雨具、星野、そして呼び出し。
いつも通りひよこ時計に聴覚を刺激され、ゆっくりと起き上がった。
少し早めにセットしたひよこ時計を叩くような感覚で止めると、ひよこの鳴き声が止まり、代わりに聞こえてきたのは水滴が大量に落ちる音。
一応遮光カーテンを脇へ移動させ、確認はしておく。本来ならば目を逸らしたいところですが、そうもいかない。
・・・生憎の、雨ですね。
雨はスーツを着る社会人にとって天敵も同然である。特にスーツのまま接客せねばならない会社の社員にはなおさら。
スーツは『乾きにくい、痛みやすい、型崩れしやすい』の三拍子が揃っている。いくらブランドスーツであってもそこは変わらないため、丁重に扱わなければならない。
そのため完全防備しなければいけないので、面倒くさい出勤となりそうだ。
クローゼットからレインコートと長靴を取り出す。
レインコートと長靴は先日購入したもので、新品である独特の臭いが鼻を掠めた。
入社した後すぐさま買いに行ったこの雨具は灯子が持っていなかったもので、前世で私が愛用していた形のレインコートである。
長めの丈が特徴で、帽子も大きく、雨で顔が濡れないようになっているという優れもの。
ふふん、雨なんぞで化けの皮は剥がされまいよ。
少し急いで化粧をしてから、パンツスーツを着込み、レインコートをその上に着る。
会社には金持ちの社員が多く、こんな日には車で送ってもらう人が多いだろう。故にそんな早く出勤することはまずないと推定する。
なので私はいつもの時間よりも早くに家を出た。
レインコートなんて着て出勤している姿を見られたら、金持ちの人達は貧乏だと馬鹿にしてくるだろうからね。
灯子も大学に行く時に雨が降っていたら車で送りと迎えも呼んでいたから。
あんた等は知らないんだ、レインコートが、どれだけ優れているかを・・・。
会社に着いたあと裏口へと回って、レインコートを脱ぎ始める。表口でレインコートをしまっている姿が見られたら元も子もないのだ。
脱いだレインコートを専用の袋に入れた後、長靴から革靴に履き替える。
この長靴も折りたたみ式という優れもので、置き場所に困らない、そして隠しやすいということで購入した物。
値段は少々高かったが、足下がずぶ濡れになるよりかはマシだろう。
ほら、こんなにコンパクトなんですよ。綺麗に折りたためるんですよ、凄いでしょう。
続いてもう片方・・・
「ぁ・・・!?」
ふいに悲鳴のような声が聞こえて顔を上げると、そこにはレインコートを着た伊藤さんが立っていた。
何故かこちらを凝視して石像のように固まっている。
「おはようございます」
「は、はい。おはようございます」
戸惑った口調で挨拶してくださる伊藤さん。
なるほど、昨日タバスコあげたから反応に困ったんだな。これは申し訳ないことをした。
もう片方の長靴を折りたたんでから長靴専用の袋にしまい、さらにそれをレインコートが入れてある袋にしまう。その作業が終わったあと、伊藤さんを見てみた。
すると、レインコートのボタンが取れないのか、悪戦苦闘している姿が目に入る。
「伊藤さん不器用なんですね」
「えっ、そうですね、いつもはすんなり外れるんですが・・・」
なんて言いながら、必死にボタンを外そうとしている伊藤さん。
見るに見かねて上司のレインコートのボタンに手をかけると、あっさり外れた。
「!」
「今日は接客について教えて頂けるのですよね」
「え、えぇ。レジの操作も数名に覚えていただこうかと思っております」
「なるほど、腕が鳴りますね。失礼します」
スムーズに後ろへと回ってからレインコートの肩部分を持ち、するりと伊藤さんの肩から下ろす。
あぁ、そうだ、前世とは対応の仕方が全然違うだろう。
早く覚えてしまわねば足を引っ張ってしまう。元社畜の本気を見せねばなるまい。
レインコートの水を切ってから折りたたむ。
「伊藤さん、レインコートの袋はお持ちでしょうか」
「は、はい」
「お借りします」
出来るだけ外側に水滴が付かないよう、配慮しながらもレインコートを袋にしまう。
そして受け取りやすいように伊藤さんへと差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます、手慣れて、ますね」
「・・・そうですね」
灯子が、福永さんで練習しましたからね。
ごめんなさい福永さん、そんな嫌がらないで、距離置かないで。
「あの、なぜ裏口から・・・?」
隣を歩く伊藤さんがそんな質問を投げかけてくる。
裏口から会社に入ろうとしたのか、と聞きたいのだろう。主語がないぞ伊藤さん。
しかしそのことは敢えて触れずに、質問に答えることにしよう。
「伊藤さんも裏口へ回って来たじゃあないですか」
「?」
「?」
首を傾げる伊藤さんにつられて、私も首を傾げる。
イケメンが首を傾げるというだけでも目の保養になるというのに、童顔の伊藤さんがやると可愛く見えてくる。
いやまて、なにか言葉が足りなかったような気がする。
なぜ伊藤さんが首を傾げているのか・・・。
あぁ、そうか。
