森の小屋
沙也はユリウスと共に朝食を食べ、笑顔で執務に出かけるユリウスを扉の影から見送った。「わざわざ影に隠れることはない」とユリウス様に笑われたが、隠れるのが習い性みたいになってるのだ。
情けないことに、ユリウス様の笑顔をみると、自分が蕩けたチョコレートみたいになってしまう。げっぷが出る程甘い顔をしているのに違いない。
思っていた以上に、ユリウス様は優しかった。それに、ゆったりとくつろいでいる時のユリウス様は、「魔王様」でいる時とは違って、ずっと親しみやすくて、気楽だった。もし、自分に兄がいたら、きっとこんな感じになるのかもしれない、と思った。今まで、彼氏なんて一人もいたことがなかったから、よくわからないことも多かったのだが。
執務に向かう彼を見送る時に、頬に軽い口づけを、ちゅっと落とされて、胸の中に、ほんわりと暖かいものが流れた気がした。
( なんだ、この幸せ感は? )
きっと、新婚の新妻が夫を見送ったら、こんな風になるのに違いない。沙也は、頬に残った彼の暖かい唇の感触を忘れまいと、そっと、頬に手をあてた。
沙也は、大きな居間に一人取り残された。一人になってほっとしたのもつかの間、なんとなく寂しくなった。
ベッドルームに戻ると、ユリウス様が昨日着ていたジャケットが、無造作に放りだしてあった。思わず、それを肩からはおってみると、袖は、自分の指よりずっと先にあるし、肩幅も自分より随分と大きかった。なんとなく、ユリウス様に包まれているような気がして、嬉しかった。それをぎゅっと抱きしめた後、ベッドに戻り、ユリウス様の高級な掛布団をぎゅうぅぅっと抱きしめ、頬をすりすりと摺り寄せた。傍からみたら変態に見えるかもしれない。でも、ここには自分しかいないからいいのだ。
・・・好き。ユリウス様が好き。
「好き。大好き。」
小声で、囁くように呟いた。
胸の中で、彼に対して、暖かで優し気な感情が生まれていた。自分より大切な存在、と言うのがこの世にはあるのだ、と思った。彼のことを考えると、胸の中で優し気な感情がさざ波のように揺れる。彼の妖艶な紫色の美しい瞳でじっと見つめられれば、心がときめいてしまうのは、どうしようもない。
つい、その綺麗な顔に見とれ、その逞しい胸に抱きしめられたいと思う。
好きを通り越して、もう好き過ぎてるのかもしれない。普段はものすごく威厳があって怖いのに、ふとした時に笑ったときの笑顔がとても可愛いとか、魔の森に迎えに来てくれた時のカッコいい所とか。長くて、綺麗な指に魔石がはめ込まれた指輪をしていて、その手の形がよくて素敵だな、って思ったこととか。魔力が強くて、誰にも(きっと)負けない所とか。
知らなかった彼の素顔を見るにつれて、最初の怖い魔王様というイメージがどんどん薄れていくように思えた。
幸せな気持ちで、すんすんと鼻を嗅ぎ、ユリウス様の匂いを感じた。なんとなく夢見心地で、また明日から、新しい先生が来るらしいとか、とりとめのないことを考えた。
いかんいかん。これじゃ、色ボケしてしまう!
少し頭を冷静にしようと、王宮の庭を散歩することにした。王族しか入ってはいけない庭だが、沙也は、ユリウス様の許可があるから、城のどこへでも行けるのだ。
一歩、魔王様の部屋から出てみると沙也の宮廷内の立場は一転したようだった。前から、魔王様の客人としての扱いだったのだが、ユリウスと一夜を過ごしたせいか、ユリウスの寝室を一歩、出た瞬間に、護衛が待ち構えていた。
「これからは、常にご一緒させていただきます。」
礼儀正しく膝をついた騎士は、沙也専属の護衛なのだそうだ。騎士らしく高潔な容貌をしていた。『騎士の中のエリート中のエリート』と言うよう風貌だった。さぞかし、仕事がお出来になるのに違いない。
「リチャード・マクレーンと申します。以後、お見知りおきを。」
しかし、護衛がどんなにイケメンでも、一人でいるほうを沙也は圧倒的に好んだ。
「私には、護衛など必要ありませんが。」
思わず、仏頂面になったのは勘弁してほしい。孤独を愛するクロノスの番人の性格として、「護衛」と称して、常について回られるのは、非常に不本意だ。
「いいえ。ユリウス様の大切なご寵姫様です。護衛なしでいらっしゃってはなりません。」
( へ? いつから、寵姫になったの?!)
沙也は、目が点になりそうだった。今では、割と一人で気儘に過ごせたのに、護衛なんかいらないのに。 まあ、よく考えたら、ユリウス様とそういうことになったら、『寵姫』ってことになるのか・・・
・・・でも、ユリウス様の「大切なご寵姫」って呼ばれちゃったじゃん!
「ユリウス様の大切な」、「大切な」って形容詞がついてるよ!
