第九話 パーティーと大家さんの気遣い
「だからさっきから言っているでしょ、うちの会社の創立パーティーは」
ついつい、声が大きくなっちゃった。
「管理職は家族を一人連れていく、それが慣例なんだってば」
えっ、管理職って?
これは申し遅れました、恥ずかしながらこの森野美波。
定年退職した、前任課長の強い推薦により。
この六月から、社内研修課の課長に昇進させていただいております。
「どうして俺が、おやじさんに頼めばいいじゃないか」
「お父さんだって、うちの会社の役員だもの」
「だったら良太は、正真正銘の家族なんだし」
「受け持ちがあるから抜けることがあるの、良太を一人にできないわ」
「しょうがないなあ、パーティーっていつどこで?」
「次の金曜日の六時から、会社の近くのホテルで」
「ドームの隣だろ、仕事の帰りだからスーツのままでいいよね」
「あたしは持ち場に顔を出してくるから、少し待っていてね」
受け付けを済ませ、会場のドアを押しながらそう言ったあたしの視界には。
「ちょっと見て、課長と大家さんが入ってきたわよ」
「なんで、大家さんが会社のパーティーにおんねん?」
「まさか、課長のパートナーとしていらっしゃったのでは?」
そんな会話をしていると思われる、三人娘が。
ダッシュでこっちに向かってくるし、油断も隙もないわね。
「あなたたちは案内係でしょ、お客さまのご案内をしなさい」
「だから、こうやって大家さんをご案内しようと」
「大家さんかてお客さまやろ」
「万全のおもてなしをさせていただきます、どうぞ課長はご自分の持ち場へ」
あたしが持ち場へ向かった途端。
「大家さん、先輩ったら課長になってからおかしいんです」
「おかしい?」
「緊張しとるっちゅうか、よそよそしいっちゅうか」
「仕方ないだろ、課長になって間もないから距離感がつかめないんだよ」
「課長って、そんなに大変ですの?」
「そりゃ、後輩として仲良くしていた相手がいきなり部下になるんだから」
「偉くなった側の課長が、部下のわたしたちに気を使うの?」
「おまえたちにだけじゃないだろ、会社の全員にだよ」
「せやったら、大家さんも課長になったころには?」
「俺は課長になる前から管理職扱いされていたから、そこまではな」
「では、わたしたちはどうすれば?」
「今のくまさんはいっぱいいっぱいなんだから、多目に見てやればいいのさ」
三人娘が、大家さんへの料理を物色している間。
あからさまに退屈している顔の大家さんのもとに、山下部長が。
部長は、あたしの直属の上司なんです。
「石田さんじゃないですか、どうもお久しぶりです」
「こちらこそ、ご無沙汰しております」
見つかっちゃったか、と渋い顔の大家さん。
まあ、そうなるわよね。
「ご参加いただきましてありがとうございます、こちらにはどうして?」
「森野課長に誘われまして」
「ほう、石田さんが森野から」
「ごあいさつが遅れまして、申し訳ありません」
「いらしていると聞けば喜ぶ者が大勢おりますから、どうぞこちらへ」
「どうして山下部長が、大家さんと話しているのかしら」
「部長、常務んとこに大家さんを連れていくで」
「課長に知らせた方がよろしいのでは?」
三人娘は、戻ってきた部長を捕まえると。
「部長、あの人をご存じなんですか?」
「そりゃ、石田課長っていったらうちの会社じゃ有名だぞ」
「なんで、大家さんがウチらの会社で有名なん?」
「常にうちの技術者を何人か派遣している会社の、担当部署の課長だからな」
「大家さんの会社がうちの技術者の派遣先、ですの?」
「石田さんの下で二年も働くと、新人でも一人前の技術者に仕込んでくれて」
「そういえば、大家さんの周りにはちょっとした人だかりね」
「石田さんと仕事をしていた連中だからな、懐かしいんだろ」
「大家さんて、ほんまはすごい人なんやな」
「ああ、今では石田さんの会社に派遣した者が技術課の主力だからな」
「そんなそぶりなんて、まったくございませんでしたわ」
「君らこそ、どうして石田さんを知っているんだ」
「だって、森野課長の家の大家さんですから」
「ウチらはよう遊びに行くし、二週間にいっぺんは泊まっとるさかい」
「課長が結婚前にお勤めされていた会社で、先輩と後輩でしたの」
「何だ森野君は、そんなことだったら早く言ってくれればいいのに」
そんなやり取りがあったとも知らず、ようやく自分の受け持ちを終えると。
ビンゴのカードをもらってから、大家さんのところに。
「これが大家さんのカード、今年は賞品が豪華なんですって」
「ビンゴなんて、当たったためしがないから」
司会者の盛大な合図からビンゴが始まり、数字がコールされているのに。
退屈そうな顔をしている大家さん。
