ヌビウスと沙也
明日も更新します。
◇
「地下牢へ連れていけ!」
魔王城に戻ったユリウスは、近衛に沙也を押し付けた。この女のせいで、希少なゲートキーパーを逃がしてしまったかもしれない。あそこに、ゲートキーパーの紋章が落ちていると言うことは、そこにゲートキーパーがいたことになるのだ。
ずっと探し求めていたゲートキーパーをみすみす逃がしてしまったのだ。千歳一隅のチャンスだったのかもしれなかったのに。
「兄上!沙也を地下牢へ連行するなんて!」
ラティファが声を荒げて抗議した。
「得体のしれないものは、地下牢に決まっている。」
ユリウスは、厳しい口調で言った。
◇
魔王の壮麗な執務室では、魔王とラティファ、そして、近衛の一人が、膝を突き合わせていた。
「ラティファ、なぜお前があんな所にいた? そして、あの女は何者だ?」
「兄上が時々、異世界へ行くのを僕は知っていたんだ。それで、僕も兄上の後を追って行ったんだけど、この姿じゃ、目立つだろう?だから、獣型になって、町を見ていたんだ。」
「余の後を追ってきたのか?」
そんな魔力は、まだラティファにはないと思っていたのだが・・・
「そうしたら、ヌビアスに見つかって襲われたんだ。そこを助けてくれたのが沙也だった。」
「なんと、ヌビアスを異世界に放った奴がいる、と言うのか?」
ユリウスは絶句した。ヌビアスは、獰猛な魔狼だ。 極めて凶暴な魔獣で、ユリウスでさえも、襲われたら、腕の一本や二本は失うかもしれない。 それが5匹ともなれば、ただでは済むはずがない。・・・おそらく、異世界へ足を運ぶ自分のことを知ったものが、自分を襲わせようとヌビアスを異世界に放ったのだろう。
ラティファの命が助かったのは奇跡としか言いようがなかった。
そして・・聞き違いか? この異世界の女、確か、沙也と言ったな、
「この女がヌビアスに襲われていたお前を助けて、5匹のヌビアスを追い払ったと言うのか?」
ユリウスは我が耳を疑った。普通の人間にヌビアスは見えない。仮に見えたとしても、あのヌビアスを5匹相手にして、追い払えるなどあり得ない。
「うん。沙也は、ヌビアスを素手でボコボコにしていた。」
「・・・・!」
これには、ユリウスも、近衛も絶句した。
ヌビアスを素手で撃退するとは! 一体、どのような訓練を受けていたのか?
「それでね・・・」ラティファは、絶句している大人を尻目に言葉をつないだ
「沙也は、僕を自分の家に連れて帰ってくれて、ずっと僕の面倒をみててくれたんだ。ご飯を作ってくれたり、お菓子を一緒に食べたりしたんだ。沙也は、優しいよ。僕のことをすごく可愛がってくれたんだ。」
ラティファ王子は、子供らしい表情で、ぽっと頬を赤く染めた。
「お前、神殿に籠って祈りをささげていた・・と言うのは嘘だったのか?」
「ううん、ちゃんとお祈りはしたよ。でも、沙也が自宅に帰ってくる時間には、沙也の家にいて、毎日、ちゃんと宮殿にも戻ってきてたよ。」
「・・・と、言うことは、毎日、その異次元にある沙也の家に行っていたのか?」
ユリウスは呆れたようにラティファを見つめた。
「沙也が作ったご飯は、すごく美味しいんだ。一緒に、ご飯も食べたしお風呂にも入ったよ。」
そういうラティファは、何故か誇らし気だ。
「お前を懐柔して、いいように使おうと思ったのではないか?」
ユリウスはまだ疑っていた。
「いえ、ユリウス様。そのようなことはないと思います。」
口を挟んできたのは、ラティファを護衛していた近衛だった。
むさくるしい熊のような男だったが、その忠誠心は城の中で最も強かった。 そのため、幼い王子の護衛を任命されていたのだ。
「日々、沙也様を観察しておりましたが、いたって、家庭的な普通の娘さんです。獣型をとったラティファ様を溺愛されておりましたし、私が知る限りでは、ラティファ様の正体を知ったのもつい今しがたかと。」
「そうだよ。僕、ずっとタローって呼ばれていたもん。」
ラティファも、不満げに口をとがらせて言った。兄上がこんな風に沙也をイジメたら、もうきっと、僕のことも嫌いになっちゃうかも・・・
「兄上のばか。もうこれで、沙也と一緒にいられないじゃないか。サヤと一緒のスィーツめぐりも楽しかったのに。」 休日には、沙也は、ラティファをオープンエアのカフェなどに連れて行ってくれたのだ。
ラティファは、ことのほか、拗ねていた。
「僕、大きくなったら沙也を僕のお嫁さんにしたい。 ねえ、兄上、いいでしょ? もう僕の正体がばれちゃったら、僕のお嫁さんにするしかないよね。」
ラティファは、思いつめたように言った。
大人びたラティファの発言にユリウスは絶句し、苦し紛れに言葉をつないだ。
「・・・ああ、あの女がいいって言ったならな。」
いくらなんでも、18歳も年の離れた子供のプロポーズを受けることはないと思うが・・・
子供の戯言だ。適当にあしらっておけばよいだろう。
◇
「そこの者、その女をこちらへ引き渡せ!」
薄暗く悪臭がする地下牢に、甲高い子供の声が響き渡った。 ラティファ王弟陛下が、近衛を10名ほど引き連れて、直々に沙也を救出に来たのだ。
ラティファは、ふんぬっと仁王立ちになり、びしぃぃっ!と、人差し指を真っ直ぐに牢番に突き付けて命令した。
「ラティファ様、これは魔王様命令でございます。例え王子様のご命令でも、魔王様に逆らう訳には参りませぬ。今、魔王様にお伺いをたてに、使いの者を送りましたので、しばしお待ちを。」
跪きながら、礼をとる地下牢の門番にとっては、ラティファ王子は、雲の上の上の存在でしかない。こうやって、直接、王弟陛下と会話するなど、一生に一度あるかどうかすら疑わしい。
「では、兄上に伝えよ。沙也がこちらににいるなら、僕もここから動かない、と。」
(ラティファ様がこれほどまでにお心を砕かれるのには、あの娘の顔立ちは少々平凡すぎるような気もするが・・・)
そうやってひと悶着あって、沙也は、ラティファの宮殿に引き取られることになった。
ラティファ王弟陛下が、突然地下牢に現れて捕らわれた囚人を自分の宮殿に引き取ったと言う話は、あっと言う間に宮廷中に広まってしまった。
「はは・・・あのラティファが、異世界からの女を地下牢から、ユリウスから強制的に奪いとったのか?!」
「はい、左様にございます。ロレンツォ様」
側近から、宮廷内の噂話を打ち明けられたロレンツォは、面白そうに聞き耳を立てた。
「ラティファは、まだ6歳。6歳の子供をたぶらかすとは、面白い女だ。それは、異世界の女のか?」
ロレンツォは、顔に好色の色を浮かべながら言った。
『ロレンツォ第2王弟陛下には、気をつけろ』
宮廷中の女官は、その女癖の悪さから、合言葉のようになっていた。ロレンツォのせいで、泣き寝入りをする女官は後を絶たなかった。
「面白い。ラティファの隙をついて、その女を、私の宮殿に連れてこい。」
ロレンツォは、いやらしい笑いを浮かべた。最近、面白いことが全然なかったから、少しは退屈がしのげるだろう。