それが、ほんの少しだけ嬉しかったのだが、だからと言って、日がな一日、護衛に自分の周りをうろちょろされたら困る。
沙也は、なんとか断ろうとしたが、近衛は、「仕事ですので。」と一向に沙也から離れようとしない。
「まいったな・・・」
生真面目、几帳面な顔をした厳格な近衛は、何が何でも沙也から離れようとしなかった。
(亜空間でこの男を撒くか。)
咄嗟に亜空間を開き、その中へ隠れた。
「沙也様!」
リチャードが、端正な顔から血の気を引かせながら叫ぶ声が聞こえた。
(護衛対象に逃げられるとは!)
さて、どうしたものかと思案しているリチャードに、沙也は、
「王城からはでないから安心して!」
亜空間から、きちんと彼に声が届くように、言葉を送った。
◇
王族の庭は、庭と言うより、広大な森に近い。川のほとりをのんびりと散歩して、林の中を抜け、野原に咲いている花を愛でていた。森の木々の間から、キラキラとした木漏れ日が差し込み、気持ちのよい朝だった。
季節は夏から初秋へと変わろうとしていた。コスモスの花がちらほらと咲き始め、白やピンクの花が綺麗たった。
それほど遠くない場所、川のほとりに、小さな一軒の家が目にはいった。周囲は、あまり面倒を見られていないようで、所々雑草が生えていた。好奇心のあまりその家の中を覗いてみたら、随分と長い間使われていないようだった。
ふっと、目をやると小屋の傍で雑草を抜いている人がいた。使用人だろう。
その老人と目があった。
「はて、お見受けすると、貴方様は、王族の方ではないようですが・・」
老人は不思議そうに沙也を見た。
「私は、王族ではありませんが、許可は得ているのですが・・・」
「ああ! 新しくいらっしゃったクロノスの番人の方ですね。」
「ええ、そうです。」
「この小屋が気になりますか?」
「素敵な場所だなって思って。」
「中をご覧になりますか?私は、管理人なのです。」
「えっ?いいのですか?」
「ええ、沙也様・・ですな? 城の中ならどこでも出入りされてよい許可を伺っております。少しお見せしましょう。」
そういって、管理人は、小屋のドアを開けた。
随分使われていないようだった。ドアを開けると、光で舞い散った埃が見えた。
暗い部屋に一筋の明かりが差し込むと、部屋はとたんにイキイキとした活気を見せ始めた。
居心地のよい居間には、趣味のよい花柄の生地が張ったソファーに、本棚。可愛らしいキッチンもついていた。寝室もあった。
「どの家具もすぐにお使いいただけるようになっております。」
小屋の前には、テラコッタのタイルで張ったバルコニーがあった。何もおいていないがらんとしたスペースだが、寄せ植えを飾ったり、日傘のついたテーブルやチェアを置いて、オープンカフェ風にしたら、きっと素敵だろう。
「素敵なお家ですね。」
沙也は、この小屋が一目で気に言った。ここを利用できたらいいなあ。と思ったのだ。王宮の沙也の部屋にはキッチンがない。それに、いつも侍女とか、文官がいて、人目がある。
やっぱり、たまには自分で作ったものが食べたいな、と思う時があるのだ。それに、ここなら、お菓子も作れる!
沙也の趣味はスィーツめぐりだが、自分でもお菓子を作る時がある。気分転換にちょうどよいのだ。
キッチンの中には、調理道具一式があり、お菓子を作る道具もあった。
「これはどなたのものなのですか?」
「前の王妃様が所有されていたのです。生前は、時々、こちらをご使用になられました。」
ユリウス様のお母様の持ち物なのか・・・ この小屋の雰囲気から察するに、ユリウス様のお母様とは、とても気が合いそうだった。随分前に、お亡くなりになったと聞いていた。
生きていらっしゃたら、きっといいお友達になれたかもしれない。 沙也は、ユリウスのお母様に思いを馳せた。
◇
と言う訳で、沙也は、小屋の使用許可をとりに、いそいそとラファエロの執務室に向かっていた。「善は急げ」だ。 管理人のお爺さんから、ラファエロに許可をとれば、この小屋は使ってよいのだと教えてもらったのだ。
途中で、ふと窓の外を見ると、長い銀の髪を後ろで一つに括っている男性が城の中庭を歩いているのが目にはいった。
(あの人、なんだか、私に似ている・・・)
沙也は、直感的にそう感じた。
しかし、距離がやや遠い。じっと見つめても、顔がよくわからない。
ふむ・・亜空間から眺めることにするか。
咄嗟に亜空間を開き、その中に入った。亜空間は、異次元のようなもので、自分の姿を見せずに、対象者の傍に行き、じっと観察することができる。もちろん、相手には見つからない。
うーむ、このスキルは、スパイに使えるなあ。
事実、その通りだった。王位継承権をめぐる争いの時に、クロノスの番人は、亜空間からスパイとして活躍した実績があるのだが、沙也はそれを知らなかった。
そうして、亜空間から、その人の傍に近づいた。
( むむっ! このヒト、妙に神経質そうだ。きっと、しつこく人にネチネチと絡むタイプだ・・・)
傍によらないほうが賢明なタイプだ、と沙也は判断した。しかし、沙也は、油断していた。 ・・・まさか、気づかれるとは思ってもみなかった。




