表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/32

第三十一話 やっぱり、くまさんは春から 前編

 母さんの結婚式を一週間後に控えた、土曜日の夜のことです。

 仕事から帰ってきて、着替えを終えた大家さんに。

 クリーニングに出すワイシャツを受け取りながら、母さんが。

「三人娘をここに住まわせることで、相談があるんだけれど」

「どうしたのさ、珍しく深刻な顔をしちゃって」

 珍しくって……、確かに母さんが深刻な顔をしているのは珍しいけれど。

「親御さんに、ちゃんと話を通しておくべきじゃないかと思うのよ」

「へえ、くまさんにしてはまともなことを言うんだね」

 茶化さないであげてよ、大家さん。

「両親が大阪にいる鹿山はともかく、せめて猪口と蝶野の親御さんには」

「電話で済ますわけにもいかないだろうし、直接会って話すべきだろうな」

「でも、こんなことで会社に呼ぶのもどうかしら」

「うちに来てもらうしかないね、生活環境を見ておけば安心もするだろうし」

 そうかなあ、かえって不安になるんじゃないかな。

「結婚前なのに、面倒なことばかり増えるわね」




 寝室でゴロゴロしている三人娘に、そんな話を伝えた母さんは。

「それと、結婚式の前後五日間ずつは泊まりに来ないようにね」

 さらなる爆弾を投下したんです。

「え~っ、お式まで毎日ここに泊まるって決めたのに」

「毎日って、そんなことを断りもなしに勝手に決めているんじゃないわよ」

「ウチらにも、都合っちゅうもんがあんねん」

「どんな都合よ、家主の都合はこれっぽっちも気にしないくせに」

「こうやって泊まることで、ささやかなお祝いを毎日しようかと」

「お祝いなんていらないわよ、むしろあなたたちがいないことがお祝いだわ」

 へえ、母さんにしては上手な返しだな。

「この間だって、旅行に無理やりついてきちゃうし」

「大家さんと話し合いの末、妥協点を見つけた結果ですよ」

「何が妥協点よ、とにかくあの人と静かに過ごしたいの」

「聞ぃたか、あの人やて」

「うるさいわねっ!」

「枯れ木も山のにぎわい、と昔から言いますわ」

「意味を分かって言っているの、それってあなたたちが枯れ木だってことよ」

 母さんは、猪鹿蝶をにらみ付けてから。

「とにかく、十日間はお泊まり禁止だからねっ!」


 お次は、ばあちゃんに電話をしている。

「だから、わざわざ前日から泊まりに来なくてもいいって言っているのよ」

「着付けやお化粧があるから、朝にこっちを出たんじゃ間に合わないでしょ」

「近くのホテルを予約してあげるわよ、そこに泊まって朝一番にうちに来て」

「結婚式の前夜を家族で過ごしたい、そんな親心が分からないの?」

「あたしは、一人で静かに過ごしたいって言っているの」

「本来ならこの家からお嫁に出すのよ、なのに同棲なんかしているからっ!」

「同棲じゃなくて家を借りているんでしょ、何度言えば分かるのよっ!」

 とうとう怒鳴り合いになっちゃった。

「前回は一緒に過ごしたでしょ、だから今回は」

「やめなさい、縁起でもない」

「それに、お父さんが来たら大家さんと飲んじゃうでしょ」

「だから、何よ」

「二日酔いで、お式どころじゃなくなっちゃうもの」

 激しい攻防の末に母さんは、前日はホテルに泊まることを同意させたんだ。




 翌週の金曜日、昼前からどこかに行っていた母さんは。

 夕方になると、両手にデパートの紙袋をいっぱいぶら下げて帰ってきた。

 結婚式の前日は何かとバタバタするからって、休みを取ったはずなのにな。

「わざわざ休みを取ってまで、何を買ってきたのさ?」

「明日、使うものよ」

 母さんから紙袋を受け取った僕は、びっくり。

 びっくりといっても、僕が驚いたのは母さんにでも紙袋の中身にでもなく。

 母さんの後ろに隠れるように立っている、あゆみに。

「そんなに驚くことはないでしょ、あゆみちゃんじゃない」

「あゆみが来るのは、明日の朝じゃないの?」

「どうせなんだもの、今日から来てもらったのよ」

 ばあちゃんには、一人で静かに過ごしたいって言っていたくせに。

 あゆみには来てほしいんだ。