伊藤さんが来たときには、私のレインコートはすでにしまっていたな。
「言葉が足りず、申し訳ありません。私もレインコートを着て出勤してきたのです」
「・・・え!?」
そう驚いたあと、思ったより大きな声を上げてしまったと口元を抑える伊藤さん。
おいおい、そんなに私がレインコートを着てくる姿が意外だったか。
灯子も普通に着てきたりしますよ。
「・・・庶民的、なのですね」
「お言葉ですが、庶民とは人口の多数を占める一般的な人々のこと。一般的、と仰られたほうが聞こえはよろしくありませんか?」
「!っははは、その通りですね、宮本さんは一般的な方です。
それで、俺も一般的な、人だ」
少し悲しそうな顔をする伊藤さんの表情とは裏腹に、瞳は澄み切った琥珀色をしていた。眼鏡越しでも分かる、黄昏時の太陽のような綺麗な色。
まるで、雲に隠れている太陽の代わりのような・・・
「どう致しましたか?宮本さん」
「・・・いえ、相変わらず美形だなと」
「きょっ・・・恐縮です」
声が裏返ったため言い直したのだろう言葉は、なんとなく違和感を感じた。
言われ慣れているだろうに、初心な反応をするものだ。
とりあえず自分の席に座り鞄を置く。周りを見渡したところ、私と伊藤さんしか来ていない模様。推測通りだ。
さて、朝礼まで時間はまだまだある。その間、この会社にいるイケメン共をご紹介しよう。
まず始めに、伊藤さんである。
誰にでも優しく頼れる上司であり、会社に居る女性の大半に狙われているエリート。
出世した時の年齢は27だそうだ。早い、早すぎる。いくらなんでも私には無理だろう年齢。早くても30前半だろうな。
今の年齢は28らしい、倉橋ちゃんから聞いた。
美形、優秀、優しい、この辺りが人気を呼んでいるのだろう。
続きまして、皆様も少々存在を忘れかけていただろう・・・
城田要くんである。そう、赤髪赤目の彼。
笑った顔が印象に残る彼も、結構人気だ。特に年上の方が狙っている。
お笑いが好きだと言うところが、好印象に思えるので結構仲良くしている同期の1人です。
あ、別に福永さんがお笑い番組好きだからとかそういうわけじゃなくてですね。私も個人的にお笑いが好きだと言いますか。
美形、明るい、若い、彼が人気の理由は倉橋ちゃん曰わくこの辺りだそうだ。
そして、まだあまり話しをしたことがない、星野さんという伊藤さんの一個上の先輩がいるらしい。
銀色の髪に青色のサファイヤのような瞳の美形、らしい。もうツッコミは入れないぞ。
なぜ「らしい」と噂を聞いたような物言いなのかは、全部倉橋ちゃんから聞いた情報だからだ。
あの絶賛っぷりは尋常じゃない。さぞかしイケメンなのだろう。
一度お目にかかりたいが・・・仕事が優先。
あぁでも、気になる。女の本能という奴だろうか。
・・・よし、また倉橋ちゃんに聞いてみよう。
「おはようございます!伊藤さん!」
と、噂をすればだ。
伊藤さんに元気よく挨拶したあと、隣の席に座る倉橋ちゃん。
「宮本さんもおはよ!」
「うん、おはよう。あのさ・・・星野さんについてなのだけれど」
「っえ!?星野さん!?」
「声が大きい」
しっ、と人差し指を口に当てて、声を小さくしなさいとジェスチャーする。
倉橋ちゃんははっとしたように口元を抑えて、満面の笑みを浮かべた。
・・・言うんじゃなかったかな。
「で?星野さんがどうしたの?」
「いや、うん・・・どういう人なのかなって」
「きゃーっ!」
「だからうるさい」
周りを見てみると、ちらちらとこちらを窺っている人が数名。いつの間にか出勤してきていた城田くんもこちらを険しい顔つきで見ていた。
怒るなら倉橋ちゃんでオネシャス。
「え、えっとね、星野さんは少し厳しい方で、でも凄く頼れる方らしいよ!小馬鹿にしてくる笑顔が可愛いって評判なんだよ!」
うん・・・?それって可愛い、のか?
反応に困っていると、倉橋ちゃんは続けて喋り始める。
「それで、昼食のときは昼寝をしてるらしくて、その寝顔がまた可愛いんだって!」
「あぁ、美形の寝顔、それは見てみたいかも」
「でしょ?ライバルも少ない方だし、今が狙い時なんじゃないかな!?」
「いや狙わないよ」
「そうなの?まぁ落としたい時には言ってね!」
そんな時間ありません。
一つ溜息を吐いてちらりと隣を見てみると、城田くんと目が合う。
おっと、口パクで『うるさい』と笑顔で言われてしまいました、これはお口ミッフィーちゃん待ったなしです。
続いて遠いところに居る赤崎さんを見てみます、こちらも目が合いますね。
これはまずい!赤崎さん舌なめずりをしています。私の中の危険信号が赤になりました、あかん。
そして次に伊藤さん。目は合いません。
おおっと、あれは日課の菩薩、菩薩顔です!仏像に成りきっております!今オプションが追加されました、合掌です!
そして最後に私の名前を呼んだ会社員の女性。目が合います!
鋭い目つきで睨んでおります!
「ちょっといいかな、宮本さん」
ちらっと合掌している仏像をみる。
伊藤さんは一回、灯子の呪いを受けてみればいいと思うの。