第二十三話 犬作戦とクリスマス 前編
十二月に入ったばかりの、水曜日の夕方のことです。
僕が一人で、退屈な留守番をしていると。
いつものように、大家さんのお母さんが突然うちにやって来て。
今は、リビングで僕と話をしているんです。
「で、くまさんは強からプロポーズをされたのかい?」
「まだみたいだよ、特に何も動きがないから」
されているのなら、母さんのことだから大騒ぎになっているはずだものね。
「変だねえ、見合いをしなかったときに強が言っていたのに」
「何て?」
「再婚したい相手はくまさんだろうって聞いたら、そうだって」
うわあ、単刀直入に聞いちゃったんだ。
せめて母さんに、大家さんのお母さんの半分でも度胸があれば。
こんなことにはなっていないだろうに……。
「じゃあ、大家さんが再婚したい相手が母さんなのは確定なんだね」
「なのにまだプロポーズをしていないだなんて、強は相変わらずのぐずだね」
「母さんも、大家さんをちらちらと見てはもの欲しそうな顔をしているよ」
「そりゃ、そうだろうさ」
「キッチンで照明もつけず、ため息をついていることも」
「くまさんも今か今かと待っているのさ、強からプロポーズされるのを」
「ダイニングのラックには、折り目がたくさんついた結婚情報誌があるし」
「こりゃ、何とかしてやらないとねえ」
「何とかって、どうするの?」
「そうだねえ、まずは……」
それから何日かした、日曜日。
とあるおねだりを僕が母さんにすると、まずは第一幕のはじまりはじまり。
「夕ご飯には、おいしいお刺し身が食べたいな」
「そうね、焼き肉や洋食が続いているからさっぱりとしたものがいいかしら」
「やったね!」
「じゃあ、夕方になったら買いに行かなくちゃ」
「お刺し身を買いに行くなら、いつもの魚屋さんだよね」
いつもの魚屋さんとは、大家さんに教わった隣駅にある魚屋さんのこと。
「そうよ、お刺し身はあそこで買わなくちゃ」
「だったら、これから大家さんを誘ってお昼ご飯がてらに三人で行こうよ」
駅を出てすぐの魚屋さんでお刺し身を買ってからが、第二幕。
商店街の途中にある、これまた大家さんに教わったしゃぶしゃぶ屋さんで。
「昨日ね、隼人の家に行ったらチワワがいたよ」
「チワワって、犬の?」
「うん」
「隼人って、犬を飼っていたの?」
「おとといから」
「どうして、また急に」
「兄弟がいない隼人が寂しいだろうって、おばあさんが買ってくれたんだ」
「いろいろと大変なのね、おばあさんも」
「クリスマスのプレゼントなんだってさ、隼人は喜んでいたよ」
「良かったじゃない」
「まだ赤ちゃんの犬でね、こんなに小さくてすぐに寝ちゃうんだ」
「ふうん」
ここではこの程度にしておくか、ここまではあくまでも前ふりだものね。
おなかがいっぱいになり、しゃぶしゃぶ屋さんを出ると第三幕。
「ねえ、歩いて帰ろうよ」
「ひと駅分を、歩いて帰るの?」
予想はしていたけれど、渋っている母さん。
「ここから駅まで戻るぐらいなら、歩いて家まで帰っても変わらないでしょ」
「そりゃそうだけれど、でもねえ……」
「いいんじゃないか、ちょうどいい腹ごなしになるだろ」
大家さんがそう言ってくれて、どうにか歩いて帰ることに成功。
商店街の端にあるペットショップの前で僕が足を止めると、第四幕。
ショーケースの中の仔犬を見始めた僕に、母さんが。
「どうしたのよ、こんなところで止まって」
そ~ら、きた。
「ねえ母さん、犬を飼っちゃだめ?」
「何を言い出すのよ、急に」
「隼人の仔犬がかわいくてほだされたんだよ、飼ってあげればいいじゃない」
ばっちりのアシストだよ、大家さん。
この後も、そんな感じでアシストを頼むよ。
「生まれたばかりの犬や猫って、大体がかわいいものよ」
「いいでしょ、クリスマスのプレゼントに買ってよ」
「簡単に言うけれど、生きものを飼うって大変なのよ」
「何が、どう大変なのさ」
「室内で飼ったら、部屋を汚すでしょ」
「生まれたばかりだから、しつけをちゃんとすれば大丈夫だよ」
「あなたは、自分のしつけで手いっぱいなくせに」
「俺だって子供のころ、無性にペットを飼いたくなったし」
そのアシストも最高だよ、大家さん!
