第三話
車窓の外では、左から右へと風景が流れている。しかし、私の心は嘘でも、のどかな状態などとは呼べるものではなかった。
「誰です! 私の妻を転ばせようと物を置いたのは!」
怒髪天を衝く背の高い男と、彼をなだめようとする腹の膨れた女――おそらく今回、子を初めて持とうというところだったのだろう。その矢先にこの事件。乗客たちは皆、二人への同情と犯人への怒りを隠せないまま、こそこそと言葉を呟いている。
私も口髭をいじりながら、重い腰を自ら上げることにした。
「あの、お困りでしょうか」
私はまず、あの夫婦に話を聞きに行った。
「私はさっき止まった駅から妻と一緒に乗り込んだのですが、席に行くまでの間に突然妻が倒れ込んで…妻はいつも健康第一を大切にして生活していますから、突然倒れたのは妻に要因があったわけではないと思います」
「ほう、地面に物は置いてありましたか?」
「ええ、気は動転していましたが、見えました。地面に小さな車の模型が置いてあったのを覚えています」
彼の物を言うときの目は、酷く純真で、何も知らず夢を語る少年のようであった。しかし、それに対し彼女の目は簡単に割れそうな水晶のように危なげである。
「あの、もういいですから、自分たちの問題に無理やり首を突っ込ませるようなことはしていただかなくても――」
彼女がそう言おうと、ただの他人である私に彼女らのことを思いやる必要はない。
「わかりました。では、私の席に代わりに座ってください」
私がそういったときの二人の驚きようといったらない。彼女自身、本当にあきらめてしまうとは思っていなかったようだ。二人が座るとき、彼女が窓際に、彼が通路側に座ったのを見届けると私は彼女へ最後に話しかけた。
「多分、犯人はこの列車中にいます。それもおそらく女性でしょう。『置いてあった』と言いましたね? それはつまり、黙って車の模型を持ち去った人間が犯人だということです。 偶然会った妊婦を転ばせることに、普段持ち歩かない車の模型を使ったのは計画的な犯行の表れ。――早いところ、お二人の身内が一番でしょう」
後は全て二人の問題だ。私は礼をすると、暇をつぶすべくこの車両から離れることにした。
道中で周りの人たちに話を訊けば、
「さっき移動してきた女性がいる」
「何も持っておらず、奇妙だった」との情報を得られたので、捕まえるためにひとつ策を講じることにする。
先ほどの二人にも協力を仰ぎ、準備が整った。
「何をするんです?」
「――まあ、散歩でもしましょう。今日はお二人も困っているんですから。君はここにいてくれ」
私は急ごしらえな仲間の一人に言い添えると、足を前に進めた。――私の狙いはひとつ。『袋の鼠』だ。
犯人が彼らの身内な以上、顔は合わせられない。
つまり、同じ車両には行けないはずである。であれば、すべての車両に犯人の特徴を知る仲間を配置し生き止まりへと追いやるのみだ。
一つ。二つ。車両を移していくが全く気配はない。
「本当に大丈夫なんでしょうか……」
彼女は言うが関係ない。
犯人は捕まる。なぜなら――
「捕まえました!」
「そら言った通りじゃないか!」
私は、声のする車両へと走っていった。
そこには、私の仲間が一人の女を捕らえている様子が広がっていた。
「よくやった! お二人、この人、知っていますか?」
「は、はい、でも君が、なんで……!」
「お姉さん! なんでこんなところにいるの!?」
二人の視線も言葉もないように扱い、彼女の姉らしい女は、私に目を向ける。
「なんで、私が犯人だとわかったの?」
そこはあとで二人に説明してもらおう。
「いろいろな推理の結果ですよ。どんな推理でも一度は傾いてみるべきなのです。どうです? 私も、あなたの知る人物もあなたに近づきませんでしたよ。
私の作戦の根幹は相手に、『自分を探している』と勘付かせないこと。気づかれればあなたは別の車両へ動きますから。だから、できるだけ仲間は現場にいた人物の友達にしたんです。特に後ろ側の車両は。でももし、あなたが動き続けても到着するまでには捕まっていましたよ」
彼女の姉はふっ、と息をもらすと、つぶやいた。
「なんだ、結局逃げ道なんて、どこにもなかったのね。まあ、分かっていたけれど」
「……いいえ、一つだけありました。確かに……一つ、だけ。」
それは初めから、『赤ちゃんを抱かせてほしい』と自らの謙虚なわがままに甘えることだった。
「私はあの席に戻っていますから、今一度、赤ちゃんのことについて話し合ってください。それが皆さんのためにもなりますから」
それから私は到着するまで、同じ席に座っていた。
流れる風景も初めより、少しセピアがかって見えたような気がした。




