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未定  作者: 靄霧霞
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未定

 十字教は朝も早くから教書の唱和を始めている。

 彼ら十字の僧侶は街の広場を陣取り、歌い、光輝示す唯一の神を賛美し、次いではこの街と人々に恩寵を乞うているのだ。

 その作法は厳格だ。日も明けぬ5時より、そうすることを定められている。


「――0507。定刻より7分ばかり遅いです。彼らの神はそれを怒りはしないのですか?」

「さあね。そもそも協定世界時なんざ神さまが知っておられるのかどうか」


 筋肉痛に顔をしかめながら、えっちらおっちら、住所不定無職の男が寝返りをうつ。


「アンノン。寝てろ。俺もまだまだ寝たいんだ……」

「私に睡眠機能はありませんってば」

「じゃあ、黙っててくれ……」


 それきり、男は寝台上でいびきをかき始めて。

 問いかけを発した、アンノンもまたしゃべるのをやめた。





「おおさわぎ、だったんだから」


 結局、寝ていた男が、筋肉痛にひきつる体をなだめながら身を起こし、朝食を求めて宿の食堂へ降りてきたのは、太陽が中天から少し降りた正午後のことだった。


「僧侶さんがた。争っちゃってさ。けが人まで出ちゃって。なのに、いまごろ起きてくるなんて」

「いつものあれかい? 十字教徒と円教徒の」

「そう言っちゃうと身も蓋もないけど」


 言いながら、くず野菜と豆の(もう冷めてしまった)炒めものと、(これまた焼き立てとはほど遠い)黒パンを、宿の女将は手際よく男の前に並べた。


「もともと、仲が良いわけもない」

「でも同じ神さまなのに」

「そりゃあ。……兄弟だって喧嘩はするさ」

「どちらの僧侶さんも、『家族は仲良く』って説教してた気がするんだけどねぇ……」

「……スープはまだかい? おかみさん」


 コップに注がれた安酒にパンを浸しながら男が言う。


「干し肉は両方だね?」

「ああ、どっちもだ」





「イーサー。今日の予定は?」

「……ベッドでごろごろ」

「今日も、ですか」

「こないだは働いたじゃないか。働きすぎで、筋肉痛なんだ」

「警告、報酬が滞在費に見合いません。このままだと数日後には宿屋から追い出されます」


 イーサーと呼ばれたその無職の男は、護身用の長剣を抱えつつ、ベッドで頭をかいた。ばらばらと白いものが散らばっていく。


「まぁ私はそれでも困りませんが」

「アンノン。そりゃあお前は困らんだろうが……そんな言い方、ないだろう……」

「だったら働いてください」

「……いざとなったら質に入れるさ」

「なにをですか。なけなしの外套ですか。使い古したブーツですか。着たきりであちこちほつれている一張羅ですか。なんとか使えそうだけど実際は壊れている聖職用の道具ですか。たまにさえ手入れされないからドロドロのグズグズになっている雑嚢ですか」

「さしあたっては、口うるさい古女房ドノかな」

「イーサー。……そんな言い方」


 それきり沈黙が続いた。

 しばらくちびちびと瓶入りの蒸留酒をやっていたイーサーだが、おしゃべりな相棒が責めるように黙っていることを耐えられず、ふけまみれの頭をおおげさにかき、ため息まじりに呟いた。


「悪かった。売らん。売らんから。機嫌を直しておくれ」

「だったら働いてください」


 即座に放たれた、したり顔から出てきた(ような)その言葉に、イーサーはみっともなく舌打ちをする。


「腰が……痛くて」

「……ああ」


 また沈黙が続いた。残念な感じのそれが。





 人体構造を考えればわかるが、腰が痛いとはつまり、全身の活動に不具が生じるということだ。

 体のどの部位も、腰の筋骨を無視して動かすのは難しい。あまり関わりがないような場所でも、腰の絶妙な調整の恩恵を受けていたりする。

 イーサーは腰が痛かった。

 仕方がない。彼はもはや中年男性なのだから。

 彼の体はかなり悲しいことになっている。力をちょいとでも込めれば、その部位がすぐに、ぐぎっ。……といく。かといって、力を込めずに生きるのも難しいわけで。また、そうしてみたところ、なんとまぁ、色男でもなんでもないけど力なんてなかりけり、といったぐあいになる。

 さて、では、金はどうか。

 ない。

 イーサーは無職である。定期的な収入などなにもない。

 ついでに言えば容姿も端麗でない。強いていえば足は長ぐできているが、ついでになぜか腕も長いせいでどうにも姿はシュッとできない。顔は……まぁ一時間ぐらいの悪夢なら醒ますことができるかもしれない。


 仕方がないので、アンノンは黙っていた。

 腰が多少は良くなるまで、イーサーは動けない。それはもうどうしようもないのだと、諦めたのだ。


 実際、そこから一週間。

 イーサーは宿から出られなかった。

 女将から宿代をせびられて、仕方なく、外套を渡した。

 外套を渡したということ、つまりは、彼らはこの街から旅立てなくなった。

 アンノンは密かに覚悟した。自分も質に入れられることを。泣けるものなら泣きたくなったが。





 ある日のことである。

 女将の冷たい視線にもめげず、食堂で、腰をさすりさすり黒パンをかじっていたイーサー。

 そこへ、鎧の音をがちゃつかせながら現れた者がいた。








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