第四章 Cocktail Party
「これは知り合いの受け売りだが」
前置きを据え、オールドが口を開く。
「バーテンダーが酒を作る時、準備が9割らしい」
ロックグラスを傾け、言葉を紡ぐ。その様を見たアンジェラは「多分手品師も同じだと思うわ」と加えた。
現在、二人はバーにいる。バーにしては大きな規模を持っている方だろう、この二人以外にも客数はそれなりだ。時刻は昼過ぎであり、普通に考えればこれほど賑わうことも少ない。日本を基準にすれば、休日であっても考えにくいだろう。しかしここは日本であって日本に属さない都市、日本の基準を持ち出す方が、かえって笑われる事は明白だ。
「昼からお酒なんて、いいご身分ね」
呆れた目をする少女に、オールドが人差し指を向ける。
「人生を豊かにする三つの要素を教えてやる」
酒で唇を濡らし、続ける。
「酒と煙草。加えて小さじ一杯のユーモアだ」
「あなたの場合、小さじ一杯じゃ溢れちゃうわ」
よくわかってんじゃねえか。オールドは愉快そうに笑った。
コップに注がれたミルクを飲み、アンジェラが尋ねる。
「なんでこんなところに来たの?」
「なんでってそりゃ、俺が昼から酒を飲みたいだけだ」
じとりと、湿り気を帯びたアンジェラの目線にオールドが手を振った。
「冗談だ、本気にするなよ」
――時に、
オールドは話を振る。
「お前さん、ここの仕組みは詳しい方か?」
ふるふると首を振るアンジェラに、「そりゃそうか」と男は納得する。多少の度胸があれどまだ九歳。ルツボの仕組みを知るには、些か若すぎる。
「でも何も知らないわけじゃねえだろ。ニコラスの娘って事は、多少は後ろ暗い何かがここでは蠢いてるくらいは知ってるだろ」
そうね。
アンジェラは首肯した。
「パパは、それらを取り締まる人間だったもの」
ルツボ。
愛知県が日本から見捨てられて久しい。原因は諸説あるものの、大規模なテロを被った愛知県は立ち直ることすら困難なほど大打撃を受け、今や日本の土地ではなくなっている。旧愛知県、今ではルツボと呼ばれている巨大都市だ。愛知県そのものが一つの都市となり、人間の欲望が渦巻く巨大な場所と化している。ここでは日本の法律、倫理、慣習は通じない。故に一部の人間にとっては、楽園と言っても過言ではない。日本ではないため公務員も多様な人種が勤めている。ルツボの管理は日本の手を離れ、管理局と呼ばれる特殊な組織が担っている有様だ。何から何まで、かつての愛知県とはかけ離れていた。
「ここじゃ発砲も日常茶飯事、水面下じゃヤクも人身売買も黙認されてる。ニコラスはそれを取り締まろうとして、死んだがな」