「それに、春休み中はずっとうちに泊まってもらうことにしたから」


「あゆみちゃんを東京駅まで迎えに行ってから、デパートで買い物をしたの」

 そう言いながらリビングに移動した、母さんとあゆみ。

 片っ端から、紙袋の中身を取り出しているけれど。

 どうやら全部が全部、あゆみに買ったワンピースに靴やら春コートみたい。

「明日、あゆみちゃんに着てもらおうと思ってね」

「こっちで着る服なら、出張に行ったときにたくさん買ったじゃない」

「あれは冬服だもの、明日のお式には春の服が必要でしょ」

 ご機嫌だな。

「やっぱり女の子っていいわね、お買い物していても楽しいんだもの」

「悪うござんしたね、ちっとも楽しくない男の子で」

「いいから、あなたはあゆみちゃんの荷物を寝室に持っていきなさい」


「ちょっと待っていて」

 寝室に入ろうとするあゆみに、僕が自分の部屋から取ってきて渡したのは。

 このひと月の間に必死で探した、青いイルカのブローチ。

「遅くなってごめん」

「これ……、どうして」

「チョコレートのお返しだよ」

「うれしい……、ヘアピンとおそろいなのね」

 うつむきながら小さな声でそう言うと、あゆみの頬がみるみる赤くなった。

「結婚式で会ったときに、直接渡そうと思っていたんだ」


 夕ご飯は、いつもの焼き肉屋さんへ。

 あゆみが、かいがいしく網の上で肉を焼いて。

 それを食べ、ジョッキの中身をぐんぐんと減らしている母さんと大家さん。

 結婚式は明日なのに、独身最後の食事って雰囲気が皆無だな。

 大家さんはともかく、母さんでさえ緊張感のかけらもないなんて。

 そんな二人を見ていると、我慢がならなくって聞いてみた。

「どうしてそんなに落ち着いていられるの、結婚式は明日だよ」

 僕の質問に、それがどうしたって顔をしている二人。

「緊張感がまったく伝わってこないね、もしかして二人とも二度目だから?」

 つまらないことを聞くんだな、なんて顔をした大家さんは。

「一年間も、毎日のように一緒にいるんだぞ」

「こんなことで緊張するなら、結婚しようなんて言っていないわよ」

「いつか結婚するときがくれば、おまえのも分かるさ」

 涼しい顔でそう言いながら、楽しそうにしている母さんと大家さん。

 あゆみは、肉を焼く手を止めて羨ましそうに見ている。

 そんなに結婚をするのが羨ましいのかな、女の子って不思議だね。

 焦げちゃうよ、網の上の肉が。




 キッチンで一緒に朝ご飯の支度をしている、母さんとあゆみ。

「いいんでしょうか、わたしがお式に出席しても」

「もちろんよ、新婦のあたしが是非とも出てほしいって言っているんだから」

「わたしは、お身内ではないですし」

「大丈夫だってば」

「でも……」

「あゆみちゃんも十年もすれば結婚するでしょ、見ておけばためになるもの」


 そうこうしていると、まだ七時なのにばあちゃんたちが来ちゃった。

「この子ったら、何をのんびりと朝ご飯だなんて」

「お式はお昼からよ、九時に出れば間に合うのにこんなに早く来なくても」

「少しでも早い方がいいでしょ、お化粧や着付けがあるんだから」

「それは式場に着いてからじゃない、年だから早く起きちゃっただけでしょ」

「親に向かって、年だからとは何よ」

「あの……、キッチンのお片付けや良太さんのお支度はわたしがしますから」

「悪いわねあゆみちゃん、お願いするわ」

 リビングに移動してから、ばあちゃんは。

「ちょっと、今の娘さんは誰なのよ?」

 そうか、ばあちゃんはあゆみに会うのは初めてだったね。

「あゆみちゃんよ、あたしの部下の妹」

「部下の妹がどうしてあなたの家にいるの、しかも結婚式の日に」

「結婚式に出席してもらうんで、大阪から東京に来てもらったのよ」

 驚いてぽかんとしているばあちゃんに、涼しい顔をして母さんは。

「せっかくだから、春休みの間はうちに泊まってもらうの」




 ひと駅だから電車で行くって、言ったのに。

 大家さんが呼んでくれたタクシーに、ばあちゃんと乗り込んだ母さん。

 僕が通う小学校の前にある、桜の橋を右折するときに。

 車窓から見える川沿いの桜は、今が満開。

