小惑星クラスター衝突
太陽系伴星仮説の検証は今もずっと続けられている。メーリングリストのやりとりはもう既に1000件は超えており、ある学者が仮説を検証するための数式を作ったり、この惑星の軌道では矛盾するのではないかといったやりとりが続けられている。
だが、俺はとりあえずこの伴星仮説がもし正しかったときのために備えて軌道計算をコンピュータに愚直にやらせていた。ひとまず計算によれば小惑星クラスターが大量に生じ、地球に衝突するピークが180年後に訪れる。このピークは数年にわたり続き地球の地表には甚大な被害を生ずる。というような結果が出てきたが、まあこれはおそらく間違っているはずだ。シミュレーションの粗が多すぎるし、そもそも俺が作った数式自体が間違っていることもある。が、検証するにしてもひとまず谷上と同じようにプレプリントサーバにまとめたものを提出してみることにする。シミュレータはGithubにでも上げておこう。こうすれば誰でもいじれる状態になる。(ソースコードの管理についてはだいぶ昔はコードに日付をつけていたりしてたものだが、一時期コンピュータの不調によりそのすべてが消えてしまってからはGithubというソースコード共有サービスにアップロードするようにしている。)
こんな一国の一人の学者風情のコードなど誰も見ないだろうが、ひとまずアップロードする。
夢中になってコードを書いていると既に時間は昼12時を過ぎていたので学食でコーヒーを飲むことにする。
乱雑に床に散らばっている本たちを踏みつけたり、避けたり崩しながら教員室を出る。ここは准教授2人に割り当てられる小室だ。教授職にでも上がればだだっ広い教授室というのが手に入るが末端の准教授職の部屋というのはかなり狭いタコ壺のような狭い部屋に入れられるのが常だ。もともとはもう一人の天体物理学科の教員もここの部屋を使うという話だったのだが、俺の整理整頓のできなさとかいろんなところで息が合わなかったのであっちの方から出ていってしまった。あっちはあっちで学生の面倒を見るのが好きな質なようで研究室の一角に自分のスペースを設けてそこで研究をしているようだ。
私はそうではない。
研究はほとんど学生に放任させており、2週に1回ほどフィードバックをしてあとは好きなようにさせる。それで落ちようがなんだろうが俺にはなんら関係がないし。今のところうちの研究室を志望して来ているのはもの好きでうちの研究室で唯一一人の大学院生のシュミットだけだ。彼のことは好きだ。いや性的にというわけではなく性”格”的にだ。
とにかくそのミスターオンリー大学院生のシュミットはかなりたくさんの雑用をこなしてくれる、なんなら俺よりも学生の面倒見が良いので学部生の面倒をよく見てくれるし、彼のおかげで研究が及第点でひとまず修了できそうな学生が何人かいたので一安心だ。
学食には昼の時間だからということで学生が大勢いる。マッチョの白人にデブの白人、あとヒョロガリのっぽのインド人に。あと特に特徴もないアジア人。なんで彼らは決まって国際色豊かな大量生産されたどこにでもあるようなクラスターを作り上げるのだろう。
としまった、シュミットに出会ってしまった。気づかれないように横を通り過ぎようとするとシュミットに見つかってしまった。
彼はまず決まって日本式の挨拶をしてくる。「おはようございます。ミスタークニナカ。」と丁寧に日本語だ。別に俺が英語ができないというわけで日本語で挨拶をしているのではなく彼は決まって相手の言語に合わせて挨拶をしたいという言語学ジャンキーのいち面も合わせている。
「日本語がちょっとうまくなったか。でも向こうでは准教授とか教授に限らずみな先生と呼んでるんだがな。あ、そういえばシュミット。ちょっと手伝ってほしいことがあるんだった。ちょいとこれを見てくれ。そう例の谷上の論文に関してのやつだ。」ととりあえず先ほどちょちょいと書いた論文とプログラムのセットをシュミットにも共有しておいた。
「クニナカ先生は、相変わらずそういうことに関してはお手が早い人だ。分かりました。プログラムの粗探しですね。Pythonのバージョンは3系であってます?OK。分かりました。あーあとライブラリの一覧とかもバージョン付きで送ってください。できたらdockerコンテナでほしいんですが。まあ無理は言わないです。自分でやっときます。」そういって彼は自分のパソコンを開きちゃちゃっと環境構築をした。ライブラリのバージョンは最新のもので揃えていたので使ってるものを教えたらすんなり動いたようだ。
「じゃあ粗探しをよろしく頼む。おっと。これは理事長。。。」
「ミスタークニナカ。あなたはとても優秀ですがもう少しシャキッとしてください。というのもね。今回の試験はなんだったんですか?学生のほとんどが落第っていうのはどう始末をつけるつもりですかね。正直言ってあなたの研究実績は素晴らしいものだから置いているが。研究だけではなくあなたにはその素晴らしい知識を後世に引き継ぐ義務というのがある。もう少しそれを心に留めて実行に移していただきたい。」
適当に相槌をうつ。ちゃちゃっとやり過ごして教員室に戻ろう。
「あ、そうだ。あなたにアメリカ軍から話があるという連絡が来ていましたよ。」
「アメリカ軍?」
「えー。あとNASAからも。」
「NASAからも。なるほど。分かりました。もしかしてー」
「えーお察しの通り、先ほどプレプリントサーバにアップロードされた論文に関してどうこうとかいうお話でした。例の谷上論文に関するものでしょう?」
いや、なぜそれを理事長がそんな早く察知するんだよ。と思ったがまあ理事長はそういう人だった。
私が日本の一般的な大学でくすぶっているときに、英語ができなくてもいいからとかなんとかでこっちの大学の今のポストにねじこませたのだった。
(そう言い忘れていたがこの大学は国立の防衛科学を専門とする単科大学であり、少し特殊な大学であることを記しておく。詳しいことは別の箇所で説明をしようと思う。理事長の意向で学生だけに限らず教員も変わり者が多いというとだけ知っていれば良いのと、防衛関係に関連が強いために防衛省、自衛隊と連携していたりするが実験場を貸し借りするだけの関係性であったりと少々微妙な立ち位置である。)
とりあえず承知した旨を伝えてシュミットともに研究室に戻る。
「シュミット。とりあえず私は今週のミーティングは出れそうにない。学部生のやつらにもそれを伝えておいて欲しい。あーあとできたらアシスタントのバイト代出すからちょいとついてきてほしい。」
「アメリカ軍?NASA?どっちなんです?」
「両方。私はおそらく彼らの質疑応答に回答しないといけないわけだが、その間の時間が惜しいので引き続き例の谷上仮説の検証と小惑星クラスタの軌道計算プログラムの粗探しとかをしておいて欲しい。」
「分かりました。」
「特に重要なのは彗星の軌道だ。一番周期が短いもので伴星と軌道が交差している彗星が望ましい。もしくは近ければいい。その軌道の予測と実際の天体観測データを比較する必要がある。」
そう彗星の軌道が重要だ。
彗星はオールトの雲で生じ、太陽の近くまでやってきて氷がとけていきそれが尾のように見える。
そして再びオールとの雲に戻っていく。伴星にその彗星の軌道が近ければ近いほどおそらくこれまで知られていた軌道の予測データと実際の観測データは大きくずれることだろう。