はじめまして、季瀬さきみと申します。
私こと季瀬さきみは、今日も一人部屋で舞台の練習に明け暮れる。
台本を片手に自分のセリフを口ずさみ、役の心象を考え、動きを付ける。
1Kマンションのため、迷惑にならない程度に気を遣うのは忘れてない。引っ越したばかりの時に、練習中時の唐突な壁ドンと鬼の訪問は経験した。
申し訳なかったし、めっちゃ怖かったな――。
休日に27歳の女が一人で、ずっとだ。いいんです。他人からどう見られようと、自分はこの時間が楽しいのだから。
幼い頃の私は内気で無口、忙しい両親の代わりに面倒を見てくれたじい様にべったり、大人が怖くていつも人の顔色を伺うような子どもだった。
そんな私を変えたのは、じい様に連れられて見に行った小さな劇場の舞台だった。
目の前に広がる絵本の中の世界と舞台の上で生きている登場人物。
また見たいとじい様に縋りついて翌日も同じ劇場に連れて行ってもらった。
同じ演目の舞台を見ているはずなのにどこか昨日とは違う。昨日と演じている人が替わっていて登場人物の人柄がまったく違って見えたのだ。それが演劇という世界の面白さに感じてさらに引き込まれた。
私が演じたらどうなるのかなぁ?
気が付けば、見ていて楽しいから自分でもやってみたいに変わっていた。
じい様の人脈で最初に見た舞台の劇団に入ってから、それはもう楽しかった。
いつの間にか人前にでることも怖くなくなって、じい様も舞台に立つ私を見てとても喜んでくれた。
しかしどうしても、脚本を完ぺきにこなすことより、役になりきることが好きで好きでしょうがなかった。
作家や漫画家は、キャラクター達が勝手に動いて話が進むと言うが、私の場合もそれに近い感覚だと思う。私が演じる人物の望む結末が必ずしも脚本通りにいくとは限らない、演じる人物の思考をつくりあげてしまうと幸せになりたい一心で道を探すの。誰しも全力で足掻くものでしょう?
でも、BADとDEADは決してイコールではなくて、役によっては命を落とすことが幸せだったり、ゴミ屑のような扱いをされることが幸せだったりする。
三つ前の脚本なんて、主人が食糧難に苦しむのを見かねて、自ら鍋に身を投げる兎の役で、どんなに幸せルートを探して考えを巡らせても、それが兎の幸せなのだもの。
私だったら、主人を見限って逃げ出す、絶対。
舞台女優としての成功?興味ありません。楽しいに越したことはないので!これは私の趣味です。趣味!
というか、周りを巻き込んで自分勝手な行動をしている自覚があるので、その道でお金稼げるとは思っていません。はい。バイト掛け持ちがんばります。
勝手に体が動くのだから、周りに文句を言われても仕方がない。
中学生あたりの時に、劇団のみんなも私のアドリブ発作については早々に諦めてくれた。おかげで、うちの劇団員のアドリブ対応力は素晴らしく高い。別名『脚本家泣かせ』とも言う。
前もって、変えてしまいそうな場面は相談しているのだけれど、シナリオを根本から変えてしまった時には、本当に悪いと思って……ごめんなさい、思ってないわ、私、とっても楽しかったもの。
明日の舞台はどうなるだろう。
前日のこのドキドキがたまらない。
ぐうぅ
役造りにのめり込んでいて、夕食が遅くなってしまった。
冷蔵庫は空っぽだったはずと、コンビニへ出かける準備をする。最低限の身なりを整え、玄関を出た。今回の役だったら、あそこで主人公にとびかかってしまうほうが自然なのでは……と構想に耽りながら、2階から1階へ、鉄製の階段に足をかける。
踏み込んだ足場がカランと音を立て下へ落ちていくのと同時に、私の体はガクリと体の支えがきかなくなる。
明日の舞台に支障がでるなんて困る。
私はとっさに前方へと体を傾け、先ほど踏み出した足とは反対の足で階段を踏みつけ、飛び上がる。落ちる勢いがうまく殺せないので、そのまま階段折り返しの踊り場まで全中し、音をたてないようふわりと着地した。
ふ、決まった!みごとな忍者着地!
最近は年齢を考慮して、危険なアクションはしなくなっていたが、これくらいなら、まだまだ私にもできるな。
「おじゃぁああああ!曲者ぉおおおお!」
男性の裏返るような叫び声が、ずいぶんと近いところから聞こえ、私は慌てて顔を上げた。
「マロ眉?」
今いる場所が、階段の踊り場ではなくずいぶんと開けた場所であり、目の前には腰を抜かした時代錯誤の中年がいることに、私は目を見開いた。