殿下のお戯れ
「殿下、もうそろそろ、このようなお戯れはほどほどにして、お願いですから、宮廷にお戻りください。」
「嫌だ」
今年6歳になるラティファ王子は、目前に跪く側近の願いを無碍なくあっさりと拒否した。
まだ6歳の王子とは言え、銀の髪に、緑色の美しい瞳。ほっそりとした上品な顔立ちが、否応なく高貴な生まれを物語っていた。
「・・・だって、サヤと一緒にいたいもん。」
従者と主人が交わす会話は、いたって普通である。ただし、それが、ワンルームの24歳の女の子の部屋でなければ・・の話だが。
花柄の可愛らしいカーテンに、白い壁、カウントリー調の白木の家具。何処から見ても、ぷりぷりな乙女の部屋に、見苦しい従者と王子がいると言う光景はあまりにも不釣合いだった。
沙也の小さいベッドにでーんとエラそうに座る6歳の王子。その前にあるちゃぶ台を挟んだ所に、騎士風のむさくるしい熊のような中年の男が跪いていた。
「いつまでも獣型でいる訳には参りませぬぞ。沙也様に、このことが知れたら、殿下とて、いつまでもここにはおられませぬ。 魔王様には、ラティファ様が神殿に籠って祈りをささげていると説明しておきましたが、いつまでそのいい訳が持つかどうか・・・」
「ラティファ様と言うご立派なお名前があるのに、沙也様から、タローと呼びすてにされている現状に、私は・・私は耐えられませぬ。 これを兄上である魔王様に知られたら、どうなることか・・・一体、何をお考えで、魔王国の第三王弟陛下であらせられるラティファ様ともあろうお方が、下賤な犬などと言う生き物の真似をされなければならないのですか?」
従者と沙也は全く面識がない。従者は、次元の物陰から、二人を見守っていたのだ。
「じゃあ、ラティファって呼びすてにしてもらおうか?」
「滅相もございません。異国の平民風情が、王弟陛下を呼びすてにするなど、絶対に許されませぬ。もし、それが魔王様にばれれば、沙也様は命がありませぬぞ。」
「だって、仕方がないだろう? 犬でなければ、サヤは、一緒にいてくれないよ。きっと。」
そう言って、唇を尖らせて不満げに呟いている王子様は、将来がとても楽しみな相当な美形だ。
「そもそも、兄上がいけないんだ。僕を放っておいて、時々、異世界へ行ってしまうんだもん。」
綺麗な緑色の目に不満げな色を湛えて、ラティファは言った。兄上が魔王に即位してから、とても忙しくなった。前は、時々、一緒にご飯を食べたり、剣の稽古などもつけてくれたのに、今では、忙しくて、顔すらみていない。
ラティファが、3歳の時に、前魔王であった父と母が、流行り病で亡くなってしまった。兄である魔王は、まだ20代半ばと言う若さで即位して、精力的に治世を行っていた。
兄上は、多忙を極めるのに、時々、ふいと姿を消してしまう。不思議に思ったラティファが、兄の後を追って、この世界を見つけたのだ。
沙也が作ってくれるご飯は、美味しい。時々、サヤが買ってくる「すぃーつ」と言うものは、絶品で、王宮でさえ、こんなに美味しいものを食べたことがない。沙也から、初めて一口もらった時には、あまりの美味しさに驚いて腰が抜けるかと思ったくらいだ。
今では、サヤが時々買ってくる「すぃーつ」が、ことのほか楽しみであったりもする。「くれーぷ」と言う薄くて甘いお菓子もあれば、「しょーとけーき」と言う名前の、クリームたっぷりの果物が挟まったお菓子もある。時々は、「ちょこれーと」と言うのも食べさせてくれたし、こちらの世界のお菓子は、とっても美味しい。
なんでも、沙也は一生懸命に「りさーち」して、美味しいお菓子を探すのが楽しみなんだ、と、言っていたけど。「りさーち」って言うのも、お菓子の名前なのかな?
それに・・・サヤに、毎日、ナデナデして、抱っこして、チューしてもらっている、と言うのは、従者には口がさけても絶対に言えない・・・ 沙也にナデチュウされるときは、王子が視界遮断の結界を張るので、従者には、完全に見えなくしてある。ベッドで一緒に寝ていることも、ナイショだ。
従者には、サヤが着替えをするから、とか、乙女の寝姿をお前は見る気なのか!と威嚇しつつ、結界を張ると言う対処方法をとっている。
それでも、宮殿にお戻りください、と食い下がる従者に負けて、ラティファは、沙也が会社に行っている間は、宮殿に戻り、沙也の帰宅時間に合わせて、ワンルームに戻る、と言う提案を渋々と受け入れた。
まあ、考えてみれば、いくら第三皇子だからと言っても、ずっと宮殿を開けっ放しにする訳にはいかない。アリバイ工作をしたほうが、沙也と長い間一緒にいられそうだった。
そうして、第三皇子の二重生活が始まったのだ。
「俺、大きくなったら、沙也をお嫁さんにもらうんだっ!」
ラティファは、そう決めていた。