第四話
朝九時のボウスティンは昔見た風景と変わらず田舎で、人通りも少ない淋しさである。
私が列車を降りてからも、ずっといわゆる田舎――いくつもの小麦畑があるばかりで、グレーウッドのような現代建造物は無く、あるのはせいぜい小さな警察署、病院、消防署ぐらい。通る車の少なさも私の目を引くほどという見た目――の雰囲気そのままである。その割なぜか、土地は大きいので移動には車が欠かせないのだ。
「ちっ、あんたもお客かい?」
私は偶然捕まえた時代遅れの馬車に乗り込み、私は家族のいるところまで近づいていく。
「あなたは……」と、彼女が声をもらした。
目の前で私と向かいあうように座っている、白で、すそに青色の刺繡がされた丈の長いワンピースを着た赤髪の女性がカンカン帽を握りしめていた。そのつばは私がよく見るものよりも長く、その理由が察せられる。
そのとき、相手の女性が声をかけてきた。
「あの、もし間違いでなかったら、以前、どこかでお会いしませんでしたか」
彼女はそう問いかけるが、私には記憶の箱をひっくり返してみても、彼女のような女性にあった記憶はなかった。もし本当に会ったことがあったとしても、忘れてしまっているのだろう。
私が正直に「いや、自分の覚えている限りありませんよ」と伝えると、彼女はわかりやすく肩を落としてしまった。
「すいません、亡くなった私の夫に似ていて……」
「ほう、もしよければ失踪の経緯を教えてくれませんか?」
また私の良くないところが出てしまったが、彼女が優しいないし頼みを断れないたちであったために快く話を聞かせてもらうことになった。
さて、彼女の語りの始まりは4年前の出会いにさかのぼる。
「君の人生とともに歩んでいきたい」という言葉に惑わされ無理な結婚をした当時19歳の女性、エル・ノンバリッジは夫の暴行事件のせいで離婚となり、道端でうずくまって泣いていた。
しかしそこに光がさす。新たな夫となるリーブ・スレイクと出会い、晴れて結婚。前の夫のことなど忘れられる最高の生活を二人で送っていたのだった。しかし事は移り変わり、最悪なことになってしまう。
前の夫がリーブを刺殺したのだ。妻を奪われたことへの恨みだったらしい。
それからいつしかエルはリーブの影を追うようになってしまったのだ。
「それは、災難――不幸――なんとも言い表しようのないことです」
こう言葉を締めくくった女性――エルはなにも変わらない様子だった。
「前の夫はどうなったのですか。もしかして、そのまま見過ごされているだなんてことはありませんよね?」
どうやら私はエルの立たされている状況にひきつけられてしまったらしく、前のめりになって質問していた。エルは少しうつむくと、またなんとも変わらない風に言った。
「それが、わからないのです。どこかで腹を空かせて亡くなっているか、まだ私のことを追っているか、別の罪で投獄されてしまっているかもしれません」
「きっと、あなたを追うはずです。その重度の偏執病者はあなたを忘れたりはしません。きっと誰にも、何にも妨げられないはずですよ」
心配から言った言葉だったが、それはエルには嫌な人間を考える理由になってしまったようだ。
「そ、そんな! やっと……彼から逃げられたのに、こんなことになるなんて」
彼女は本来見ず知らずの人である私にすがる。まるでおぼれる前に、浴槽から這い上がろうとする猫であった。
「分かりました。どうにかして、あなたを救います。絶対にですから、安心してください」
私がささやくようにそういった後、数十分が経ち、家族の家がある近くの場所で下車することになった。
「またのご利用を」
こっちを見もしないうわべだけの感謝はほどほどに受け取って馬車の外へ出る。
私が外へ出るときの心配そうな表情はこちらまで心配になりそうな萎縮顔であった。
馬車が発車する。しかし、私は降りてなどいない。まだれっきと馬車に、つかまっているのだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
馭者が中にいるエルへと話しかけるその声色はひどく脅すようで、他人である私でも少し恐ろしかった。そんな奴に話しかけられた彼女の行き先はただ一つ、死あるのみだろう。
私がずっと馬車のへりをつかんでいるうちに、地面が先ほどまでの平坦な道ではなく、どんどん荒くでこぼこしたさらに奥の僻地へと入ったようだ。そしてじきに、馬車は止まった。誰も知らないであろうボウスティンの中でもさらに閑静な地域に止まった馬車の扉を馭者は開いた。そして彼は驚きに目を大きく開き、声を上げる。
「だ、誰だお前は!? あいつは、俺のエルはそこにやったんだ!」
彼が見たのは誰でもない、エル自身だった。しかし、彼は目の前にいる、私の恰好をしただけのエルをエルと言い当てることさえできないのだ。
