第九章 Like Thunder(16)
右腕をかわす。そこでオールドは、ネクタイの片側を放り投げる。先細りしている、小剣とも呼ばれる部位を相手に向けて投げる。即座に、手首をしならせた。
ひゅんと、風切り音が駆ける。即席の鞭が、男の右頬を強く打ち付けた。
さて。
オールドは相手の反応を窺う。向こうもプロだ。不用意に距離を詰めることがなく、今まで攻めあぐねることがなかった。問題は、その距離感を崩すことにある。
要領よくかわし、適度にスナップを叩き込む。男の苛立ちが、あからさまに伝わってきた。思い通りに壊せないことへの怒りが窺い知れる。全神経を束ねながらヒットアンドウェイを繰り返すオールドが、ひたむきに祈る。来い、さっさと来い。
適切な距離を保ちながら、オールドは即席の鞭を振るう。ある程度ダメージは通っているらしく、男の顔に直線的な痣が浮かび始めていた。しかし言うまでもなく、決定打にはなり得ない。向こうも痛みに慣れているのだろう。多少怯んでいるものの、戦意喪失は望めない。
再び打つ。苛々と、男の顔にフラストレーションが浮かび上がる。かわして、打つ。打って、かわす。焦ることはない。淡々と、ゆっくり攻めていけばいい。
男が吠える。人間とは思い難い、獣を彷彿とさせる咆哮だった。
堅実に攻める。相手の右足もさばき、もう一打。
その瞬間、左肩が痛んだ。先ほどの一発で、強打したらしい。
意識が逸れる。それと同時に、男の左拳が右頬にめり込んだ。
呻く間も無く吹き飛んだ。ゴム毬のように床を跳ね、脆いドアを突き破る。冗談じゃねえぞとぼやく間も無く、男が部屋に飛び込んできた。鉄柱のような腕を振るう。慌てて避ける。壁が大きく抉れた。鍛えているせいか骨折はない。しかし口内は血の味で満ち満ちており、ダメージが軽くないことくらいは察することができた。
男の攻勢に、オールドは精一杯避ける。二回も諸に受けたせいで、万全の状態とは言い難い。むしろ平衡感覚も怪しい。足元がふらつく。視界もやや歪んでいるような有様だ。
強い。
体つきをみてわかっていたが、改めて認識した。一回一回の攻撃が即死級。オールドのように技を駆使するタイプから見て、最大級に相性が悪いといっても差し支えない。なにせ技を出している隙に一撃をもらってしまえば勝負は決する。「ゴリゴリなマッチョはいいよな」と、のんきにぼやいた。
「やるなアンタ」
ニタリと笑い、再びネクタイを構える。
「マリア以外で射精しそうになってんのは、半年ぶりくらいだぜ」
剛腕をかいくぐる。ローキックを浴びせて威嚇する。神経を束ねる。呼吸も絞り、一瞬の隙に全精力を傾けた。
二度三度と避けて、少しずつ距離を図る。こちらから飛び込むか、向こうが焦れて突っ込んでくるか。その瞬間を、今か今かと待ちわびる。
大振りのアッパーが、オールドの前髪をかすめる。そのまま右肩を前へ押し出し、男が床を蹴った。
突進。
オールドは腰を落とし、男から見て右側へ行くよう足を擦る。背後に回り込み、ネクタイを男の首に巻きつけた。
ぎゅっと凶器が締まる。何かを挟み込まれた様子もない。全力で締め上げる。男が露骨に焦り始めた。手を背後に回そうと、必死に腕を振る。しかしこうした立ち回りでは、オールドに分が大きい。なにせこうした殺しばかりやってきたのだ。その中には当然、絞殺のイロハも叩き込まれている。むしろナイフファイトに次いで、秀でている特技とも言えた。
相手が普通の手合いなら、このまま絞め殺して終わりである。
そう、普通の相手なら。だ。
ジタバタと苦しそうにもがく男の首を絞める。身長差が大きいせいか、完全に絞めることができていない。優勢だが攻め手に欠ける中、男が真後ろに跳ねた。無論、背後を取っているオールドは男の背に押される。一瞬遅れて、オールドの体が壁に勢いよく叩きつけられた。




