沙也とラファエロ~2
万が一、王宮を出なければならなくなった場合に備えて準備をしておきたい、と相談した沙也に、ラファエロはこう答えた。
「沙也様・・・・今、この段階で、そのような心配をされる必要は一切ないと思いますし、陛下も沙也様の懸念をご存じになれば、悲しまれるでしょう」
ラファエロは、そこで、ほんの少しの瞬間、何かを考えるように、じっと沙也を見つめた。
その美しい青い瞳には、真剣な光が宿っていた。ラファエロには、珍しく、一瞬、逡巡した後、思い切って、何か腹を決めたような様子で、口を開いた。
「・・・けれども、万が一、沙也様がこの王城を出なければならなくなった事態に陥るなら、どうでしょうか、その時には、この私が責任をもって、貴女の面倒を見させていただくと言うのは?」
「いえ・・・そんなご面倒をお願いする訳には参りません」
ラファエロの言葉は多分、社交辞令か何かだろう。きっと、知り合いが困っているならしばらく家に来れば的なやつだ。
それでもラファエロは引かなかった。
「いえ・・・私のほうこそ、沙也様にお願いさせていただきたいくらいです。ぜひ、私の元に身を寄せてください」
「本当に・・・いいのですか?」
彼の本音を探るように、沙也は疑わし気に、ラファエロを見つめた。
けれども、もし、それが本当であるなら、そう言ってもらえるのはありがたい。
それに、ラファエロに頼るとしても、魔力を利用して、魔導士としてどこかに仕事が見つかるまでのしばらくの間だけのことだ。きっと、それほど長く彼の世話になる必要もないだろう。
「ええ、もちろんです。私の領地は広いですし、多少、田舎で不便な所もありますが、よい所ですよ。もしそうなったら、私の故郷にぜひお越しください」
そう言って、にっこりと美しく微笑んだ彼は、なんだかとても嬉しそうに見えた。
「・・・でも、それはご迷惑では?」
「迷惑だなんて、とんでもない。沙也様が遠慮なされることはないのですが・・・。では、こうしませんか? 万が一、城を出ることになったら、私の領地に屋敷があります。それを、沙也様にお貸ししましょう。今すぐにでも住めるような状態にしておきます」
「でも、その現金収入がないので家賃すら払えないですし・・・」
(そう、問題はそこなのよ!)
沙也は、そこが問題の焦点だと思った。先立つモノがなければ、家を借りられないではないか。家がなければ、職につくのも難しいだろう。もし、王宮を追い出されたら、頼れるものが何一つなく、右も左もわからない異世界で、自分は、行くあてもなく路頭に迷うかもしれない。
「ならば、生活の目途が立つまで、必要なものは、私がすべてご用立てしましょう。屋敷もお貸しします。家賃などの諸々の諸費用の返済は、ずっと後で構いませんから」
ラファエロの言葉に何か熱心な響きが含まれているのは気のせいだろうか?
そう言いきったラファエロさんの青い瞳は、なんだかキラキラとしていた。
・・・いいの? そんなんで。ラファエロ様。 もしかしたら、踏み倒して逃げるかもしれないよ?
