第八章 Autumn Leaves(4)
☆
着いた店は、古めかしい洋服屋だった。個人経営の、いかにもこぢんまりとした佇まいの、よく言えば古き良き店だ。従業員の命を鑑みて未だルツボ進出に積極的ではない大型チェーンが来たら即座に圧迫されかねない、それほどまでに小さくまとまった店である。カウンターの奥には無数の洋服が並んでおり、入店したオールドとアンジェラは顎をあげる。スピーカーから、ピアノの軽快な音が落ちてきた。
どことなく抑制の利いた、哀愁あるピアノの音色が床に転がる。
「切ない音色ね」
アンジェラが呟く。
「この良さが分かるか」
オールドは、深く息を漏らした。
一抹の寂しさを匂わすベースラインに、ブラシ特有の乾いたスネアサウンドが混ざる。
「セピア色というか、煤けているというか、灰色というか、上手く言えないけど物悲しいわね。この曲」
「Autumn Leaves、日本語で『枯葉』だ。ウチ(この店)の名前でもある」
カウンターの奥から、声が聞こえる。掠れたバリトンボイスを響かせたのは、精悍な顔立ちをした老人だった。灰色の髪をオールバック風味に撫でつけ、歳はおよそ還暦を少し過ぎたところであろうか。多少の皺が目立つようになってきているものの、鷹を思わせる鋭い目つきや鉤鼻が目を惹く、切れ味の鋭い老人だった。ノリの効いたシャツに小洒落たベストを身に纏い、両腕をカウンターに載せている。何かしらのスポーツを嗜んでいたのか、上半身は筋肉に包まれている。老人とは思えない筋肉量だ。
「ネグローニ」
オールドが歓喜の声をあげる。「随分だな。調子はどうだ?」
「まずます、といったところかな」
顎のラインに沿って生やしている髭を撫でながら、ネグローニと呼ばれた老人は応える。
「ネグローニは仕立て屋だ。客のリクエストにこたえて、一流の服を作ってくれる。前の仕事は超一流の軍人やPMCの人間だったらしいが、詳しいことは俺も王だって知らねえ。ルツボがルツボになる前――旧愛知県のころからここの事を知ってるって噂もあるくらい、歴史ある男だ。おチビだろうが年齢は関係ねえ。敬うべき相手には、敬意を払え」
「改めて言われると、随分恥ずかしいな」
唇を曲げ、ネグローニは得意げに自身のこめかみを二回叩く。
「君が今日来ることは、私の予感が確かに告げていた」
「アランから伝言あったぞ。仕立てた服ができたからとりに来いってな」
オールドの指摘に、老人は「そうとも言うね」と笑った。少し顔つきが厳しいものの、笑う顔は少し幼い。ユーモアに富んだ老人らしい。
「オールドからも紹介があったが、私の名前はネグローニ。よろしく頼むよ」
カウンター越しに、アンジェラに握手を求める。祖父も見たことのないアンジェラは、大きな歳の差に手を強張らせた。
「アンジェラ・ブルーノートよ、ジェントルマン」
大人しい握手を終え、ネグローニは満足げに微笑んだ。
「子供はやはりいい。私にもこのくらいの孫がいるんだが、やはり幼い子は素直だ。『目は口ほどにモノを言う』とは言うけど、私から言わせたら手だって目と同じくらい――ひょっとしたら口以上に雄弁に物事を語る手段になり得る」
ベースの、悼んだソロに入る。啜り泣きにも似た、木枯らしを彷彿とさせる音色だ。
「彼女の右手は、とても緊張していたよ。こうしたルツボの、まして混沌区域のすぐそこにある個人経営の店なんて入ったことがないからだろう」
「男の『アレ』はもっと素直だぜ。特に俺のはマシンガンだ」
「君は本当に下品な男だな」




