第三十話 大人の旅行のお楽しみ 後編
昨日着ていた服や靴を段ボール箱に詰め、宅配便で家に送り返したら。
ちょっと遅い時間に、ホテルをチェックアウト。
腕を組んで駅に向かって歩いているあたしたちって、新婚さんそのものね。
今日はイチゴ狩りに連れていってくれるんだって、楽しみ。
ホームで特急を待っていると、さすがに週末だけあって。
新幹線から乗り換えて伊豆に向かう人たちが、ゾロゾロと上がってくるわ。
「連休でもないのに、人が多いわね」
「早咲きの桜を見に行くのさ」
「桜って、三月の上旬に?」
「東京より咲くのが早いから、今がシーズンなんだよ」
そんな会話をしているあたしたちの背中に、聞き慣れた声が。
「プレ新婚旅行中の大家さんと課長、見っけ!」
「公衆の面前やっちゅうに、腕を組んどるやんけ」
「たったひと晩なのに、すっかりお二人だけの世界に入られて」
ゾロゾロの最後に登場したのは三人娘、しかも良太と隼人に先生まで。
「どういうことなの、大家さんっ!」
あたしのけんまくに、大家さんは申し訳なさそうに。
「夏の新婚旅行についていくって、三人娘に言われて」
何ですって!
「止めさせる代わりに、この旅行に連れていくことで手を打つことになって」
そもそも、どうしてあたしたちが手を打たなきゃならないのよ。
しかも、この子たちが来るのを知っていたなら。
今夜は最初からあれを着けないって言っていたのは、何だったの?
事前に大家さんが手配していたらしく、特急の指定席はみんなで一緒。
これじゃ、ただのグループ旅行じゃない。
まるで去年の夏、あの旅行のデジャヴだわ。
三人娘と先生が登場するのは、伊豆への旅行での決まりごとなんですか?
さっきまで感じていた幸せなんて、どこかへ飛んでいっちゃった。
「それにしても、課長のその格好って」
「白いセーターはペアやし、大家さんに合わせたんかジーンズとブーツまで」
「若干の無理を感じますわね、うけを狙うつもりにしても」
うるさいわね。
ペアルックといっても、あたしは大家さんが指定したのを着ているだけよ。
あなたたちに会うまでは、それはそれでうれしかったのに。
「三人とも大声でからかわないの、他人が見ているんだから」
もっと言ってやってください、先生。
伊東で特急を降りると、事前に頼んでおいた迎えのバスに乗りイチゴ園に。
まずは、併設されているシーフードバーベキューのお店でお昼ご飯だって。
この後、すぐにイチゴ狩りをするのに。
どうせお酒を飲むんでしょうし、おなかがいっぱいになっちゃうんじゃ?
イチゴ狩りとバーベキュー、どっちがメインなのよ。
「あなたたち、そんなに注文しちゃって大丈夫なの?」
「課長と違って、あたしたちは朝ご飯がまだですもの」
「それにイチゴはデザートやろ、別腹や」
「おなかがペコペコですし、後でしっかりと運動もしますしね」
後で運動をするって、何のこと?