それでも、ラファエロの提案は有難かった。ユリウス様が自分のために、銀行口座を開いてくれるとは思わなかった。こちらの世界に、銀行と言うものがあれば・・・の話だが。
「では、万が一の時は、その形でお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。沙也様・・・何かあった時には、私を頼ってください。約束ですよ、何かあった時には、必ず、私に知らせること。私は貴女を守ってさしあげます」
ラファエロは何故か、「約束」と言う所を強調した。その言葉の響きに、残念ながら沙也は無頓着だったが。
「ええ・・・ラファエロ様、ご協力に感謝いたします。では、万が一の際にはよろしくお願いしますね」
そう言いながら立ちあがった沙也に、ラファエロはそっと手を添えた。
「では、そろそろ行かなくては」
「ええ、今日のお話はよく覚えておいてくださいね」
沙也は、薄く微笑みを浮かべて、ラファエロを見た。彼と視線が真っ向からぶつかった。二人は、一瞬見つめ合い、微笑みあった。
きっと困った時には、彼は本当に助けてくれるのだろう。
そうして、パタンと執務室の扉が閉まった後、ラファエロは、名残惜しそうに沙也が座っていた椅子の背に手をやった。
彼女が座っていた椅子は、まだ温もりをとどめていた。名残惜しそうに、その椅子に手をやりがなら、ラファエロはぽつりとつぶやいた。
「頼りにされてどれほど嬉しかったか、貴女はご存じないでしょうね」
沙也の友人の綾子と言う女性、なかなか現実的だ。普通の寵姫であれば、そのような心配は当然だ。しかし、沙也様は、他の寵姫とは全く違う立場にいることは、さすがに、聡明な沙也様の友人でも想像はつくまい。
今後、陛下と沙也様の間に軋轢が生じることはまずないと思うが、陛下の幸せを願う反面、彼女に何かあれば、すぐに自分が駆けつけることができることが嬉しかった。
◇
それから数日後・・・・沙也は、侍女たちに飾り立てられている真っ最中で、じっと大人しく我慢しながら、椅子に腰かけていた。
「沙也様、もう少しでお支度が整いますので、お待ちくださいね」
「ああ・・・・これからの公式の祭典が憂鬱だな」
周りでは、侍女たちが髪飾りだの、宝石だの、と忙しく働いていた。
今日は、これから、セイラムの女王様とその王配陛下が、魔王領へやって来るのだ。ユリウス様からは、ユリウス様のパートナーとして、外交の場に姿を現して欲しいと頼まれたのだ。
暗い表情をする沙也に、侍女たちは明るい声で語り掛けた。
「セイラムからの王女様とその王配陛下との公式行事など、滅多に出れることはありませんよ」
「このような公式行事に陛下が沙也様をお呼びになられる、と言うのは、沙也様は公式な陛下のご寵姫様だと言う証に他なりません」
「そうなんだけど・・・・」
(うーん、私のような庶民がそんな場にノコノコと出て行っていいのだろうか?)
「私には、ちょっと荷が重いのではないですか?」
と訝しがるような沙也に、
「構わぬ。余の傍に笑顔で立っているだけでよいのだ」
と安心させるような顔で頷くユリウス様を目の前にして、「やっぱりちょっと・・・」とは言えなかったのだ。
「さあ、沙也様、お支度が出来ましたよ」
支度が整った沙也は、侍女に促されて、おそるおそる姿見の前に立った。自分がどうなっているのか、全く見当がつかなかった。
「きれい・・・」
ドレスが綺麗と言おうと思ったのに、侍女は何を勘違いしてか、
「ええ!もちろん、そうですとも。今日の沙也様は一段とお美しいですわ」
「まるで妖精のようですわ」
と、口ぐちにほめそやしてくれた。
鏡の中に移る自分は、淡い水色のシルクのドレス。マーメイドラインで体の線にぴったりと沿った高級で上品なドレスだ。
どこかのお姫様のような出で立ちに、沙也も満足だった。ユリウス様に連れてゆかれたクチュールのマダムは、とってもいい仕事をしてくれたようだ。
沙也は、今日の自分がどんな風にユリウス様の目に映るのか、それを考えると、これから立ち会う重そうな責務で滅入りがちだった気持ちが少し明るくなるような気がした。
◇
そうして、今、王城の中央の石畳の広場で、セイラムの客人を迎えるためにいた。
「騎竜部隊を率いて、こちらにお越しなるそうです」
そういうビクトリアヌス魔王領の外交官も沙也に向かって軽く会釈をした。外交畑の人間は、実力主義の者が多く、沙也の身分がどうの、とくだらないことでは騒ぎ立てない人種だった。
沙也とユリウスに向かって恭しく礼をとる外交官を横目に見ながら、沙也は、いまかいまか、とセイラムの王女様を待っていた。
沙也は、目で空を飛んでいる竜の影を見つけようと一生懸命に目をこらしていると、空の向うに、それらしき影が見えた。
(あれがセイラムのご一行様かもしれない。いよいよだわ)
なんだか、不安が募ってきて、 沙也が心配そうにユリウスを見つめると、ユリウスは励ますかのように頷いた。
「余の傍に黙って立っておるだけでよい。何も心配することはない」
ユリウス様はそういうが、沙也にとっては初めての外交だ。セイラムの王女様らしき人物を乗せた竜が、大きく羽を羽ばたきながら、大空から舞い降りてきた。




