第1章 【対話】悦の構造と文化の起源 ②
えも学者「では、ここからは学者・でり学者とともに、快楽から始まる文化について議論していこうと思います」
えも学者「じゃ、軽く自己紹介してね♡」
学者「はい、学者です。専門はグール起源文化論。来季の予算がやばいです」
でり学者「でり学者です。構造哲学の観点からグールから人間への歴史を研究しています。よろしく」
えも学者「はーい♡じゃ、今日の議論いくぞー」
学者「なんだっけ。悦の構造と文化論だっけ」
えも学者「そうそう」
でり学者「『悦』の価値遷移というところかな。まず、本能を突き抜けた『おいしい』は、手にあまる『悦』だったのだろう。それを飼いならすまでの歴史だ」
えも学者「そうそう。そこでぼくは『本能の我慢』がどんなふうに快楽を制御する方向にいったのかを議論したいなって」
えも学者「そのうえでキーワードになるのが『理性』なんだよね。文明的には本能の我慢が理性に発展した、みたいなとこあるし」
学者「だって理性的であるのって知的生命体として当たり前なんだけどさ。その、理性を適用する範囲としなくていい境目が気になるんだなあ」
えも学者「あー、その辺理性の皮かぶった快楽とかありそうだね」
学者「んー。大体まとまってきたかな。ようし。じゃあ雑に意識は理性と本能の総体のであると定義してやってかない?そこで快楽がどう処理されるか」
えも学者「えもしかない。地雷のにおいしかしない。ぜひとも踏み抜きたい」
学者「ようし。じゃあいこう、まず理性のとこいこっか。まずさ、グールは前提として、おいしいから知性が生えたわけ。『本能の我慢』の先に、理性とかが生まれた」
えも学者「そうそう。『悦』という中毒の始まり。でもそれを抜け出して生きてくことはもうできない体になっちゃったから、耐えることにしたんだよね・・・」
学者「で、まずさ。ちょっと遠回りするけど、ぼく的には『知性』と『理性』は違うわけよ」
でり学者「そうだな。『理性』がここでは本能を抑制するもの、的な扱いだから。知識をどう扱うかという倫理的なところが『理性』になるな」
学者「『知性』は、まず定義のひとつめとして道具をあつかったり計算したりとか、本能とかを超えて何かを扱える力。ふたつめは、考えて作り出す力。ほら、さっき話した分配の仕方でなんとなく数学が生まれたりとかさ」
えも学者「そこさー、知性と本能と不可分になってそうだよね。本能には還元できないけど、『おいしい』を得るために試行して得て、更にまた試行してとか考えると」
学者「あ、そうかも。で、理性は『善』を理解し、実行する力。うん、知性を悪用しないやつで、共同とか社会性っていう方向に働こうとする力」
でり学者「『善』をどう定義するかだな」
えも学者「まー、最初の『善』の方向性としては美味しいの欲しいけど痛いの嫌だし分け合おうってシンプルなとこ、元々持ってた生存のための本能とも結びついたとこから始まったものだろうけど」
えも学者「あー、善って階級社会とかで方向性変わるから。完全に平等な善じゃなくてある程度自分に都合のいい分配の善とかさ。納得させられればいいわけじゃん。ある程度来るとコントロール可能って言うか」
学者「エクリチュールの比重の変化の歴史だよね」
えも学者「そうだ、エクリチュール。エクリチュールってさ、言語の『語られる前の傾向や比重』を決める奴」
えも学者「例えば幸せという言葉があります。平等社会のエクリチュールだったら、それはみんなが幸せ。宗教的エクリチュールだったら、教義を守ったうえでの幸せ、みたいに意味が傾くやつね」
えも学者「それこそ最初はみんな分け合おうでみんなも本能を抑えて再分配に取り組む、平等なエクリチュールがあったと思う。本能を堪えて考えるエクリチュール。でもそれが試行を繰り返して、知性で上手くわけられる方法がいっぱい編み出されてきた。で、ここでは知性は単純な創造性だから、悪知恵も含まれるわけ」
でり学者「言葉が発達すればできる手続きも増えるけどさ。それって、平等な方向に働くだけじゃなくて、相手が納得さえすれば分配に偏りをもたらすことも出来る」
学者「そのとおり!よって、指標とは」
でり学者「善の元に知性をコントロールする『指標』ってわけね」
でり学者「そして階級社会とか、文化の変化に合わせて何がいいかも変わり、その『善』にあわせて適応して再分配するのが理性。美しいのも強欲なのも関係なくってやつ?」
えも学者「胸が、胸が痛い」
学者「いい感じに盛り上がってきたじゃん。そう、でり学者。いいこと、悪いことの意味付けがどんなだろうが、理性なわけ」
でり学者「でも悪いやつは理性がないって言ったり…あー、善悪を超えて分配をコントロールするのがそこってことか」
でり学者「そうそう。意識とは理性と本能であるって雑にまとめたじゃん。本能のとこも掘っていこう」