大満足したバーベキューの後には、イチゴ狩りが待っています。
イチゴには、練乳をたっぷりつけたい。
なんて言う大家さんったら、子供みたい。
あたしがあげた練乳も使い切っちゃって、物足りなさそうな顔をしている。
つみたてのイチゴなんて、そのまま食べるのがおいしいのにね。
キャーキャー言いながら、つんだイチゴを食べているのは三人娘。
まるで親の敵であるかのように、次から次へとイチゴを口にしている。
あの食べっぷりを見ている限り、デザートは別腹ってせりふは本当みたい。
良太と隼人はどこかに行っていて、たまに顔を見せに来るけれど。
イチゴ狩りをそっちのけにして、どこで何をしているのかしら。
毎日のように遊びまわっているのに、元気があり余っているのね。
あくまでも食後のデザートとして、イチゴを楽しんでいるあたしと先生。
これこそが、正しいスタイルだと思うわ。
何といっても、たしなみのある大人の女性ですもの。
イチゴ園から伊東駅を経由して到着したのは、去年の夏に泊まったホテル。
チェックインした直後、ロビーではゆううつな部屋割りを。
大家さんが予約していたのは、大人が六人と子供が二人で三部屋。
「去年の夏と同じ部屋割りが、妥当だろ」
何よ、大家さんったら夢も希望もないことを言い出しているわね。
「ちょっと待って、あたしと大家さんでひと部屋ってのは絶対に譲れないわ」
「年長者のくせに、そんなわがままを言うなんて」
「こないな母親の横暴な振る舞い、良太が見たらどない思うやら」
「昨夜だってご一緒でしたのに、満足なさいませんの?」
「これはあたしと大家さんの旅行で、あなたたちはおまけなの!」
いつにも増して、有無を言わせぬあたしの態度に圧倒された結果。
何とか、残りのふた部屋で調整することに。
「良太と隼人がひと部屋で、三人娘と先生でひと部屋だな」
「温泉とプールの用意をしてから、十分後にエレベーター前に集合だから」
「ねえ大家さん、温泉はともかくプールって何よ?」
夏ならともかく、まだ三月の初めよ。
「温泉の隣にある屋内プールだよ、前に来たときに見ていない?」
さっき蝶野が言っていた運動って、このことか。
「そのまま温泉に行くから、タオルと着替えだけ持っていけばいいぞ」
「ちょっと、水着のままで館内を移動するの?」
「まさか、水着を着た上に浴衣を羽織るんだよ」
とりあえず、各自の部屋に移動したけれど。
「プールだけれど、あたしたちは水着なんて持ってきていないでしょ」
去年の先生みたいに、わざわざ買うのかしら?
「くまさんの水着なら持ってきたよ、はい」
そう言って渡されたのは、おなじみのパステルレモンのビキニ。
送った段ボールに、水着まで入れておいたなんて。
プールで体を動かしてから、のんびり温泉を楽しんでいると。
その効果たるや、抜群みたい。
あれだけおなかがいっぱいだったのに、夕食が待ち遠しいんだもの。
お風呂上がりにはぞろぞろと売店に行って、夜に備えておつまみを調達。
大家さんは、ミニ塩辛の五本セットと海鮮おつまみを買い。
三人娘はお菓子を買って。
お部屋に戻ると早速、白造りの塩辛のふたを開けている大家さん。
飲んべえの鹿山や先生と、夕食までビールで一杯やるんだって。
子供たちや猪口と蝶野は、トランプをしている。
あたしは、窓辺のソファーで夕日を見ながらのんびり。
その後は、ビール組とトランプ組の双方を行ったり来たり。
シアターでの食事を終えて、売店でお土産を選んでから三人娘のお部屋に。
昨日の今頃は、大家さんとひとつのお布団の中だったのに。
どうして、この子たちとわいわいしていなきゃいけないのよ。
「はあ……」
「課長の番ですよ」
「ええ大人のくせに、露骨に不満だっちゅう顔をせんと」
「大家さんとお二人きりがよろしいんですわ、きっと」
当たり前でしょ、プレ新婚旅行中なんだから。
「せっかくの旅行ですもの、お二人はそろそろご自分のお部屋へどうぞ」
さすが先生、立派な大人の言動ね。
「っていうか、課長ったらさっきからそわそわし過ぎでしょ」
「なんぼプレ新婚旅行やいうても、なあ」
「この後は、お二人でごゆっくりお過ごしください」
「じゃっ、じゃあ大家さんとあたしは先に……」
「恥ずかし気もなく、速攻で退散ですか」
「なんや、大家さんと二人きりになれる思うたとたんに笑顔かいな」
「よっぽどうれしいんですわね」
「からかうんじゃないの、三人とも」
重ねがさねありがとう、先生。
朝ご飯の席では。
「課長の顔ったらツヤツヤしているし、緩みっ放しね」
「濃密な夜を満喫させてもろた、ちゅう顔やな」
「しっ、良太君たちもいるんですから」
良太よりも、目の前に当人がいるでしょっ!
「お日様が黄色く見えているんじゃない?」
「隣の部屋に息子たちがおったのに、恥じらいっちゅうもんはないんか」
「しっ、課長に聞こえますってば」
だから、全部聞こえているわよっ!
