第1章 【対話】悦の構造と文化の起源 イントロダクション
えも学者「えーと、自動筆記魔術装置は・・・よし。セット完了」
えも学者「よし。同期、開始」
えも学者「あーあー。てすてす。はい、ちゃんと自動書記されてるね」
えも学者「初めまして、ぼくはえも学者です。専門は欲望における文化の変遷です。よろしくね」
えも学者「今回のテーマは『悦の構造と文化論』。学者とでり学者との対話論ですが、その前にイントロダクションとして語らせていただきます」
えも学者「まず、『悦』と『快』の定義について説明しましょう」
えも学者「まず、『快』。こちらはざっくりいうと、『いつもの楽しみ』、『いつもの満たされるルーティーン』とかそういう感じのやつです。かつてのグールにとっての『食事』とは、この『快』でした。お腹減った。生きるために食べる。もぐもぐ。お腹いっぱい。快っ!」
えも学者「これは既に予期されているものです」
えも学者「そして、『悦』。これは持ちうる常識の枠には収まりきらない、受け入れきれない新しかったり、衝撃的な価値観をさします」
えも学者「グールにおいては、まさに『おいしい』がそれにあたるわけです。それまでの本能的な満足が『快』だったのが、『悦』を知って、満足できなくなった。『悦』は本能から外れたものでありーそれによって、彼らが行っていた『お肉よこせ!』の生存競争は、それ以上意味合いの競争ー『好き嫌い』という価値づけによる奪い合いの、快楽の闘争に映りました。ある意味文化的な意味合いの争いになったわけです」
えも学者「こうして、『おいしい』から、『好き』『きらい』『おいしい』『まずい』といった価値づけが生まれ、知性が生えました」
えも学者「価値をつけることは、原始的な知性の始まりです」
えも学者「そして、価値づけが生まれれば、それをめぐっての葛藤が始まります。彼らは傷つけあうことなく『おいしい』を社会性と再分配のために『本能の我慢』をおこないます。それが『理性』の原型でした」
えも学者「そう、『おいしい』から始まったグールの社会性の歴史とは『おいしい』という手にあまる『悦』を、いかに皆にとって恒常的に得られる『快』に落とし込むかという試行錯誤の歴史だったのです」
えも学者「では、ここからは学者・でり学者とともに、快楽から始まる文化について議論していこうと思います」




