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刀を青眼に構えたまま、深呼吸を繰り返す。精神統一。刀を振り上げ、袈裟斬り。刃の通る手応えを感じながら、切っ先を返し、先の刃筋の僅かに上を斬り上げるように薙ぐ。再度返し、水平に斬り払う。残心。
納刀と同時に、3分割された巻藁が床に落ちた。大きく息を吐く。高校生活最後の夏休みにして、ようやく成功した。
「見たか! ジジイ!」
驚愕しているであろうジジイを見ようと振り返った瞬間、視界が光に染まった。あまりの眩しさに目を閉じたが、それでも足りず、両目を腕で覆う。
「ジジイ! 大丈夫か!?」
返事はない。身動きも取れず、しばらくその場に立ったままいる。光はどうやら収まったようなので、腕を下ろし、目を開く。
映る景色は一変していた。道場にいたはずが、レンガ造りの小さな部屋にいる。すぐ眼の前に一人の少女が立っていた。俺より幾つか年少のようで、背丈は俺の胸までもない。年相応の愛らしさがありつつも整った顔立ちで、腰まで真っ直ぐに垂れた髪は金色に輝いている。しかし、何よりもその服装が目を引く。やたらに高さのある黒い三角帽子を被り、長く黒いローブが全身を覆い、ご丁寧に手袋の先、ブーツの先まで真っ黒い。手には先端が渦巻くような形状の木の杖を持っている。童話の魔女のようだ。少なくとも平時の日本にこの格好で出歩く勇者はなかなかいないだろう。
魔女っ子は微動だにせずこちらを見ていたが、俺が声を掛けようとすると、慌てたように何かを言った。その言葉は日本語ではなく、英語でもないようだ。仕方がない。ボディランゲージは通じるだろうか。俺は洋画の俳優のごとく大袈裟に肩をすくめ、首を大きく振った。通じたのか通じなかったのか、魔女っ子は杖を両手で持ち、何事か呟いたかと思うと、杖の先を俺に向けた。思わず身構えたが、特に何も起こらないようだ。
「私の言葉が分かりますか?」
魔女っ子が言う。耳に入るのは先程同様不明の言語だが、何故だか理解が出来る。微妙に気持ち悪いが、とりあえず頷いておく。魔女っ子は安心したようにため息をついた。
「良かった。あなたも何か言ってみてください」
最も気になっていることを質問してみる。
「ここはどこだ?」
明確に気持ち悪い。日本語を話したつもりが、不明の言語が口をついた。
「待て、俺に何をした?」
「この国の共通語を理解できるように魔法をかけました。あなたが他人に話すときは、伝えたい内容を共通語に変換して発声させます」
魔女っ子が自慢げに答える。魔法とな。脳味噌を弄られているとしか思えないが、副作用がないことを願おう。
「かなり気持ち悪いんだが」
「そのうち慣れると思います」
魔女っ子が言い捨てる。気持ち悪いのは諦めるしかないようだ。
「で、ここはどこなんだ? 俺はどうしてここにいる?」
「ここはミドラス領ユグ島にある、私の家です。私の願いを叶えるため、あなたを召喚しました」
薄々勘付いてはいたが、あえて見ないようにしていた現実が迫る。
「ミドラスとは国のことか?」
俺の質問に、魔女っ子は何故か微笑む。
「ええ。あらゆる面で世界最大の国です。それも知らないということは、やはりあなたはこの世界の者でないのですね」
半ば予想していたこととはいえ、眼の前が一瞬暗くなる。ブードゥーの秘術とかであった方がまだマシだったかも知れない。
「元の場所に帰せ」
動揺のあまり、我ながら剣呑な声が出たが、魔女っ子は怯む様子もなくゆっくりと首を振る。見た目に似合わず肝が座っているのかもしれない。
「出来ません。私の願いを叶えるまでは、被召喚者は帰ることは出来ないのです」
容赦のない魔女っ子の言葉に俺のほうが泣きたくなってきた。せめて容易な願いであることを祈りながら尋ねる。
「願いを叶えれば帰れるんだな。何が願いだ?」
「この島の迷宮を踏破し、私達ハーフエルフの地位を向上することです」
言っていることがまるで理解できない。エルフとは耳の長いあのエルフのことだろうか。ヒトのようでヒトでない存在としては、世界的に最も有名であろう、あのエルフだろうか。
不意に、昔遊んだゲームを思い出す。パーティを組んでダンジョンを探索するゲームだ。ヒトの他にもエルフやドワーフ、小人のような種族がいたはずだ。戦士や僧侶、サムライなんかのクラスもあって、編成を考えるのも楽しかったな。何だか久しぶりに遊びたくなってきた。どこにしまっただろうか。
「大丈夫ですか?」
俺の顔を覗き込むように見ている魔女っ子の声に意識が引き戻される。展開についていけず、現実逃避を始めていたらしい。目を閉じ、一度深呼吸をする。
「説明を頼む」
「そうですね。では、まずこの世界の主要な4種族についてお話します」
魔女っ子は軽く手を挙げ、人差し指を立てながら続ける。
「まずは、世界全体の人口の多くを占めている、ヒトですね。寿命は主要な種族の内では最も短く、概して個人の能力にも良くも悪くも目立ったところはないのですが、適応力が高く、環境を選ばずに人口を増やし続けています」
