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第二十九話 大人の旅行のお楽しみ 前編

 三月に入り、結婚式までひと月もないっていうのに。

「いったいどういうつもりなの、あなたたちっ!」

 声を荒らげている相手は、もちろん。

「最近は、週末のたびにうちへ来ているじゃないのっ!」

 寝室の掃除をしたいのに、わがもの顔でぐだぐだとしている三人娘です。

「いつの間にか、山のような着替えや化粧品まで持ち込んじゃって」

 しかも、さんざん言っているのにクローゼットにしまいもせず。

「うちを、ホテルか下宿だとでも思っているんじゃない?」

 あたしがそう言ったとたん、目を輝かせて起き上がった三人娘は。

「さすが課長、それですよっ!」

「週末用のホテル程度には思うとったけど、下宿にするのもええなぁ」

「隔週末限定を解除していただいて、わたしたちがこのお部屋に」

「ちょっと待ちなさい、あなたたちはここに住むっていうの?」

 平然とした顔で突拍子もないことを言い出しちゃって、この子たちったら。




 結婚をしたら、あたしは寝室から大家さんの部屋に移る予定なの。

 そのことについては、この子たちにも話してあるけれど。

 本格的に居着くつもりだなんて、とんでもないわ。

「あのねえ、どうしてあたしたちが一階で暮らすことにしたと思っているの」

「新婚の二人がこの部屋にいたら、良太君にとって劣悪な環境だからでしょ」

 多少はそう思うから一階に行くことにした手前、反論をしづらいけれど。

「何が劣悪なの、あなたたちが部屋を占拠している方がよっぽど劣悪でしょ」

「えらい言われようやな、健全な青少年を守るためやっちゅうのに」

 何よ、良太をだしに使うつもり?

「裸同然の格好をした不健全なあなたたちがいたら、大差はないでしょ」

「わたくしたちが寝室にいる分には、良太君には何の音も聞こえませんし」

 確かに……、って納得させられたらだめでしょ。

「音って、大きなお世話よ」

「良太君に気を使いながらじゃ、新婚生活にも影響が出るのでは?」

「だから、大きなお世話だって言っているでしょ」

「おっきいベッドも買うたんやし」

「新しいベッドがいいだろうって、大家さんが気を使ってくれただけよ」

「今まで使っていました、大家さんのベッドがありますのに」

「恩恵を受ける、あなたが言えること?」

 大家さんのベッドは寝室に運んで、蝶野が使うことになっているの。

 今までマッサージチェアで寝ていた蝶野こそ、どうかと思うけれど。

「それに大家さんの部屋なら、ねえ」

「何よ、意味深に」

「せや、新婚夫婦にはおあつらえ向きやし」

「だから、何がおあつらえ向きだっていうの?」

「誰に気兼ねすることもなく、深夜にお風呂をお使いになれますもの」

 そうなのよ。

 大家さんの部屋での、一番の利点はそれなのよね。

 って、だからっ!