それに、どこの誰なのよ。
隣の部屋で、深夜までトランプをして騒いでいたのは。
「うわあ~っ!」
大室山に向かうバスの中で、歓声をあげる良太と隼人。
車窓から見えるのは、東京よりずっと早く満開になっている早咲きの桜。
家の近所に桜の名所があるあたしたちでさえ、この反応だもの。
多くの人が見に来るわけよね。
それにしても、誰だったかしら。
三つ手前の停留所で降りて、桜並木を見ながらのんびりと歩いていこう。
なんて、お気楽なことを言い出したのは。
まだ三月に入ったばかりなのに、降り注ぐ日差しが暑いの暑くないの。
速攻で脱いじゃったジャケットは、ただの重い荷物。
こう暑くちゃ、おそろいのセーターもうっとうしいだけね。
桜を見ながら歓声をあげていたのは、最初の三分間だけで。
残りの二十分は、全員が重い足取りで無言の行進を続けることになったし。
やっと山麓に到着したころには、もれなく全員が汗だく。
これって、どんな罰ゲームですかっ!
ようやく大室山に到着したっていうのに。
ひと休みする間もなく、乗せられたのは山頂に向かうリフト。
優しく吹いている風が頬をつたい、気持ちが良かったのは。
これまた、最初だけ。
日差しを遮るものが、お飾り程度に付いているリフトの屋根だけだなんて。
たっぷりと時間をかけ、山頂に着いたら着いたで。
火口の縁を一周するんだって、良太は右回りに隼人は左回りに走り出して。
もう、豆粒ぐらいの大きさになっているわ。
まるで、雪の中を走り回る仔犬ね。
冷たい飲み物を片手にとはいえ、この暑い日差しの中でもはしゃぐ三人娘。
正気の沙汰じゃないわね。
真夏にうっとうしく鳴き続ける、セミと一緒よ。
売店の日陰に座り込んで、流れる汗を拭きながらしんどそうにしている。
あたしと先生こそが、しごくまともな分別のある大人の女性ってものよ。
これじゃあ、昨日のイチゴ狩りのきと同じパターンね。
「くまさんもこっちにおいでよ、そんなところにいないで」
汗が止まらないのに日なたに出てこいと言うんですか、大家さん。
心の底から、お断りさせていただきます。
「何度も来ているけれど、こんなに奇麗に富士山が見えるのは初めてだよ」
そんな爽快感を丸出しのせりふは、もっと快適に過ごせる状況下で言って。
やっと良太と隼人が戻ってきたのに、大家さんたら。
「この後は向かいの施設に行って、温泉に入るカピバラを見ようか」
当然パスさせてもらいます、パスっ!
この後は、ふもとのレストランに駆け込んでゆっくり休んでいるわよ。
一時に伊東駅に戻ってから、これまた夏に行った船宿で磯料理を堪能して。
その後は、帰りの車内に備えて買い出しを済ませ。
特急に乗り込むと、帰るにはまだ早い時間なのかしら。
グリーン車は貸し切り状態で、万全の宴会モード。
熱海を過ぎるころには、ゲームを始めた良太と隼人を除き宴会はたけなわ。
これって、旅行の帰りに電車の中でやっている宴会なんですよね。
横浜を過ぎても、まったく終わる気配がないって。
ひょっとして、終点まで盛り上がるつもりかしら。
まさか、着いたその足で駅に隣接しているビヤホールに直行して二次会を?
やっとおうちに帰ってきて。
荷物を整理し終わり、洗濯物を取りに大家さんの部屋へ行くと。
お土産の塩辛で一杯やっているんで、あたしもお付き合い。
「やっぱり落ち着くわね」
「お年寄りみたいなことを言っているね、旅行は楽しかった?」
「ええ、でも逆の方が良かったかな」
「逆って?」
「最初の日をみんなと一緒にして、最後の夜には二人っきりでいたかったな」
「結果的にはふた晩とも二人っきりだったんだから、機嫌を直してよ」
「夜だけじゃなくて、昼間や朝も二人でいたかったんだもの」
「結婚前の思い出にはなっただろ、それに新婚生活が待っているんだし」
「二人っきりでいられる時間なんて、ほとんどないでしょ」
「くまさんはぜいたくだなあ」
「ぜいたくついでに、あたしは今夜からこの部屋で寝るわ」
「あとひと月もないのに、我慢はできないの?」
「いいじゃない、もう身も体も大家さんのものになったんだし」
「それを言うなら身も心も、だろ」
うっ、うう……。
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