「大家さんったら、無責任なことを言って」
「良太は兄弟がいないからね、一人でいると寂しいんじゃない?」
「昼間は誰もいないのに、誰が世話をするのよ」
「独り暮らしをしていても、ペットを飼っている人はいるじゃない」
「世話をするのは、結局あたしでしょ」
「餌をやったり散歩させたりは、ちゃんと僕がするよ」
「すぐに飽きちゃうじゃない、あなたは」
「飽きないよ、僕は」
ショーケースに貼られた値札を横目で見た母さんは、取って付けたように。
「それに、いくらだと思っているのよ」
「俺が買ってやるよ、クリスマスプレゼントに」
そこまで具体的なアシストは求めていないのに、大家さんったら。
「餌やトイレシートのお金だってかかるのよ」
「だから、それぐらい俺が出してやるから」
「あなたはここで待っていなさい、大家さんちょっと来て」
大家さんを引っ張って、少し離れたところに行こうとする母さん。
何だか、ややこしいことになってきたな。
断固として犬を飼うことに反対な母さんは、大家さんに。
「良太をたきつけるようなことを言わないで」
「別に、たきつけちゃいないだろ」
「だって、大家さんが買ってあげるみたいなことを言っていたじゃない」
「どうして、くまさんはむきになって反対するのさ」
「犬の寿命って知っているの、十年そこそこで死んじゃうのよ」
「それだって、情操教育の一環だろ」
「他にいくらでもあるでしょ、情操教育だったら」
やっぱり予想どおり、母さんが優勢か。
「寝れば忘れると思うから、帰ってひと晩考えるように大家さんから言って」
「くまさんが自分で言うんだね、俺が急に態度を変えるのはおかしいだろ」
「あたしが言ったんじゃ聞かないもの」
母さんったら、面倒なことはちゃっかり大家さんに押し付けちゃって。
しばらくして、戻ってきた母さんと大家さん。
まだ僕が、ショーケースの前で犬を見ているんで。
母さんは、大家さんの脇腹を肘でつついて促している。
「ひと晩考えてみたらどうだって、くまさんは言っているぞ」
「明日になっても、まだ欲しかったら?」
「それでも飼いたいなら、俺が買ってやるから」
「分かったよ」
それを聞いて、ほっとした顔をしている母さん。
まあ、こんなものかな。
即興にしては、上出来だったよね。
続いてのもっとも肝心な第五幕は、その日の夜。
ダイニングで、母さんと夕飯を食べているときに。
「ねえ、母さん」
僕の口調から、何かを感じたらしく。
「あのねえ、犬のことだったらひと晩考えなさいって言ったでしょ」
「犬だったら、やっぱり我慢することにしたよ」
「えっ」
「代わりに、お願いがあるんだけれど」
「何が欲しいの?」
面倒ごとが解決して、あからさまに油断している母さんの隙をついて。
「犬がだめなら、妹が欲しいな」
「いきなり妹が欲しいだなんて、何を言い出すのよっ!」
「大家さんに頼めばいいじゃない」
「何を頼めと言うの」
「あたしと結婚して良太に妹を、って」
みるみるうちに、顔が紅潮していく母さん。
「お、親をからかうんじゃないのっ!」
「母さんが言えないなら、僕が大家さんに言ってあげようか?」
「そ、そんなことを絶対に言うんじゃないわよっ!」
夕飯を済ませてからが、最終の第六幕。
マグロのお刺し身とアジのたたきを手に、母さんと僕は大家さんの部屋へ。
「遅くなっちゃってごめんなさい」
「かまわないよ、ちょうど仕事が片付いたとこだから」
「アジはたたきにしたわ」
テーブルにお刺し身を並べ、冷蔵庫からビールを取り出している母さん。
「で、犬のことだけれど」
大家さんったら、まだ言っている。
「考えてみたら、俺たちが帰ってくるまで良太は一人っきりだろ」
「隼人と外で遊んでいるわよ、夕方まで」
「それでも家に帰ってきてからは一人だし、雨の日には外で遊べないだろ」
「雨が降っていれば、家の中で隼人と遊んでいるじゃない」
