第2話 校舎裏の理由
翌日の教室はざわついていた。
昨日の噂はすでにクラス全体へ広がっていて、俺は席につくたびに視線を感じた。
「おい悠真、お前マジで白石……いや、東雲に告白されたの?」
「ちょ、声でけぇよ」
「やべぇって、クラスの陰キャから告白とか、伝説じゃん」
笑い半分、興味半分の声が俺に突き刺さる。正直、居心地が悪い。
けれど当の東雲は、いつもどおり前髪で表情を隠し、ノートに何かを書き込んでいた。
周囲の声なんて届いていないように見えるけれど、ペン先がわずかに震えているのを俺は見逃さなかった。
放課後、廊下で待ち伏せされた。
「なぁ悠真、昨日の校舎裏で何話してたんだ?」
「別に……大したことじゃない」
「絶対なんかあったろ」
茶化す友人を振り切り、俺は自分の机へ戻る。けれど心臓の鼓動は早くなるばかりだった。
校舎裏での言葉が蘇る。
――去年の冬、助けてもらった。
あの日のことを彼女が覚えていたなんて、本当に驚きだった。
◇
数日後、俺と東雲は図書室で隣り合うようになっていた。
「……ここ、分からないんです」
差し出された数学の問題に、俺は赤ペンを走らせる。
「ここはこう。公式を覚えてれば簡単だろ」
「なるほど……ありがとうございます」
静かな空間に、彼女の小さな声が響く。
「東雲って、いつもノートに何書いてんの?」
思わず聞いてしまうと、彼女は少しだけ迷ったあと答えた。
「……日記、です」
「日記?」
「誰かに優しくされたことを、忘れないように」
俺は言葉を失った。
ページを覗けば、そこには『ドアを押さえてもらった』『消しゴムを拾ってもらった』など、本当に小さな出来事が綴られていた。
「……笑わないんですね」
「笑うかよ。むしろ、すげぇと思う」
そう答えると、東雲は驚いたように目を丸くしたあと、少しだけ笑った。
その笑顔が、意外なほど可愛くて、胸の奥が熱くなった。
◇
六月も終わりに近づいたある日の放課後。
屋上に呼び出された俺は、フェンスにもたれて夕陽を浴びる東雲を見た。
「来てくれて、ありがとう」
「いや……約束だから」
沈黙が流れる。風が髪を揺らし、彼女は小さく息を吐いた。
「実はね、私……ずっと嘘をついてた」
「嘘?」
「悠真くんを助けた、あの日のこと。あれだけじゃないの」
彼女の声は淡々としていた。けれど、心の奥に秘めてきた熱を抑えきれないように震えていた。
「他にも、何度も……陰で支えてたの。転んだときとか、忘れ物したときとか。気づかなかった?」
「……まさか」
確かに、不思議な偶然はあった。なくしたはずのプリントが鞄に戻っていたり、机の上にノートが置いてあったり。
「全部、私。バレないようにしてた」
「なんで……そんなことを」
「さぁね。ただ……悠真くんには、生きててほしかったから」
東雲は一瞬、視線を落とし、それから決意したように言った。
「それにね。……本当はずっと、好きだったの」
その言葉は、夕陽よりも鮮烈に胸を貫いた。
思考が止まり、呼吸も忘れ、心臓の音だけが響く。
「でも、私なんかじゃダメだと思ってた。だから陰から見てるだけでよかったの」
「……東雲」
「でも、もう隠せなくなった。だから告白したの。これが理由」
俺は返す言葉を見つけられなかった。
ただ、その場に立ち尽くす。
やがて東雲は、ふっと笑った。
「返事は、急がなくていいよ」
「……でも」
「私は待ってる。ずっと」
その言葉は呪いのようであり、同時に救いのようでもあった。
気づけば俺の視線は、彼女から離せなくなっていた。




