子さんと仲良くなり、2006年6月22日に子供が生まれる事を、祖母の葬式などで言えずにいた。しかし頃合をはかって両親に話した。それを聞いて大喜びし直ぐに、この家に連れてきなさいと言い、2006年4月2日に淀川君子さんを連れてきて、挨拶をした。
良かったら、ここに引っ越してきなさいと、母が言うと、淀川君子さんが、良いのですかと聞くので、もちろんですよ、我が家の子孫である子を拒むわけないでしょと笑いながら話した。元気で良い子を産んで欲しいから、身の回りのことを面倒見て上げるわよと言うと、その優しい話を聞いて、淀川君子さんは、母に抱き付いて、泣きながら、ありがとうございますと言った。父の沢村広尾が、なんでもっと早く言わないのだと良一に言うと、母の老人ホームのこと、葬式のことが重なり、言いそびれたと言った。まー良い、おめでとうと言い、後は、私たちに任せなさいと言った。