「誰かに気兼ねをする必要がどこにあるのよ、ここはあたしたちの家なの!」


「そうと決まれば、やることは山積みね」

「何を言っているの、誰も許可をしていないでしょ」

「問題は荷物やな、まあ徐々に運んだらええか」

「これ以上、まだ持ち込むつもり?」

「日常品や荷物より、さしあたっての問題はお風呂ですわ」

「お風呂って、何よ」

 いつの間にか、お風呂のことで勝負をすると言い出している三人娘。

 そして、そんなわけの分からない勝負に巻き込まれているあたし。

「どうしてあたしまで、あなたたちと勝負なんか」

「あたしたちが住むなら、全員が家のお風呂に入るのは時間的に無理ですし」

「それは、あなたたちが長風呂だからでしょ」

「銭湯に行く大家さんと、家か銭湯かを当日に選ぶ良太は除くとしてやな」

「あなたたちこそ、居候なんだから銭湯へ行けばいいでしょ」

「……」

 あれ、蝶野は何も言わないのね。

「課長が結婚した後のお風呂の権利を賭け、四人でじゃんけんをしましょう」

「負けた二人が銭湯へ行き、勝った二人が家の風呂っちゅうルールや」

「あの、わたくしはじゃんけんに参加しませんわ」

 なぜか蝶野が、自発的に銭湯へ行くことを選択したものだから。

「じゃんけんに参加しないなんて、どうして銭湯に行きたがるの?」

「銭湯って大好きですわ、わくわくいたしますから」

 そうか。

 お嬢さま育ちで、何ごとにも免疫がない蝶野にとっては。

 行ったことがない銭湯に通うのも、ちょっとしたレクリエーションなのね。

 温泉旅館の大浴場に行くのと同じ感覚、なのかしら。


 そして、じゃんけんの結果は無慈悲なもので。

 勝った猪口と鹿山は、家のお風呂を六十分ずつ使う権利を獲得して。

 負けたあたしは、結婚後は蝶野と二人で銭湯に行くことに。

 徒歩で一分もかからないとはいえ、まだ三月の初めよ。

 湯冷めしちゃうのに、どうして家主のあたしが毎日銭湯へ。

 っていうよりも、いつの間に三人娘がうちに住んでいいことになったのよ。


「大家さんにはあたしが話すから、あなたたちは余計なことを話さないで」

「課長が自分で伝えたいのなら、どうぞご自由に」

 あのねえ、あたしがこんなことを伝えたくて伝えるとでも?

「なんや、ウチらが言おうと思うとったのに」

 あなたたちが雑に伝えたら、大家さんが腰を抜かすからでしょ。

「せっかくのサプライズ、ですのに」

 喜ばしい驚きではなく、あきれちゃう驚きでしょ。

 とりあえず、この子たちにはくぎを刺してはみたものの。

 大家さんには何て言えばいいのやら、とほほ……。




「あ~、もうっ!」

「いきなりどうしたの、くまさん?」

「どうもこうも、三人娘ったらひどいのよ」

「今度は何をしでかしたの」

 わざと聞こえるように言った独り言に、狙いどおりに反応した大家さん。


「……というわけなのよ」

 大家さんに、三人娘の所業について話し終えてから。

「勝手にここに住むって決めちゃうんだもの、本当にひどいでしょ」

「あいかわらず、くまさんは断るってことを知らないね」

「断固拒否したわよ、でもあの子たちが勝手に」

「家賃でも徴収するんだね、これでくまさんも大家さんか」

「笑いながら言わないで」

 ここからが、肝心よ。

「唯一の楽しみだった、お風呂にすらゆっくり入れないんだもの」

 別に、唯一ってほどじゃないけれど。

「銭湯じゃ、ゆっくりできないの?」

 おっ、上々の反応ね。

「そうじゃなくて、自分の家にお風呂があるのに銭湯へ通うなんて」

 後は、のんびりと大きなお風呂に入りたいって言うだけよ。

「じゃあ、今週の金曜日は仕事の帰りに待ち合わせをして温泉に行こうか」

 おおっ!

 あたしから、それとなく切り出す予定だったのに。

 大家さんから、百点満点の提案をしてくれるなんて。

 予定とはちょっと違うけれど、結果オーライなんだから良しとしましょう。

「温泉に行くって、お式まで日がないのに?」

 ほいほいと乗ったら軽い女みたいだものね、一応は抵抗してみせなくちゃ。

「結婚といったって、買いそろえるものや引っ越しがないんだし」

「それでもやることが多いのよ、新婦には」

「いいじゃない、良太も隼人の家で預かってもらって二人でさ」

「そうねえ、そこまで大家さんが言うなら行ってもいいかな」

 粘り強く誘う大家さんに押し切られた、という体で。

 あたしは、プレ新婚旅行というご褒美を手に入れたの。

 結婚後には毎日続くことになった、銭湯通いと引き換えにね。


 仕事を終えた金曜日の夜から日曜日まで、二泊三日の温泉旅行なら最高ね。

 良太は、隼人の家で預かってもらうし。

 三人娘がうちに来ない週末だから、旅行をするって知られることもない。

 当然、面倒なことにはならないわよね。

 だったら、この旅行であたしは大家さんと……。




 仕事の帰りなんだからと、行き先を熱海にしたのは正解だったわ。

 新幹線に乗ってビールを楽しんでいるうちに、あっという間に到着だもの。

 でも、いざ駅を出てみると。

 観光地の駅前に、仕事帰りって感じが丸出しの格好でいるあたしたちって。

 まるで、不倫旅行でもしているカップルみたい。

 周囲の人からは、そう見えているんじゃないかしら?