元の世界のヒトと考えてよいだろうか。魔女っ子は続けて中指を立てる。
「次がエルフです。長身痩躯、尖った耳が外見の特徴です。寿命は長く、生まれつき魔力が高い者が多いのですが、肉体的に虚弱なところもあり、多くは生まれた場所を長く離れることはありません」
エルフと聞いてイメージした通りのようだ。続いて薬指を立てる。
「その次にドワーフ。短躯ですがエルフと同じくらい長寿で、頑強な種族です。手先も器用で、職人や技術者が多いです。明るい所は好まないらしく、洞窟のような場所に住むことが多いようです」
こちらもイメージの通りだ。小指を立てる。
「最後がリルフット。成人してもヒトの少年のような外見で、大きな目と耳が特徴の種族です。寿命はヒトより若干長い程度で、見た目の通り目と耳が良く、非常に素早く器用ですが、非力なため戦闘にはあまり向いていないようです」
いよいよもってあのゲームを彷彿とさせる。古典的なファンタジーといった趣だ。魔女っ子は手を下ろした。
「ハーフエルフは、ヒトとエルフの間に極稀に生まれる存在です。数自体が極端に少ない上、世界に災いを齎すと言い伝えられているため、長きに渡って迫害に近い扱いを受けているのです」
見た目によらず気が強いように感じていたが、意外にも不憫な環境で育ったらしい。
「事情は分かったが、地位向上と迷宮の踏破がどう繋がるんだ?」
「この島の中央にある広大な迷宮は、神代の昔、一夜にして現れたとされ、その奥は罪人の魂が集まる場所であるアビスに繋がっているとも言われています。現在まで多くの冒険者が挑みましたが、誰もその最奥を見たことすらないのです。それを踏破したとなれば、名声も高まるというものです」
魔女っ子は鼻息も荒く言ってのける。この世界の神代とやらがどれほど昔で、どれだけの人数が挑んだのか分からないが、とにかくこの魔女っ子が自信家であることは分かった。
「そんな所の踏破に、俺が役に立てるとは思えないが」
魔女っ子は俺が佩いている刀を見る。
「貴方の持つ曲刀は、ミドラスから遥か東の地に暮らすという民族、サムライが使用する武器を彷彿とさせます。彼らは独自の剣技を持ち、驚異的な戦闘能力を持っているそうです。貴方も相当な腕前なのでは?」
民族扱いされているようだが、やはりサムライは存在するようだ。きっと魔法も使えることだろう。
「この世界のサムライがどんなものか知らないが、俺は魔法も戦闘もない平和な場所で生まれ育った一般人だ。戦闘能力なんてない」
「願いを叶えるのに最もふさわしい者を召喚するという、我が家に代々伝わる秘法の効果は確かです」
魔女っ子は不敵に笑う。人の話を聞け。
「あなたの実力もすぐに分かることです。早速迷宮に向かいましょう」
早くも迷宮に向かう気らしい魔女っ子を慌てて引き止める。
「ちょっと待て。まさか二人だけで行くのか?」
「召喚の秘法は一生に一度しか使えないのです。他の冒険者を募るにしても、迷宮を探索するのにはある程度の力が必要ですし、その上、ハーフエルフと組んでくれる者はまずいないでしょう」
ある程度の力が要求される場所に、おそらく無力な俺と、魔術師ではあろうがどう見てもか弱い少女の二人で行こうというのか。不安しかない。
「さあ、行きましょう」
余程気が逸っているのだろう。落ち着きがない。もはや諦めるしかないようだ。
「分かった。その前に名前を教えてくれ」
「忘れていました。私の名はリリィ」
ウィザード、リリィ、か。
「あなたは?」
リリィの質問に少し考え、口を開く。
「ヒロだ」
未だ現実感が沸かないせいか、なんとなく本名を名乗る気にはならず、ゲームに使っていた名前を答える。ヒーローを捩っただけの安直な名だ。
「改めて、よろしくお願いします。ヒロ」
軽く頭を下げるリリィに頷き、ふと自らの服装が気になった。せめて少しでも先送りにしたいという潜在意識の現れかもしれないが。
「俺の着れそうな服と靴はあるか? 出来れば防具も欲しいのだが」
道着に袴、素足のままで行動したくはない。戦闘となれば防具も必要だろう。
「私としたことが、うっかりしていました。少し待っていてください」
案外抜けたところがあるらしいリリィは、足早に部屋を出ていった。周囲を見渡してため息をつく。大変なことになってしまった。ジジイは無事だろうか。監督不行き届きとかで責められなければ良いが。一刻も早く元の世界に戻らなければならない。
それにしても、リリィには迷宮探索で何者かと戦うための戦力と考えられているようだ。剣術こそ物心ついた頃からやっているが、ケンカどころか対外試合もしたことはないし、ジジイによる折檻だか躾だか分からない地稽古くらいしか誰かを相手取った経験はない。話を聞く限り、迷宮とやらは相当に危険な気もする。逃げようかとも思うが、この世界の知識が全くない状態ではそれも危うい。腹をくくるしかないか。再度ため息をつく。




