第三章:アレクの戦い
竜の墓前の広場は、仄かに明るかった。
長い階段を登り終えたアレクの目に映ったのは、一頭のドラゴンだった。アレクは慌てて木の陰に隠れる。剣を鞘から抜いた。
その竜は体長およそ三メートル。破壊された祭壇の奥に広がる洞窟の入り口を、番人よろしく見張っていた。
いつも空だった二つの松明受けには、松明が赤々と灯っている。
洞窟は迷宮になっていて、その最奥部に竜王の骨が封印具と共に封印されている。
人間の姿は見当たらない。既に洞窟内に入ってしまったのだ。
(俺も入りてぇけど……あのドラゴンが邪魔だよな)
ドラゴンは強い。そして敏感である。アレク如きが戦って、勝てる相手ではない。
(それなら……)
アレクは、足元に落ちていた手頃な石を拾う。そして共同墓地の方へと、思いっ切り投げた。
――ガツン、ドス。
石は緩やかな放物線を描きながら、木に当たって落下した。運良く松明受けの一つを掠めて、それをなぎ倒す。
大きな音がした。
ドラゴンがすぐに反応し、そちらを見やる。のっそりと立ち上がって歩き出した。
(よし、今だ!)
アレクは、ドラゴンが目を離した洞窟へと駆け出した。
しかし、
――ガキィィン!
突然、アレクの体を衝撃が襲う。
やはりドラゴンは侮れなかった。走り出したアレクに気付いたドラゴンは、その太くて長い尻尾で、強烈な一撃を加えたのだった。
とっさに剣を交差させてガードするも、アレクは吹き飛ばされ、地面を転がって、崖に体を強かにぶつけた。
「痛ってぇ……」
至る所に擦り傷はあるものの、幸い大きな外傷は無かった。骨折も無いようだ。
アレクは、左の額から流れる血を拭いながら立ち上がる。尻尾が掠ったのだろう。
「……! ってマジかよ」
ふと見ると、左手に握っていた剣の刃が、中頃から無くなっていた。ドラゴンの攻撃に耐えきれず、ガードした時に折れたのだ。
「クソっ」
その間にもドラゴンは近付いて来る。
両者は対峙した。アレクは汗ばんだ手で、剣を握る手の力を強める。
何としても逃げなくてはならない。剣が二本あっても適わないのに、この状態では尚更だ。
アレクは少しずつ洞窟の方へと移動する。元からそれが目的だったし、ドラゴンは大きすぎて入れない。竜使いも、そのためにドラゴンを置いておいたのだろう。
少しずつ、だが確実に洞窟のそばまでやって来た。アレクは、横目で距離を確認する。
「ギャアァァア!」
「!」
ドラゴンが前足を振り上げた。アレクはタイミングを見計らって、左手に持っていた折れた剣をドラゴンの顔に向かって、勢い良く投げる。
アレクの目論見通り、ドラゴンは振り上げた前足で、その剣を払った。勢いを消したドラゴンの前足は繰り出される事無く、その場へ着地する。アレクはその隙に洞窟へと、出来る限りのスピードで走り出した。
とうとうドラゴンを出し抜く事に成功した。
「やったぜ!」
更にスピードを上げるアレク。洞窟まであと二メートル、という地点に来たときだった。
突如アレクの顔の前に、棒が突き出される。
「うぉっと。危ねえ」
持ち前の反射で、アレクは難なくそれをかわした。
「敵か? ……ったく、次から次へと!」
一歩後ろに飛んで、アレクが叫ぶ。
「ここは通さない」
不意に、澄んだ声が発せられた。その声は高く、凛としている。男の出せる声域ではない。
「……女?」
アレクは驚いた。相手が女性であるというという可能性は、全然考えていなかったからだ。
洞窟の中から、一人の女性が出て来た。恐らくは長いであろう黒髪を束ね、黒と緑の服を着ている。端整な顔立ちだった。髪と服が闇に溶け込んでいるためか、肌はやけに白く見える。何を考えているのか分からない表情は、まるで人形のようだった。
アレクは初めて見たのだが、彼女の着ている服は間違い無く竜王軍の兵服である。しかし若い。アレクは女性の年齢など分からないが、彼女――少女といっても大丈夫だろう――はアレク程若かった。