 どうせ間に合わないんだからと、夕食抜きのプランにしておいた大家さん。

 そこで、あたしたちは夕食を楽しんでからホテルへ行くことに。

 駅前からの坂を下り、大家さんが連れていってくれたお店は。

 頼んだ干物を、テーブルに置かれた焼き台を使って自分で焼くスタイル。

 毎度のことながら、こんなお店をよく知っているわね。

 干物は、アジとキンメダイにイカの一夜干しを選び。

 シラスおろしやイカの塩辛も頼んで。

 目の前で燃えている炭火のせいか、冷えたビールがおいしい。




 ホテルに着き、フロントでチェックインをした後で。

 大家さんが受け取ったのは、段ボールの箱。

 何かって?

 この会社から直行する温泉旅行にはひとつ、大きな問題があったの。

 そう、着替えなどの荷物をどうするかってこと。

 会社に持っていくのは、何がなんでも避けたいところ。

 そんな荷物を持っているのを、三人娘に見られでもしたら。

 旅行だって、ばれちゃうし。

 だからって、旅行中にずっと会社帰りの格好で過ごすのは話にならないし。

 で、大家さんと相談した結果。

 着替えなどの荷物は、宅配便でホテルに送っておいたの。


 落ち着いた照明に照らされた廊下を進み、仲居さんが案内してくれたのは。

 奥にある静かな離れの、二間続きのすてきなお部屋。

 窓の外を眺めると、湯気の向こうには部屋付きの露天風呂が。

 仲居さんが、隣のお部屋へ続くふすまを開けると。

 上品な薄明かりの中で、お布団が並べて敷いてあるのが見える。

 これぞまさに、大人が楽しむ旅行って感じ。


 仲居さんが出ていくと、二人きり。

 うちでは良太がいるからと。

 結婚をするまで、あれはおあずけって約束だったから。

 今夜が初めての……。

 ちょっぴりどきどきしながら、荷物を整理するふりをしているあたしに。

「くまさん、お風呂に」

「ええっ、痛っ!」

「どうしたの」

「だって、急に声をかけてくるんだもの」

 一緒にお風呂に入ろう、なんて言われるかと思いながら緊張しているのに。

 いきなり、後ろから声をかけてくるんだもの。

 驚いて、持っていた荷物を足の上に落としちゃったのよ。

「なっ、なあに?」

 緊張しながらそう答えたあたしに、大家さんは。

「俺は先に風呂に入るよ、その方がくまさんはゆっくり入れるだろ」

 ちょっと、先に入るって何よ。

 一緒に入るための部屋付き露天風呂、ではないんですか?

「のんびりと大きなお風呂に入りたいって言うから、温泉に来たんだものね」

 確かに、そんな設定だったけれど。

「俺はすぐに上がるから、一人でゆっくり入るといいよ」

 そんな……。


 ちょっとがっかりしながら、お風呂から上がると。

 大家さんは冷蔵庫から出したビールを片手に、湯上りを堪能中。

「くまさんも一杯、どう?」

 お風呂のおかげで、さっきからの緊張もようやくおさまったし。

 こうやって、二人で湯上りのビールを楽しんでいるなんて。

 それはそれで、幸せなのよね。

「お祭りのときの浴衣も良かったけれど、風呂上がりの浴衣姿もかわいいね」

 そんなことを言われたら、せっかくおさまった緊張がまた。


 隣のお部屋は、床の間に置かれたライトの薄明かりだけ。

 先にお布団に入ったあたしが、ドキドキしていると。

 床の間のライトを消してから、お布団に入ってきた大家さん。

 そっと、あたしの肩を抱くと。

「くまさん……」

 ついにきたわっ、熱い夜の始まりよっ!




「朝だよ、くまさん」

「ううん……、おはよ」

 大家さんの腕の中で迎える朝って、幸せ。

「だるそうだね、大丈夫?」

「まだ起きられないぃ」

 ちょっと、甘えてみせちゃった。

「そりゃそうだろ、さっきのが余分だったんじゃない?」

「だって、大家さんもすごく……」

 大家さんは、数時間前に封を切ったばかりの箱を横目で見ながら。

「だからって、あれも着けさせてくれないなんて」

 とっても熱い二回、だったのに。

 ごみ箱の中に捨ててあるあれは、昨日の夜に使った分だけだもの。

「大丈夫な日だって、言ったでしょ」

「それなら、最初から言ってくれれば使う必要はなかったじゃない」

「じゃあ、今夜は最初からなしで」

 目覚めて最初にする会話がこれなんて、何度も言うけれど幸せよっ!




Copyright 2024 後落 超


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