1、いつもの、何が起こるか分からない日常。
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目は視覚的情報を得る。逆に言えば目は視覚的情報しか得る事が出来ない。
要はテメーの器が得られる物には限度があんだっての。何でもかんでも手を伸ばして掴もうとしたってその前に得たモノが手の中から離れるだけだぜ?
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路地裏をふらついていた。フードを被って。手をポケットに突っ込んで。
街灯の無い路地裏は何も見えず、ただ闇だけが広がる。闇は何も喋らないで俺を包み込む。
別にやる事なんて無かった。何処かに行く場所も無かった。
行く宛も無く、ただただ彷徨い歩く。
俺は帰る場所なんて疾うに無くした根無し草だ。
大切な人もいない。人間なんて愛しちゃいない。世界なんて愛しちゃいない。
だが、殺す瞬間だけ。
何を言っても無駄な人間が、何を言っても無駄な世界が愛せる。
俺という異常者の存在を証明出来る。
前方に一人の人間を見た。……こっちに来る。
俺はポケットの中の右手、右手の中の――サバイバルナイフを強く握る。
すれ違う瞬間に……刺セ。相手が怯んだら刺シマクレ。動かなくなったら剥ギ取レ。頭は身体にそう命令する。
口元が、にやけちまう。血がざわざわと疼いて俺を急かす。―――まだだ。まだ早い。
蠢く血を鎮めさせる為。俺は自分の血によって麻痺した手でフードの端を持ち、目深に被る。そしてまた手をポケットに入れる。
腕が、手が、指先が。
欲が……疼き出す。
そして俺は―――赤に染まる。
この肉体の思うままに欲を満たす。
………………あぁ。
なんて綺麗な赤なんだ――――。
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いつもの、何が起こるか分からない日常。
「戰椰! 昨日の続き、聞いてくれよ!」
教室の一番後ろの机に突っ伏している俺のところに一人の青年が来た。
「まだあるのか……聞くだけだぞ。何の反応もしないからな……ふわぁ……」
欠伸が出た。口を手で覆う。目の端には涙が浮かぶ。
「あれ、なんか眠そうだな?」
「誰のせいだと思ってる。あんな真夜中まで電話に付き合わせといて」
「冷たっ! 冬の北海道のオホーツク海並に冷たい! い、いいだろ! だってあの仁科さんと付き合い始めたんだぜ!? このオレがあの天使様と! いや、天使というよりかは女神様か!? イエス様か!? このテンションどーするよ! ひゃっほぉー!!」
いちいち表現が煩わしい。それに声がデカい。周りの人間にまで聞こえてしまっている。そして目の前で聞いている俺の寝不足の頭には痛いくらいにガンガン響く。
――四月十五日、月曜日。時刻は午前八時。
先に色々と紹介をしておこうか。
俺の名前は木南戰椰。この琴霧高校の三年生。これといった取り柄も無いただの男子高校生だ。
そして先程から俺に喧しいくらい元気に話し掛けて来るこいつは伍堂珠貴。いつも明るく、クラスのムードメーカーを務める。金色に染めた髪を持ち、小さなピアスをして、且つ学校の規定の服装を乱して登校して来る校則違反の常習犯、そして遅刻魔でもある。よってよく生徒指導部に呼び出しをくらって叱られている。……見た目は不良っぽいが今言った行い以外の不品行は殆ど無い。
さて、さっきから伍堂が溌剌としている理由を説明するには……昨日にまで遡らなくてはならない。
と言ってもそんな長い話でもなく、伍堂が同じクラスの仁科弥生という女子に昨日の放課後に告白をし、オーケーを貰っただけ。俺からすればたったそれだけの事と思える話が、伍堂からすれば相当嬉しかったようでこいつは昨日の夜中からずっとこのテンション。……色恋沙汰に全く興味が無い俺には何故そんなに嬉しく感じられるのか、よく分からない。
