試作自走野外炊具
これは、60式装甲車をベースに今の野外炊具1号相当の装備を積み込んだ、自走式の炊事車両である。
これも幻の試作兵器の一つである。
これは、巨大芋虫が、東京タワーに繭を作った事件の頃である。
この芋虫の動きは今でも語り草になるくらいトリッキーなものであったのだ。
東京目指して、南方の海域から海を渡って来るなら普通は、千葉に上陸するか相模湾か、三浦半島か。とにかく海からの上陸のはずである。
この「常識」にあわせて陸上自衛隊は部隊を展開、さらに補給物資なども 配備したのだが、出現が知らされたのはいきなり内陸部である。どこをどう来たかは別にしてもいきなり横田基地あたりから都心に向けて侵攻してきたのである。
これは部隊の配置が大幅にずれてしまい、再配置となったのである。
この時、機械化部隊に、糧食を提供するための野外炊具の展開が遅れがちだったのである。
当時は今のような野外炊具1号のような便利なものはなかったため、急な移動には適してなかったのである。
この教訓から、自走野外炊具の実用化が検討されたのである。
自走するための車体は当時、最新の60式装甲車が選ばれたのである。
これなら機械化部隊にすぐ追随して展開できるためである。
なおこの時点からすでに移動しながら飯をたく、というコンセプトがあり追及されて行くのである。(現実にはバーナーが痛んだりする危険があり、実用的ではないらしい。かく言う自分も経験していないからわからないが)60式の後部の兵員室を広げ、そこに今の野外炊具1号に相当するかまど6台、万能調理機なども搭載したのである。
試作車は富士学校近辺で戦車部隊の演習にあわせて実用試験が行われ、おおむね良好との評価を得たのである。
ただ走行中の炊飯は、不整地走行が多いとかなり困難なことが判明した。そのため、自走型にはこの運用を禁ずることになったのである。
また焼き物ができると言う謳い文句もバーナーの調整困難であまり進められない結果となった。
とは言うものの陣地侵入から炊き上がりまで、同時に試験された牽引型より遥かにスムーズにできることが証明された(牽引の場合、進入、トレーラー切り離し、機材をトラックから卸して準備の手順が余計になる)
そこで制式化まで来たが立ちふさがるのは「予算」の壁。
比較的高額な装軌車両に炊事道具を積む意義が大蔵省には理解してもらえず、自走化は断念せざるを得なかったのであった。
残念ながらこいつも大蔵省には勝てなかった装備となったのである




