第四話
五十嵐の背中が見えた。彼が見据える先に上級生が数人。勝てそうにないな。私は五十嵐の隣にたどり着いて横目で怪我の様子を見た。
「血が出てる…」
唇を切ってしまったようだ。
「かすり傷だ、こんなの」
嘘だ。痛そうな顔をしているのがバレバレ。こんなに弱った五十嵐を見たのは初めてで、事の重大さがジワジワと染みてくる。私は彼に提案をしてみた。
「一時休戦しない?」
「おー、珍しく良いこと言うじゃん」
「やる?」
私の質問に五十嵐は右手の親指を立てて見せた。ソレを見た瞬間、ブルブルと私の中で何か沸き立つものがあった。
「校長先生にも、また会うって約束したしな!」
「だね!」
自分より一回りも身体が大きな上級生なんか怖くない。私一人だけだと逃げ出していたかもしれない。いや、休戦して共闘する今も逃げてしまいたい気持ちはある。正直、怖い。けど、やっぱり怖くない。意味わからないと思うけど、五十嵐と一緒なら怖いけど怖くないんだ。
一方的に殴られたけど思いっきり重たい一撃を顔面に与えることができた。ざまあみろ。
それから数分もしないうちに先生たちに全員捕まって、二人の初めての共闘は幕を下ろした。
こうして私達は“問題児”のレッテルを付けられた。でも私は誇り高い勲章のように胸に飾って、数日間の自宅謹慎を受け入れた。もちろん、おばぁちゃんから長い説教があり、おじいちゃんのありがたい言葉を聞かなくちゃいけない。私はすっかりクタクタになってしまった。
そして、謹慎中は心配したクラスの女子数名が以前登校拒否していた時のように家にやって来た。菜乃花ちゃんが涙目で怒り出したときは流石に反省しようと思えた。ごめんね。多分もうしないよ。
「それで、斗真のヤツが私のこと“大森”って呼ぶようになったんだよ。おかしいでしょ?」
「そうね。普通は呼び捨てはしないよね」
「だよね!お姉さんも斗真のことバカだと思うよね?」
「うーん、実際に会ったことないからなんとも言えないけど…」
チクッ
「痛っ……ちょっと!刺すなら言ってよ!」
私の左腕に、検診のための採血の注射するよ、の一言もなくお姉さんは刺した。
今日は健診の日。私は生まれた時からこの病院に定期的に通っている。そこで会う、いつもラブラブな先生とお姉さんの顔も見慣れてしまって、家族のような不思議な関係である。桜と薫の二人にも何か関係しているのだろう。まあ、聞きたくもないし知りたくもないけど。
「で、学校では他に何かあった?」
お姉さんが優しく尋ねる。お世辞にも似合っているとは言えない髪留めを必ずしているお姉さん。見た目は無口でクールなイメージなのに髪留めは少女がするような可愛いものだったりする。こんなにキレイな人なのにオシャレのセンスがないのだろうか。
「それより、お姉さん」
「ん?なぁに?」
「その髪留め、自分で選んでるの?」
と、そこまで言ったところでガチャりとドアが開いて先生が見えた。お姉さんは私の身体は問題ないことを先生に告げる。大人たちが私のことについて難しい話をしているのを聞くのはとても耐え難い。どうしてか謝罪したくなる気持ちが出てくる。
ワタシ ハ イキテテ イイノデスカ?
ポン、と頭を撫でる手があった。
「…先生」
「今日もよく頑張ったね。ありがとう」
「………」
ありがとう、を言われると私はパチパチと瞼を閉じるだけの人形になる。喉の奥から「そんなことないです」という言葉がこぼれ落ちてしまいそうだ。
私が固まっていると先生は苦笑いしてから、もう一度お礼の言葉を口にした。(本当は私が言わなければいけないのに…)私が黙ったままでいると先生は、お姉さんの方を見て「おや?」と子首を傾げた。
「…?何か?」
と、お姉さん。先生がスッと自然な動きで近付いていく数秒間。先生の手が髪留めに伸びていく。それはまるで映画のように美しかった。子供の私が見てはいけないものを見ているような心地になって少し顔が熱くなっていく。
「…これでよし、っと」
指先で髪を少し掻き分けた先生はポンポンと、私にしたみたいに、お姉さんの頭を撫でたのだ。
「あ、ありがとうございます…」
ほんのり紅い。こんなに照れているお姉さんは初めて見たかもしれない。おそらくだがアノ髪留めは先生からのプレゼントだと思った。
あーあ、私もラブラブしたいなぁ。不意にアイツの顔が頭を過っていった。私は反射的にブンブンと手を振って消した。ないない!あり得ない!アイツに頭撫でてもらったら、とか想像してなないから!
次の診察の日、私はニヤニヤしながらお姉さんに小袋を渡した。
「ありがとう!開けてもいい?」
「どうぞ」
ビリっと破いて中から出てきたのは落ち着いた青色の髪留め。チョコンと手の平の上で座っているソレを二人で見ながら微笑んだ。
「ねぇ、さっそく付けてみてよ」
「うん」
ガチャリと先生が入ってきたら黙っていられなかった。
「先生!先生!見て見て!」
お姉さんよりも先に言ってしまう。クルリと振り返ったお姉さんを見た時の先生は一瞬固まってしまった。どうだ?どうだ?
「凄く似合っているでしょう?」
「あ、あぁ…そうだね…」
「コッチの方が良いよね?前のなんて全然似合ってなかったもん」
ねぇ?お姉さん、と相槌を求めると「そうだね」と期待通りの反応を返してくれた。先生はガックリと肩を落としている。ざまぁみやがれ。
窓から見える、さんさんと輝く太陽がゲラゲラ笑っているように見えた。そして私は、今日はいい天気だと子供らしい感想を浮かべたのだった。
お姉さん「余ったこの髪留めは舞ちゃんが付けてみる?」
舞「え…?」
先生「おぉ!それはいい。きっと似合うよ」
舞「(そんなカワイイのなんて付けたくない!!)」
先生 お姉さん「「こっちおいで〜」」
舞「た、助けてくれーーー!!」