種明かしと洒落こむために、私は後ろから声をかけた。
「ジャックさん、そこで何をやっているんですか?」
ジャック・エブロン。エルを苦しめ続け、リーブを殺して見せた悪党――それ以上の外道の名だ。
「ああ! エル。そんなところにいたのか。もうだめだろう? 僕から逃げちゃ」
なんという男だ! この男は愛する女を憎き男を見間違え、見知らぬ男を自らの支配下に置くべきだと錯覚している女と思い違うなんて、笑止千万である。
「だれです、あなたは。あんたは何もわかっちゃいない。何にもわかっちゃいないんだ。私の性別さえ間違え、彼女の見た目さえわからないなんて。おまえは大馬鹿者だ!」
ジャックは体を震わせると、突然ナイフを取り出し、馬車の中にいたエルの首元に当てた。
「お前に何がわかるってんだ! ああ? お前はただの他人だろうが! そんなお前が俺たちの道をどうこう口出すんじゃねえよ!」
この男はもう、何をいっても聞きたいことしか聞かないやつだから、これ以上は無駄だ。さっさと捕まえよう。
「分かったよ、君とエルのことを認める。君たちはれっきとした夫婦だったんだ」
私の言葉にエルは青ざめ、ジャックは喜色満面という真反対の反応を見せる。
「なんで、私を助けてくれるって……」
消え入るような声はしっかり私には届いたが、ジャックにはまったく聞こえていないようだ。
「ほら、彼も認めてくれていることだし。家に帰ろうか」
ジャックがそういって、無理やりエルの手を引く。しかし、私はそれを引き留めるように言った。
「だから、お祝いさせてほしいんだ。うちは近くの家の人が結婚をしたときには一家をあげて祝う習慣があるんだよ。いいかい?」
「ああいいとも! 僕たちのことを祝ってくれるなら大歓迎だよ」
そういうわけで私の家へ馬車をジャックは引いていくことになったのだった。
家のドアベルを鳴らす。扉が開くと私の母、マイヤー・マイステリーがひょっこり顔をだして驚いている。それもそのはず、ドアを何気なく開けたら、久しぶりの息子が立っているが、恰好はなぜか女物で、しかも、見ず知らずの男女を家に入れようというのだから。
その異様さを何かの合図とくみ取ってくれたのか、すぐにマイヤーは私たちを家に入れてくれた。
この家には今、父のペイトード・マイステリーや弟のモルグ・マイステリーや姉のウィンティ・マイステリー、叔父のボロード・クロックと叔母のメイ・クロックといとこのロー・クロック、さらに雇われでは使用人のピーターさんとオーランさんなど。ほかにも――と今日この家は大切なパーティのため大量の親族および使用人たちがそろっているのだった。
「いやあ、ご結婚ですか。それは確かに祝わなければなりませんな」
「ケーキも買わないといけませんね」
「いやいや、僕らは今あるものだけでいいですから」
エルとジャックの二人をみなに任せている間に私は、少し後ろに下がってジャックを見ていたモルグとマイヤーを連れ出した。すると、モルグは私の意図を察したようで黙ってうなずいた。
さて、結果的に言えば、私はしっかり彼の視線から逃れることに成功した。
それはなぜか。彼の記憶力の限界を試したからだ。
彼は警察に連行されていく前に人とは思えないような、憤死でもしてしまいそうなほど赤まった顔で叫んでいた。
「なぜだ! お前がきっとあいつと入れ替わるだろうと、いや、家族の誰にだって化けるだろうと思っていたのに、なぜお前は私の盲点を突くことができたのだ」
私はそう言われたときに、真っすぐ目を見て言ってやった。
「私は、変装しなかった。勝手に誰かに変装しているなんぞ思い込んだのはお前じゃないか。私が一度でも、『変装してこの家から出てやる』とお前に言ったかね?」
私がしたのは、ただあの、妙に小恥ずかしいワンピースを、いつもの私の着ている服装に着替えただけなのだ。
あいつは狡猾なのだ。しかもその癖、人のことをなんとも思わないナルキッソスだ。
やってきた刑事も彼は今度こそ刑に処されるだろうという。
警察の車がどんどん遠のいていく。皆は少しずつ家へと戻っていく。しかしエルはその場所からまったく動かず、ただずっと車があるであろう方向を見つめている。私は何か嫌な気持ちが心をむしばんでいるのを感じながら話しかけた。
「夜は寒くなるだろうから中に入っていよう」と。自分の考えがただの思い過ごしであることを祈って。
「ええ、そうですね」
エルの表情は、明らかに本性を見せつけるような、そんな気持ちの悪い笑顔であった。その瞬間私はやっと飲み込めたような気がした。
「私は騙されたのだ」と。「私は入れてはならない人間を迎えてしまったのだ」と。
ぽつりと、私の鼻先に雨粒が落ちた。