「いつも隼人と一緒じゃないんだし、やっぱり犬を飼ってやったら?」
そんな余計な心配、しなくてもいいのにな。
犬はダミーで、僕が本当に欲しいのは妹なんだから。
「さっき良太が犬はいらないって言ったのよ、犬の話はこれでおしまい」
「こんなにむきになって反対するってことは、ひょっとして犬が嫌いなの?」
おしまいって言っているのに、大家さんったら意外としつこいな。
大家さんが気にしなきゃいけないことは、もっとほかにあるでしょ。
そう、母さんへのプロポーズが。
「大家さんからのクリスマスプレゼントだったら、パソコンがいいな」
「あんなに欲しがっていたのに、本当に犬はいらないのか?」
余計な確認はしないで、そう言いたそうな顔をしている母さん。
「世話が大変みたいだし、母さんが反対しているから諦めたんだ」
「で、くまさんには犬の代わりに何をリクエストしたんだ?」
それを聞いた母さんは、血相を変えて。
「大家さんは気にしなくていいの、良太も黙っているのよっ!」
「うん、僕からは言えないよ」
「だってさ、くまさんは何をリクエストされたの?」
大家さんがそう言うと、真っ赤になって下を向いている母さん。
リビングに戻ってからの母さんは、僕に文句をたらたらと。
「あんだがこんなことを始めたから、大家さんが気にしちゃって大変でしょ」
「気にしているって犬のこと、それとも妹のこと?」
「犬のことに決まっているでしょ」
「本当のことを言えばいいのに、僕は犬じゃなくて妹を欲しがっているって」
「それが言えるぐらいなら、苦労をしていないわよっ!」
もうお分かりでしょ。
ここまでが、大家さんのお母さんと僕が仕掛けた作戦のあらまし。
どうして僕たちが、こんなことを仕掛けたかというと。
もはや大家さんのプロポーズは、わが家の大問題なのに。
ああ見えて、大家さんはのんびり屋だから。
任せておいたら、いつになったら母さんにプロポーズすることやら。
で、二人で相談して始めたのが。
大家さんにプロポーズを促す、その名も「犬作戦」ってわけ。
まずは、お刺し身が食べたいと言って隣の駅に連れていき。
次に、隼人のチワワの話をしてからペットショップに寄って仔犬をねだり。
最後は、素直に引き下がったと思わせておいてから妹が欲しいと言い出す。
これに母さんが触発されれば。
大家さんにプロポーズを促すか、逆プロポーズをしちゃうだろうって。
僕たちにできることは、すべてやり終えたけれど。
さて、この先はどうなりますやら。
でも、そんな余計な心配はしなくても良かったみたい。
だって次の日、大家さんの部屋で。
「それって何なの、随分立派な箱だね」
「これか、くまさんに渡す指輪だよ」
びっくりするようなことを、さらっと言ってのけた大家さん。
「母さんの指輪って、プロポーズをするの?」
僕がそう言うのを聞いて、にやっと笑った大家さんは。
引き出しを開けて指輪の箱を入れると、一枚のメモを取り出した。
「何、そのメモ?」
「これは、やることの一覧表だよ」
メモには、いくつかの箇条書きが書いてある。
大家さんは、上から三番目の「指輪を受け取りに行く」に棒線を引いた。
一番目と二番目の「クマを注文する」と「指輪を買う」には、既に棒線が。
これって、達成済ってことかな。
残っているのは「クマを受け取りに行く」と「実行」か。
実行ってのは指輪を渡すことだろうけれど、クマって何だろう。
「くまさんには絶対に内緒だからな」
「内緒にするのはいいけれど、その指輪っていつ渡すの?」
「それは秘密だよ」
母さんは、僕のことも含めて問題が山積みだから。
本当に大家さんがプロポーズしてくれるのかって、心配をしていたけれど。
指輪も一覧表もこの目で見たし、これでひと安心。
後で大家さんのお母さんに電話して、作戦が成功したって報告しなくちゃ。
Copyright 2024 後落 超