そして俺が今眠い理由はこいつのせいだ。
昨晩電話を掛けて来て「戰椰! オレ仁科さんに告白した! そしたら仁科さんもオレの事が好きだったんだって! やべえ、オレどうしよう!!」とか電話越しで、しかも大音声で喋り始めた。
だがこいつが誰と付き合おうと俺には全く関係の無い事なので「良かったな、じゃあ切るぞ」と電話を切ろうとしたら「待って! もうちょい聞いて! でな、その後にオレが……」と喋り続け、ずっと一人で話し続けていた……本当に一人で。
というのも俺が風呂に入る時でさえ「切らないで! 聞かなくていいから喋ってたい!」とか言っていたから。俺は途中で聞くのも疲れてきたので電話の電源は切らずに適当に放り投げて勉強を始め、空返事でやり過ごしたのであまり真面目に聞いていない。
ただでさえうるさい奴がベラベラとハイテンションで喋りまくって、結果的に俺が寝たのは午前四時くらい。毎日五時に起きている俺はとりあえずいつも通りに起きてみたが流石に眠過ぎて二度寝し、七時に起きた。
多分今日の授業は睡魔に勝てず寝る事になるだろう。
「何でおまえはそんなに元気なんだよ……」
「何でって、当たり前じゃん! 仁科さんの事考えてると心臓のドキドキが止まらないんだ! 昨日とか戰椰に電話切られた後もずっと起きてて、一睡もしてないんだ!」
教室全体に響き渡るくらい大声で語る伍堂。……うるさい。頭が痛い。
その声で話している為にクラスの人間は伍堂と仁科が付き合い始めた事を嫌でも耳にする事になる……というか昨日の時点で伍堂があらゆる人に電話をしまくった為、殆どの人間が知っていたらしいが。こいつには付き合っている事を秘密にするという考えは無かったのか? クラスの全員が珠貴のハイテンション振りを見て笑っている。
「あ!」
ふと、廊下を見た伍堂が声をあげた。俺もつられて廊下の方を見た。
そこに二人組の女子が見えた。その一人は伍堂がさっきから話している仁科弥生だ。
「うわ、来た! どうしよう!? 戰椰、助けてくれよ! ヤバい、オレ! ザ・珠貴ズ心臓のドキドキに殺されるぅ!!」
「何だその変な名前は。勝手に殺されてろ……というか叩くな、袖を引っ張るな」
セーターを思いっ切り引っ張りながら背中をバシバシ叩いてくる伍堂。耳だけでなく、背中にまで痛みを与えないで欲しい。伍堂の俺を引っ張る腕を払おうとしたが、次には腕をガッシリ掴まれてしまった。
「おっはよーんっ!!」
二人が教室に入った瞬間、一人の女子が元気に挨拶をした。そしてそのまま俺達の方へ来たこいつは……
「珠貴! ヤヨから聞いたよ~! おめでと~っ!」
「スイ! へへ、ありがとな!」
スイ――本名、藤代水季は伍堂に拍手をした。
藤代は伍堂と同じでとにかく明るい。背が低く、腰まで伸びる長い髪を高い位置で一つに結っている。その矮躯な体と狐の尻尾のような髪、そしてちょこまかとした行動が小動物を思わせる。
因みにスイという徒名は名前の水季から。水季の『水』を『スイ』と読んで、この徒名が付けられた。
そして藤代の後を付いて来たのは噂の、伍堂が先程から熱弁するあの女神。
「おはよう、木南くん」
笑みを浮かべて俺に挨拶してきた仁科弥生。
赤い眼鏡に、肩までしか無い毛先のカールした髪、スラリとした長身。伍堂や藤代とは全く違う、そして俺ともどこか違う、大人しめの性格だ。藤代とは常に一緒にいる。クラスの皆から頼られる優しい人間性の持ち主。
「えっと……伍堂くん、おはよう……」
「はは……お、おはよ……!」
二人は照れ臭げに挨拶を交わした。それを見ていた藤代は
「うふふ~。いいねぇ、アツいねぇ。今雪が降ったら全て溶かしちゃうくらいアツいねっ! 見てるこっちまでアツくなっちゃうよ、お二人さん! あ、もしや、あたしたちお邪魔かなぁ? 二人だけにした方がいっかなぁ?」
