表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
試製自走多連装ロケット砲奮戦記  作者: 通りすがりの野良猫
2/36

開発から、実戦、そして、、、

期待の星が残念な結果に終わるのはいつの時代もあります

これは、昭和の自衛隊が、巨大な生物と戦った時に、しばしば投入されながら、様々な要因から遂に制式化されずに終わった悲運のロケット砲についての記録である。


陸上自衛隊が発足した頃、陸上自衛隊では先の大戦での陸軍の苦戦について反省が行われた。

その過程で、他国が持っているような地域制圧に適したロケット砲が十分になかったことが一つあげられた。

またロケット砲はあっても、車両には搭載されておらず、射撃後のすばやい陣地変換などができなかった。

そのため、既存のロケット弾(高い速度の航空機搭載用)を活用した、自走多連装 ロケット砲を持ちたいとの意見が出て来た。

これには、トラックに搭載、またはキャタピラー車体に搭載の2つの案が出てきたが、費用、整備の容易さを重視して、トラック車体をベースにすることになった。

また搭載ロケットについては、当時、自衛隊全体で見て一番大口径である5インチ航空機用高速ロケット弾を選択することになった。

ただ惜しむらくは、この時点で、機械式の次発装填装置が「贅沢」として省かれたことである。とりあえずは手動で一つずつ装填することになったのである。さらに、面倒となったのは、この兵器に「専用車体」を用意したことであった。


後年、考えてみたら無理に新型車体をわざわざ作らなくても、運転席を別個にした、トレーラーとして作れば、コストをずいぶんカットしかつ、次発装填装置も一体にして搭載できたろうと言われているが、当時は、先の大戦から初の本格的火力戦装備品としてもてはやされており「考えが及ばなかった」と用兵側も開発する側も、反省したとか?


さて、この装備は、陸上自衛隊の第3管区隊、今の第3師団が大阪にて、巨大生物を迎撃した際に、増強火力として配分されて実戦に投入された。

当時の光景を描く資料映像には、戦車と協同している様子が映っている。

巨大生物とは言え、一般には面制圧兵器を打ち込むのはどうか?ではあるが、当時はまだ誘導弾もない時代、訳のわからんでっかい怪物には、とりあえず火力を集中して、となるであろう。

ちなみにまだこの時期はアメリカ軍も、戦場用では無誘導のロケット弾オネストジョンが最新の時代だし。


なお、資料映像では、あまり攻撃の成果はあがらないように、見えるが、実は当時、兵庫県伊丹駐屯地から派遣された第7普通科連隊第2大隊主力(後の第36普通科連隊の前身)があわや、のところで助かっているのである。

巨大な生物が大阪湾に出現した際に沿岸で住民の避難、警備にあたった際に、後少しで連隊の展開する沿岸に直接上陸するところだったのが、大隊の火力支援に配当された、試製自走多連装ロケット砲中隊による火力支援に気をとられた化け物は、一気に川沿いに淀屋橋、中之島方面さらには、大阪城へと抜けて行ったのである。

今でこそ、誘導弾等も装備された連隊であるが、当時は朝鮮戦争に投入された米軍の歩兵師団相当の装備しかないのである。連隊の展開した場所に直接乗り込まれたら「悲惨」につきる結果になったであろうことは、その前に東京での状況を見れば明らかである。(あっさりと戦車隊がやられている記録あり)


ところで、資料映像ではいかにも多数のロケット弾を発射しているように見えるが、あれはある程度フィルムの編集でカバーされていて、実態とはかなり違っているのである。


先にも述べたように、次発装填装置がなく、発射後、仰角を装填位置にセット、若干の冷却時間の後、発射機後方から発射管内部のレールに添い装填、その後で点火用ケーブルを接続するを、計24回繰り返すのである。

これを戦場の混乱した状況で短時間に行うのは、かなりの練度がいるのは、想像に難くない。

ちなみに部隊の編成は、2両で1個小隊、3個小隊で中隊、さらに中隊3個で1個ロケット砲隊を構成している(これに大隊本部、段列が付属するなどして大隊になる)。

この部隊を小隊単位で照準→発射→移動→装填のサイクルを繰り返すことでロケット砲隊としての「連射」を行うのが実態であった。


また、怪物相手であるから、頻繁な陣地変換は必要なかったが本来なら、ロケット砲を撃てば、そう遠からず位置を標定される(射程がそれほど長くないから、比較的前線に近い場所からの発射になるため)から、ロケット弾の集積、分散、予備陣地の準備に意外と手間暇がかかる。

これらの欠点は長射程化や、車体の機動力アップ、装填の機械化が達成された現在なら解決できるが、当時の貧乏な陸上自衛隊では、このような装備を多数揃えるのは、夢のまた夢の世界であった。


何せ、後に61式として配備される戦車の開発や国産小銃の開発、量産等数々の新開発品が目白押しだったのである。

レーダーを装備して、弾道の軌跡を追い、精度をあげる試みなどもあったが、当時の真空管中心の電子装置は戦場における整備は悪夢であり実用化にはさすがの陸自も匙を投げてしまう始末。


このように、威力は認められても、維持費が高いと認められては、試製自走多連装ロケット砲も巨大な怪物以上、ソ連軍以上の「敵」、大蔵省には勝てなかったのである。

今も昔も陸上自衛隊の敵は

霞ヶ関3丁目に、でんと構えているのである。


でも今はMLRSが立派に、後をついでますね

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