 この桜が満開なのを初めて見たのは去年、大家さんと一緒にだっけ。

 大家さんと暮らすようになってから一年か、いろんなことがあったよね。

「ここの桜、夜だけじゃなくて昼間も奇麗なのね」

「夜桜って、お母さんも見たことがあったっけ」

「引っ越したあなたを訪ねたときに、お父さんや良太と散歩をさせたでしょ」

「そんなことがあったかしら」

「あなたは焼き肉屋さんに行っていたからね、大家さんに会いに」

「ちゃんこ屋さんの後か、そうだったわね」

「二人で笑っていたわよ、楽しそうに」

 ここで言葉を切ったばあちゃんは。

「良かったわね、大家さんにもらってもらえて」

 ばあちゃんったらこんなときに、母さんがちょっと泣いているじゃない。




 母さんの支度が終わった直後、新婦の控室に大家さんのお母さんが。

 花嫁衣装のせいで、身動きがとれない母さん。

 申し訳なさそうに、座ったままで会釈をすると。

「奇麗だねくまさん、強にはもったいないくらいだ」

「ありがとうございます、お義母さま」

 大家さんのお母さんが、じいちゃんやばあちゃんと談笑していると。

「森野君、おめでとう」

 声をかけられて振り向いた母さんの目には、大家さんの会社の社長さんが。

 母さんにとっても、最初に結婚するまで勤めていた会社の社長だよね。

「あ、ありがとうございます」

 びっくりしながらも、お礼を言った母さんだけれど。

 親族だけの式にどうして社長がいるのって、ひきつった笑顔になっている。

 きっと、母さんはパニックになりかけているんだろうな。

「それにしても、森野君と強が結婚するとはな」

 社長さんが、ここでいるだけでも驚いているのに。

 どうして大家さんのことを強って呼んでいるの、って顔に。

「びっくりした顔をしてどうした、強から聞いていないのかい?」

 大家さんのお母さんからそう言われて、母さんは首を横に振りながら。

「あたしは、何も聞いておりません」

 パニックが、急勾配の上り坂に差し掛かっている母さん。

「まったくあの子はしょうがないね、くまさんに何も話していないだなんて」

 そう言いながら、大家さんのお母さんは社長さんを指差して。

「あたしの妹の旦那だよ」

 じゃあ、社長さんが大家さんの叔父さんってこと?

「強にとっちゃ叔父だし、あたしには義弟だからここにいて当たり前なんだ」

 大家さんたらだめじゃないか、そんな大切なことを話していないなんて。

 心の中で同じように叫んでいるんだろうな、母さんも。


 母さんの混乱が続いている中で始まったお式。

 参加者は、ごく身内だけだから。

 新郎側には、大家さんのお母さんと叔父さんと奥さんが。

 そして、新婦側にはじいちゃんとばあちゃんと僕にあゆみ。

「奇麗だよ、くまさん」

 みんなが着席して、お式が始まるってときに母さんにそう言った大家さん。

 大家さんが、心からそう思ってくれているのは伝わるし。

 普通なら一生記憶に残る、大切なひと言のはずだけれど。

 パニックによるきつい上り坂にふらふらの母さんは、それどころじゃない。

「どうして話してくれなかったのよ」

「何を?」

「社長のことに決まっているでしょ、叔父さまだなんて聞いていないわよ」

「だって、聞いてこなかったから」

「大家さんが三十代半ばで課長なんて超スピード出世をしたのは、それでね」

「違うよ、会社じゃ俺と社長が親戚だなんて誰も知らないもの」


 そんな母さんにお構いなく、式は始まって。

 神前の式って、僕には少しだけ儀式的な感じがした。

 これで夫婦になりましたなんて、実感がわかないかもね。

 それでも母さんは、三三九度が終わるころには感極まっているみたい。

 自分をもらってくれる人の横にいるんだ、そう思ったのかな。

 悲しくてもつらくても、泣いたことなんかなかったし。

 あれだけ、式でも泣かないって言っていたのに。

 もう一度、大家さんから奇麗だよって言われて泣いちゃった。

 本当に幸せなときって、涙しちゃうんだね。




Copyright 2024 後落 超


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