「「ま、ま、ま、まって! 二人だけはまだムリ!!」」
「にゃはは! 二人して声揃えて同じ事言ってて……カワイイなぁ~!」
藤代は二人を見てニヤニヤしながら茶化し、伍堂と仁科は頬を赤くする。俺はこいつらの様子をただ一人、一言も話さずに傍観する。
……いつもの事だ。少しばかり昨日から関係が変わったが、至って普通の、いつもと変わらない俺達四人の日常。
この日常が生まれたのはクラス替え。
琴霧高校では今から約一週間前、学年が上がった事でクラス替えが行われた。
一年では伍堂と仁科、俺と藤代が。二年からは四人全員が同じクラスだった。この時は皆、特別仲が良かった訳でも無いのだが、今年三年になって俺達は全員揃ってまたも同じクラスとなり、元のクラスの人間同士として固まっていた。
以来、級友のこいつらとは今のように何かと話すようになった。皆比較的に席が近いという理由なのだろうが、俺みたいな暗くて無愛想な奴とよく話す気になるな、と密かに驚いていたりする。
少々昔に浸っていたその時、チャイムが鳴った。先生がドアを開けて入って来た。
「おっと、戻んなきゃ!」
「うにゃ、そだね~っ!」
「それじゃあまたあとでね」
俺の席から三人は離れた。
一人残された俺は腕で顔の周りを囲むようにして、再び机の上にバタンと突っ伏した。教室の光が遮断される。
――今日もまた始まる。
何が起きるか予期出来ない、何も分からない一日が。
ここで少し考えてみようか。どんな事が起きるのかを。
きっと今日俺は―――――だろう。
俺は腕の中の暗闇で、誰にも知られずに一人嗤った。
= ◆ * ◇ * ╋ * ◇ * ◆ =
キーン、コーン、カーン、コーン……。
チャイムが学校中に四時限目が終わった事と昼になった事を告げる。
俺はそのチャイムで深い眠りから覚めた。
あぁ、やっぱり……
「寝てたのか……」
机から顔を上げて独り言を呟く。四時限目の古典のノートの字が滅茶苦茶だ。読めない上に漢字ミスばかりしている。余計な線が入っているのは多分突っ伏した時の弾みで描いてしまった為だろう。後で誰かからノートを借りて写さないとな、と眼鏡を外しながら誰に借りようかと考える。
「なぁ、戰椰!」
起きたばかりの俺の所にいつもの三人が来た。
「って戰椰っ! おでこに跡付いてるっ! 眼鏡の跡まであるよぉっ!」
「木南くん寝てたもんね。良かったらノート貸そうか?」
仁科が自席に戻ってノートを取り出し、前額に付いてしまった寝跡を押さえる俺に微笑みと共に差し出す。
「困った時はお互いさま」
「あぁ、悪いな。放課後までには返す」
仁科のノートをパラパラと捲り、今日の授業範囲の場所を確認する。二年の時から使っているノートなのだろう、最後の方に今日書いたページがあった。見るとそこには綺麗に整った字。板書だけでなく先生の話のメモまでちゃんと取っている。予習もしっかりやっているようで、教科書の文章を写し、意味調べなどまでやっていた。
「うわぁ、仁科さん偉すぎるわ……オレ三年になってノート写した事一回も無いんだけど!」
「にゃは、水季ちゃんをなめるな~っ! あたしなんて二年のとき一回も数学写さなかったよんっ!」
……二人して誇り高く言っているが、全く自慢にならない。
「よし! 今日の昼、外で食おうぜ! 晴れてて暖かいし!」
弁当を片手に持って伍堂は言った。
「反対の反対! つまり賛成っ! お腹減ったぁっ! あたし、授業中ずっとお腹鳴っててさ~!」
「あの音、スイちゃんだったんだ? ふふ、一回すごく大きな音で鳴ってたよね」
「うんうん、すんごい恥ずかしかったぁ!」
そんなよくある雑談を交えながら。
俺達は昼を共にする為に桜の花びらが散る四月の暖かい陽射しの元へ出た。
ここまでは高校生かな。
ここまでしか高校生じゃないのかもな。