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試製自走多連装ロケット砲奮戦記  作者: 通りすがりの野良猫
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日本最後の軽戦車「仮称75式軽戦車」

近代的自走砲として初めて本格的に量産された、75式155ミリ自走榴弾砲の車体を活用した軽戦車について

日本最後の軽戦車は?と自衛隊まで含めて考えると、M41になるであろう。

しかし、1975年、つまり75式自走榴弾砲が制式化された年にこの車体を活用した軽戦車が構想された。これが仮称75式軽戦車である。

おおざっぱなデザインは、火力、機動力、防護力の順で、具体的には74式戦車と同等の火力、機動力はM41戦車に劣らない車両を75式自走榴弾砲の車体の寸法、重量の範囲に納めたいというものであった。


これは60式自走無反動砲の後継として普通科にも配属、機動力のある対戦車砲として運用したいという目論見と、74式戦車は当時の自衛隊としては、複雑で高価なんで十分調達できかねると言う心配(石油ショックでのインフレは1973年)から、よく言われるハイ・ローミックスのローを担当する車両として運用したい機甲科、車体を共通化することから、自走砲その物を安く手に入れたい特科の思惑が一致した結果生まれてきたのである。


ところがである。

いいとこばかりの新しい軽戦車だったが、石油ショックの元になった第四次中東戦争の戦訓、、ベトナム戦争の戦訓が日本にアメリカ軍経由で入り始めたのである。

それは、「アルミニウム製の車体の脆弱性」の問題であった。成型炸薬弾に対して、アルミニウムの融点の低さで、被害が大きいことや、アルミニウムの特徴である比重の低さが、高速徹甲弾に対する防御で不利に働くことやらである。

これは、もともと、自走砲や装甲兵員輸送車等では、弾片防御、つまりある程度近くに落ちた砲弾の破片に耐えられたら良い、レベルで考えられることが多かったからこそ軽いアルミニウムのメリットが活かされていたのである。

それを戦車の高速徹甲弾の命中を考慮するようになると、「そりゃないよ!」になりますわ。一方でベトナム戦争のような本格的な戦車対戦車の戦闘が少なかった戦場では簡易な対戦車兵器、RPG2やRPG7でアルミニウム装甲のM551が苦労してましたし。

なんと言っても当時は我が国の装甲車両には「被空輸性」は求められていなかったのが、最終的にはアルミニウム装甲の戦車の実現には結びつかなかったと言えます。

アメリカのように「空挺戦車」という特別な事情がないと、無理だったようです。


あれから40年たち、C2輸送機に搭載可能な16式機動戦闘車が四国に配置され74式戦車の「後継」となっているのは、面白く思います。




現実にあったら興味深い存在かも

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