ネメシス仮説
プレプリントサーバにアップロードされたその論文は、瞬く間に世間を賑わせた。
太陽は実は双子だったとか、もう一つの太陽が見られるのはいつ頃なのかとか。挙句の果てには空の太陽はいずれ2つになり世界は終わる。だからトイレットペーパーを買い漁らなくてはとかいうアホみたいな事件も起きたりした。
SNSやテレビのニュースではその2つ目の太陽の存在を、実は古代文明が予知していたとかいう謎のこじつけネタを出してきたりと散々だ。世界はどうやら自分が思ったよりもアホばかりだったらしい。
そんな中でも比較的まとも(文字通り比較的だ。周りがアホすぎる)な議論として、ネメシス仮説の再来だという話がネット上の議論では一番まともだった。
ネメシス仮説について説明せねばならない。この仮説はネメシスという第10惑星(このときはまだ冥王星が第9惑星として君臨していたので未発見惑星は第10惑星と呼ばれていた)が次の大量絶滅を引き起こすという内容だった。これは地球でこれまでに何度も繰り返されてきた生命大量絶滅の間隔の平均的長さが2600万年と推定され、この周期性は地球外の何かしらの要素が原因であるとし見出された想像上の天体だ。このネメシスなる天体がオールトの雲の小天体の軌道をかき乱すことで木星以内への小天体到達性を高めていき、うちいくつかが地球に衝突することで歴史上に生じた生命大量絶滅を引き起こしたという説だ。
結局のところNASAのお偉い学者さんにより、そのような伴星があったのなら既に見つけ出していなければおかしいという話で決着がついたはず。(だが、確かに天体観測技術上未だに詳細な観測ができていない領域があるのも事実であり、特に天の川銀河に重なる領域はその奥に大量の恒星がひしめきあっているためそれらの光がノイズになり太陽圏内にある伴星を探ることの妨げになっていた。それを解消するには赤外線天体望遠鏡による掃天観測が必要だった。LSSTなどはまさしくそれを実現する天体望遠鏡の一つだ。)
とにかく、ネメシス仮説を恥ずかしげもなく、全く検証もクソもない稚拙な論文まじりなネメシス仮説信奉者たちはこのタイミングを逃さすかという勢いで不良在庫をいい感じに売りさばいていっていた。なんなら不良在庫がさばけたどころか重版なんかにもなってるとかなんとか。俺も少しはそのような本を書けばよかったか。
さて、そのような愚かな一般世論たちの話など心底どうでもよくて。私が関心を持っているのはこの論文に対して天文学のお偉い学者さんたちがどういう反応を示すかだ。別に異端的な論文を出したからってその学者をこき下ろそうとかいう謎の政治ごっこなどは科学界では生じない。いや、確かに政治的なやりとりはあるにはあるが、結局のところ天文学者は科学者だ。政治的なやりとりとかいうつまらないものよりもその発見が本当に正しいものなのか、検証可能か、再現可能か、別の視点からの議論点はないかなど多くの穴を見つけ出し、その論の弱みを見つけ補強したり、壊したりすることで新しい仮説を産ませ、その仮説を検証し、新しい仮説を産ませ、その検証をし、そうしてその仮説はより強固なものになっていく。
科学というのはそういった仮説を作って、それが正しく世界を表現しているものなのか検証をしていくことで世界中に認められる科学となる。
だから、そのなんというか。要するにあまりにもありえない科学だったりとか一度否定されたものを禄に検証もせず跳ね除けるというような生じにくい。
一度否定されても実はそれが正しかったなんて言うことはよくある話だ。だから今回のこのプレプリントサーバの論文も世界中の科学者に検証されるだろう。
学術論文というのは、あらゆる学者らに読まれて、査読され、評価され、さらにはその論文の内容に再現性があるかどうかを確かめる必要がある。
太陽系伴星の発見となれば、そもそもなぜ今までの掃天観測結果で観測できなかったのかとか、そうであればこれまでの惑星軌道計算などはどうなるのかなど、いろいろ突っ込みどころはいっぱいあるわけだ。
だが、別にその攻撃で論文を紙くずにしてしまうというのが目的ではない。
この発見がもし事実であれば、これまで知られていた天文学が白紙に戻る訳では無いが、これまで考慮されていなかった変数が出現したことで世界の正確な予測がより複雑性が増す。
実は世界は二重連星系であり、あらゆる天体と太陽、今回発見された伴星の3つの天体の運動というのは実際のところどう足掻いても予測が不可能な三体問題となる。このため実はといえば私が気にしているのはそういうことだ。
小惑星の軌道予測はおそらくこの伴星という変数を入れ込むことで大きく変動することが容易に想像できるということだ。
今後1000年間の地球安全神話は総崩れというわけだ。
ともすれば私がやるべきことは一つだ。地球近傍天体さらにはオールトの雲の中で発見されている小天体たちの軌道をシミュレータにインプットし予測できうる軌道を計算することだ。
従来のシミュレータでは伴星を含めた太陽系天体の軌道計算など考慮されているわけではないので、これはオリジナルで書かなくてはならない。とりあえず伴星をパラメータに入れ込んだ軌道計算の方程式を組み上げて、それをルンゲクッタ法で計算できるように変換してお手製のpythonスクリプトに食わせる。
手元のコンピュータじゃまともに軌道計算させようものなら時間がかかるのでだいぶステップ数や天体数を減らして計算をさせる。思いつきの仮説が正しいかどうかを確かめる際には実は高精度な情報はいらなかったりするのだ。
この伴星存在仮説はまだ未検証であり未査読論文なのだからそんな慌てて軌道計算しなくてもよいのではないかという声も聞こえてきそうだが、これは別に仕事ではなく単なる趣味程度のものだ。ちょっと趣味程度に手を動かして予測結果を出しそれをまとめて俺もプレプリントサーバに上げる。
そうだなタイトルは仰々しく書いておくか『谷上伴星仮説に基づいた地球近傍天体の軌道予測結果に関する考察』としておこう。