第一話
「シルヴィア! 大変ですわ、大変なことが起きましたの!」
夕暮れの執務室。豪華なデスクを両手で叩き、リリスが悲壮感漂う声をあげた。 綺麗な白髪を揺らし、赤い瞳を潤ませている主人の姿に、傍らに控えていたメイドのシルヴィアは即座に拳を握りしめた。
「お任せください、リリス様。どこの馬骨が貴女様を煩わせているのですか? 今すぐその者の屋敷ごと粉砕してまいります」
「待って!? なんでいつも物理破壊で解決しようとするの!? 敵はいませんわ!」
慌てて制止するリリスに、シルヴィアは首を傾げた。
「では、何が大変なのですか?」
「これですわ……! 明日提出の『領地経営報告書』……あと半分も残っているのに、ペンを握りすぎて手が動かなくなってしまいましたの……!」
見れば、デスクの上には羊皮紙の山。リリスの人差し指は赤くなり、ぷるぷると震えている。
シルヴィアは深々と頷いた。
「なるほど。つまり鍛錬不足ですね」
「違いますわよ! 朝からずっと書いていたからですわ!」
「ご安心ください、リリス様。私が代筆いたします」
シルヴィアはスッと胸を張り、リリスから羽ペンを受け取った。
「まあ、本当? 助かりますわ、シルヴィア。……って、ちょっと待って! あなた、文字は書けましたかしら?」
「当然です。リリス様への愛をしたためるため、文字と筋トレは同時に習得いたしました。……よし」
シルヴィアが羽ペンを構え、力強く紙に走らせようとした——その瞬間。
バキッ!!
「あ」 「あ、じゃないですわー! ペン軸が真っ二つ!? なんで羽ペン折れるの!?」
「申し訳ありません。リリス様の可憐なお姿に見とれ、つい指先の握力が200キロを超えてしまいました」
「ゴリラなの!? あなたゴリラなの!?」
頭を抱えるリリス。
シルヴィアは反省の気配もなく、今度は部屋の隅にあった重量感のある鉄製のペーパーウェイトを持ち上げた。
「ペンが軟弱なのが問題です。この鉄を削って新たなペンを……」
「無駄な筋力を使わないで! 削る音で集中できませんわ!」
リリスはハァと溜め息をつき、自らの手をさすった。
「もういいですわ……私が頑張ります。代わりのペンを持ってきてちょうだい」
「……リリス様」
シルヴィアの雰囲気が一変した。
低く、密度の濃い声。気づけばシルヴィアはリリスのすぐ目の前に屈み込み、その細い手をそっと両手で包み込んでいた。
「あ、あの……シルヴィア?」
「お戯れを。大切な主人の手にこれ以上負担をかけるなど、メイドの恥です」
シルヴィアの柔らかな手が、リリスの手を優しく揉みほぐし始める。
脳筋な言動とは裏腹に、そのマッサージは驚くほど繊細で、温かかった。
指先から手のひらへ、コリが解けていくのがわかる。
「ん……凄いですわ、シルヴィア。なんだか、すごく気持ちよくて……」
「……」
「シルヴィア?」
顔を上げると、シルヴィアの顔が至近距離にあった。
いつもは冷静冷徹な彼女の瞳が、熱を帯びてリリスを凝視している。
「あの、シルヴィア……顔が近いですわ……」
「リリス様」
「な、なに……?」
「可愛すぎます」
「はい!?」