「タバコでも吸いに行ってくるよ」
「ビンゴはどうするのよ」
「くまさんがやっておいてよ、渡しておくから」
大家さんから渡されたビンゴカードは、いくつもの穴が開いているわ。
あたしのカードなんて、まだふたつしか開いていないのに。
数字が呼ばれるにつれ、大家さんのカードの穴はどんどん開いて。
代行者のあたしは、二番目にリーチを宣言することに。
「やっと戻ってきたわね、これが大家さんのカードで当たった賞品よ」
あたしが大家さんに渡したのは、豪華な包み。
「三等賞の国内旅行券、十万円分をビンゴよ」
「当たったの?」
「ええ、一等賞の海外旅行は逃しちゃったけれど」
「くまさんのものでいいよ」
「当たったのは、大家さんのカードなんだから」
「俺がやっていたら当たっていないよ、だからくまさんの」
旅行券はあたしが預かることになったけれど、どうしたものかしらね。
「三人娘が騒いでいたわよ、大家さんの会社がうちの社員の派遣先だって」
「驚いていないのを見ると、くまさんは知っていたんだね」
「入社一年目や二年目の子の教育の準備で、勤務状況を確認するもの」
「そうか」
「派遣先に、自分がいた会社の名前がやたらとあればね」
あたしだって、漠然と仕事をしているわけじゃないのよ。
三人娘は、驚いたでしょうね。
あたしが勤めていた会社の名前なんて、知らないでしょうから。
「今日の受付の男の子だって、大家さんの顔を見て驚いていたし」
「へえ、気づいていたんだ」
「大家さんだって困ったような顔をしていたでしょ、受付の看板を見て」
「くまさんの会社の名前なんて聞いていないもの、ここに来て知ったんだ」
それもどうかと思うわ、自宅を貸すなら借り主の勤め先ぐらい聞くものよ。
「派遣元と派遣先の課長なら、あの日に会わなくてもいつか会っていたわね」
「やっぱり親子だね、良太も同じようなことを言っていたよ」
「良太がいつ、何て?」
「釣りに行ったときに、人の縁なんて不思議なものだねって」
「ふうん」
「合コンがドタキャンをされなければ、俺と再開していなかっんだからって」
「で、何て答えたの?」
「たとえあの日に会えなくても、いつか会えた気がするって言ったんだ」
「そうしたら?」
「出会う運命だったってことなの、って聞かれたよ」
「子供のくせに、生意気ねえ」
「そろそろお開きね、何かつまめた?」
「さんざんお酌をされたから、酒は飲んだけれど」
「あたしはおなかがペコペコなのよ、何か食べに行きましょ」
「受け持ちがあるんだろ?」
「部長が言ってくれたのよ、大家さんと一緒なら先に帰っていいって」
「だったら、食べるより飲みに行く方がいいな」
帰りが遅くなっても、良太は隼人の家にお泊まりだし。
三人娘は、これから後片付けだし。
二人きりでいられるなんて、めったにないチャンスだものね。
それから数日して。
三時過ぎに携帯電話が鳴ると、大家さんから。
「珍しいわね、仕事中に電話をしてくるなんて」
「徹夜明けで早帰りなんだけれど、まだ時間が早いから一人で退屈していて」
「早く帰って寝ればいいじゃない」
「仮眠をしたから眠くないんだ、夕飯に付き合わない?」
「あたしは退屈しのぎなの?」
「そんなことはないよ、ちゃんとしたお誘い」
「だったら、最初からお誘いっぽく言ってよ」
「そんなことを言わないで、待ち合わせは五時半に後楽園駅の改札口で」
「あたしが付き合うって前提なの?」
もちろん、付き合うんだけれど。
三人娘は、出先から直帰させるとして。
「じゃあ、良太も呼ぶわよね」
「良太は隼人の家に頼むから、今日は二人で」
二人きりって、本当にデートみたいじゃない。
夕暮れにはまだ早いドームのコンコースを、大家さんと歩きながら。
「で、どこに行くの?」
「奥にビヤガーデンが見えるだろ、そこに行こうかと」
「あたしの会社とは目と鼻の先じゃない、待ち合わせするならそこですれば」
「現地で集合したらただの飲み会だろ、もっと風情を大切にしようよ」
風情ねえ、わざわざここを歩くためかと思ったのにな。
会社のパーティーの帰りに、二人でここを通ったときに。
周りのカップルを、羨ましそうに見ていた。
そんなあたしに、気づいてくれたのかと思ったのに。
「ビヤガーデンに行く前に、そこのイベントホールに寄りたいんだけれど」
「イベントホール?」
「水着の展示即売会をやっているんだ、くまさんの水着を買おうと思って」
「あたしの水着?」
「夏休みになったら海かプールに行きたいって、良太が言っていたよ」
「あたしとじゃなくて、大家さんと行きたいんでしょ」
「じゃあ、三人で行けばいいじゃない」
三人って、大家さんと一緒に行くってこと?