「その剣をルビィが折ったら、あなたの武器は無くなる。抵抗はしないで下さい」
ルビィとは、ドラゴンの名前だろう。少女は機械的な口調で言った。それと同時に手に持った槍を構える。
「なっ、あっちの剣は二千ミラの安物だったんだよっ! こっちのは一万ミラもしたんだ。あっちの五倍は上等だぜ」
アレクも左手で剣を構える。炎に照らされて、少女の瞳の奥で金色の光が光った。
「忠告はしました。引かないというのなら、例え民間人と云えども……覚悟!」
あくまで事務的な口調で言い、少女は槍を繰り出す。同時に、背後のドラゴンも襲いかかってきた。
なかなか強い。アレクは最初の鋭い突きを間一髪で左にかわすと、右腰に差していた鞘を抜く。ぐずぐずしていられない。ドラゴンは、すぐ背後まで迫っていた。
続く彼女の石突きでの攻撃を剣で受け止めると、その瞬間アレクは、左手に持っていた鞘を投げた。
「邪魔だぁ! そこをどきやがれっ!」
「っ……!」
少女がひるむ。アレクはその隙に洞窟へと身を滑らせた。
「投げるモン位、いくらでもあるんだよ」
洞窟の中からアレクは叫ぶ。その声は岩壁に、幾重にも反響した。
アレクは暗闇の中を走る。この迷路は幼い頃からセオドアやジェニと遊んだ場所である。アレクは小路の一つ一つまで熟知していた。
アレクは小川を二つ三つ飛び越え、少し遠回りをした。あの少女が付けているとは考え難いが、一応念の為だ。
しばらくアレクは走り続けた。やがて前方が明るいのに気付いて、そっと近寄る。
封印の扉の前に、銀髪の男がいた。背中しか見えないが、恐らく三十代中盤。少女と同じく、竜王軍の兵服を着ていた。
強力な魔法で封印してある扉は破られていないようなので、アレクはホッとした。
突然、男が振り返る。
「そこにいる者、出て来い」
「!」
アレクは思わず岩壁に隠れる。はったりかと思ったが、男は正確にアレクの方を見据えていた。
「出て来ぬのなら、こちらから行くぞ」
アレクは、仕方無く姿を現した。
「貴様、ここの人間か」
「……そうだ」
「この扉を開けられるか?」
「例え開けられたとしても、てめぇなんかの為には死んでも開けねぇ!」
アレクは啖呵を切って、男を睨む。男はじりじりと近寄って来た。
「なかなか勇ましいな。死ぬ前に名を聞いてやろう。名は何という?」
アレクも間合いを保ちつつ、言い放つ。
「……アレク・フレーシェ。竜の墓守だっ!」
「アレク――守護者という意味だな。では守護者よ、さらばだ」
男は言い終わるなり長剣を抜いて、切りかかってきた。殺気がほとばしる。
適わないとみたアレクは、一旦引こうと振り返って――
「うへっ、マジかよ」
肘が岩壁に当たった。間合いを取ろうと、いつの間にか移動していたのだ。
退路は塞がれた。
「アレクよ、よもや逃げようというのではあるまい」
アレクは胸中で、馴れ馴れしく呼ぶなと毒づく。
彼は左腰に差した剣を抜き、両手で構えた。一本だけというのが、心許ない。
「貴様の腕を見てやろう。どれ」
男は舞うように剣を繰り出す。一撃、二撃、三撃。剣一本で戦い慣れないアレクは防戦一方だった。
「どうした。そんなものか?」
必死で男の攻撃を受け止めるアレク。彼には、男が本気を出していないのが分かった。
「うるせえ! 俺はもともと二刀流なんだよっ!」
アレクの限界も近かった。剣で受け止める度に衝撃が体を揺らす。手が痺れ、感覚が無くなってきた。
(クソっやべえな。眠い……)
アレクが眠気と疲れで足元もおぼつかなくなった時。
「すみません、将軍。遅くなりました」
あの黒髪の少女がやって来た。その言葉にアレクは驚く。
「し、将軍だとぉ?」
将軍という言葉の意味を飲み込むまでに、アレクは少々時間を要した。
「ほう、アレクよ。私の事を知っておるか」
「まさかお前は……ストレッド!? 本物か?」
呆然とするアレクの目の前で、男はニヤリと微笑んだ。
「如何にも。私の名はアーノルド・ステレッド。竜王軍の将軍だ」