大家さんが選んだのは、パステルレモンのビキニ。
「派手な水着ねえ、あたしもう三十五よ」
「パステルカラーだしそれほど派手ではないだろ、俺の好みだから我慢して」
自分の好みの水着を、あたしにっ!
「こんな水着を着せるのが好みだなんて、しょうがないわねえ」
そう言いながらにやついていたあたしは、夢にも思わなかったの。
この水着が、何人もの人を巻き込んで大騒動になるなんて。
それはまた、改めて。
ビヤガーデンでは、まずビールでしょ。
唐揚げバスケットに焼き鳥と枝豆やスペアリブを注文してから、乾杯。
「たまにはこういうのもいいわね、梅雨入り前で風も気持ちいいし」
「夕暮れどきに、奇麗なイルミネーションを見ながら外で飲むビールだもの」
「良太が言っていたんでしょ、夏休みになったら海かプールに行きたいって」
唐揚げを頬張りながら、さり気なく切り出してみる。
「だったら、ビンゴでもらった旅行券で海へ旅行をするのはどう?」
「海?」
二杯目のビールが到着。
「プールがある伊豆のホテルに行くのはどうかしら、二泊三日で」
「海じゃなくて、プールがあるホテルに?」
あたしが苦手なのよ、海は。
「八月の第一週の平日なら、大家さんの仕事にも影響しないでしょ」
大家さんって週末は仕事の予定が入るから、平日の方が休みやすいものね。
「二人で行っておいで、家族旅行なんだろ」
「大家さんが一緒じゃないのに、大家さんが選んだ水着をあたしが着るの?」
「しょうがないなあ、じゃあ電車とホテルは明日にでも予約しておくから」
ふふん、大家さん好みの水着の威力は抜群ね。
三杯杯のビールを飲みながら、考えたの。
お酒が入った勢いって怖いわね、伊豆へ旅行になんて言っちゃったし。
あたしからおねだりしたみたい、だったかなあ。
それでも予約しておくって言っていたってことは、OKってことよね。
「何をにやにやしているの、くまさん」
「えっ!」
あたしったら、にやにやしていたのかしら。
ジョッキが空くと、大家さんは。
「遊園地の中を通って帰ろうよ、入園は無料だから」
「えっ、遊園地?」
「この時間はイルミネーションが奇麗で、大人の遊園地っていうんだよ」
確かに、夜の遊園地は。
音に合わせて色が変わる噴水がかわいいし、観覧車もすてきだった。
何より、二人で歩いているのがとても楽しいな。
「それだけ笑顔になれたなら、肩肘を張らないで課長さんをやっていけるね」
「嫌だ、やっぱり気づいていたの?」
「少し息抜きが必要かなって顔をしていたし、三人娘も心配していたんだよ」
あたしったらそんな顔を、それにあの子たちにまで。
「今の顔なら、誘って正解だったよ」
リフレッシュできた理由って、ビールやイルミネーションだけじゃないわ。
あたしを気にかけてくれる人が、そばにいてくれるのがうれしかったから。
「大家さんありがとう、すっきりしたわ!」
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