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第十六話 春風のようなあの子 後編

 あゆみがうちに来てから、三日目。

 電話が鳴ったと思ったら、子機を持ったあゆみがやってきて。

「お母さまから……、お電話です」

「母さんから、何だろう?」

 あゆみから子機を受け取ると、ひどく慌てているような声で。

「良かった、外に遊びに行っていなくて」

「どうしたのさ、こんな時間に」

「大切な書類を忘れちゃったから、会社に届けてほしいのよ」

「明日、持っていけばいいじゃない」

「どうしても今日の夕方に必要な書類なのよ」

「暑いし遠いし嫌だよ、それに自分のミスの後始末を息子にさせるつもり?」

「お駄賃をはずむから、お願い」

「じゃあ、五千円ね」

「ちょっと、足もとを見るんじゃないわよっ!」

「だったら、行かない」

 黙って聞いていたあゆみが。

「良太さん……、お母さまが困っているのにそんな言い方は」

 あゆみにそう言われ、お駄賃は二千円ということで手を打ってから。

「しょうがないなあ、書類ってどこにあるの?」

「寝室の化粧台の上に、茶封筒があるから」

 電話の子機を持ったまま、寝室に行って。

「あるよ、これを会社に届ければいいの?」

「ええ、会社に着いたら受付であたしを呼び出して」

「あゆみはどうするのさ」

「一緒に来ればいいでしょ」

「もうすぐお昼なのに、せっかくお駄賃をもらっても外で食べたら」

「お昼なら、手が空いている人にごちそうさせるから」


 そんなわけで、十一時半には僕とあゆみは地下鉄で移動中なのですが。

 プシュ~。

「良太さん……、ここで降りなくて良かったの?」

 ドアが閉まると同時に、あゆみがそう言った。

「うん、次の水道橋で降りるんだ」

「今のアナウンス……、水道橋って言っていましたけれど」

「えっ!」

 しまったあ。

 書類を渡したら、あゆみに東京タワーを見せてあげよう。

 なんて余計な考えごとをしていたから、乗り過ごしちゃったんだ。


 ひとつ先の駅でUターンして、めでたく水道橋の駅に戻り下車すると。

 地上への出口を出て、歩くこと十分ほどで。

 前に連れてきてもらった、母さんの会社が入っているビルに到着。

 ロビーで、ビルに入っている会社の案内板を見ているんだけれど。

 母さんの会社のプレートが、どこにもないんだ。

「どうしたの?」

「母さんの会社ってこのビルなんだけれど、案内板に載っていないんだ」

「お母さまの……、会社や携帯電話の電話番号は?」

「知らないよ、電話番号は家の電話に登録してあるもの」

 どうしようかと考える、というよりぼうぜんとしている僕とあゆみ。


「やっぱり、ここにおったんか」

 その声で後ろを振り向くと、小走りで駆け寄ってくる鹿山さん。

「いつまで待っても来ぃひんし、手分けして探しとってん」

「ごめんなさい、遅れたのは地下鉄を乗り過ごした僕のミスなんだ」

「ひょっとしたら、このビルに行ってんちゃうか思うて探しに来たんや」

「母さんの会社って、このビルじゃないの?」

「やっぱり課長が話しとらんのかいな、去年の秋にビルを移ったんや」

 だったら。

 僕らがこんなところに突っ立っているのは、母さんのミスじゃないか。


 書類を渡した後にお昼を誘われたけれど、断って帰ることにした。

 あんまり役に立てなかったし。

 それに、あゆみにかっこ悪い姿を見られたのが恥ずかしくて。

 お昼も東京タワーもパスして、早く家に帰りたかったんだ。




 帰りの電車の中では、何となく無言のままで。

 駅を出てからハンバーガーを買って、帰り道にある釣り堀公園へ。

 木陰のベンチに、あゆみと並んで座って食べていると。

「ありがとう……、お出かけに連れていってくれて」

「楽しくなかっただろ、地下鉄とビルしか見ていないんだから」

「ううん……」

「地下鉄の降り間違いをしたり、母さんの会社も見つけられなかったり」

「とても……、楽しかったわ」

 あゆみは本当に楽しかったって顔をして、僕を見ている。

「じゃあ、今度はちゃんとしたところに連れていってあげるよ」

「ほんと?」

「本当さ」

 退屈で疲れただけのはずなのに、あゆみって不思議な子だな。




「そろそろ夕食の支度じゃない、今日も買い物に行く?」

 キッチンにいるあゆみに、そう聞くと。

「いいえ……、昨日のエビが残っているから」

「エビって、何を作るの?」

「マカロニグラタンを……、あとはロールキャベツにコーンポタージュ」

 小さな声でそう答えたあゆみ。

「それで昨日、マカロニを買ったんだ」

「ええ……、サラダはシーザーサラダでいい?」

「うん、グラタンは好きだから楽しみだな」


 グラタンに使うホワイトソースを作り終え、洗いものを始めたあゆみ。

 そっと近づき、鍋に残っていたソースを指ですくってあゆみの鼻にぺたり。

「な……、何を」

 口と目をまん丸にして、驚いていたあゆみだけれど。

 意外にも、ソースを指に付けると僕に反撃をしてくる。

 数分間の攻防の末、ソースだらけとなったキッチンの真ん中で。

 これまたソースまみれになり、息を切らして笑っていた僕とあゆみ。


 母さんと鹿山さんが帰ってきてからの、遅めの夕食に大満足をして。

 デザートのスイカを食べていると、母さんがあゆみに。

「せっかく東京に来たんだから、どこか行ってみたいところはある?」

「行きたいところ……、ですか」

「大家さんがね、明日はどこへでも連れていってあげるって」

 そんな聞き方で、引っ込み思案のあゆみが答えると思っているの?

「ディズニーランド、それともスカイツリー?」

 あゆみは何も答えずに、静かにほほえんでいる。

 ってことは、喜んでいるのかな?

「大家さんとあたしはお休みだから、遠慮しないで希望を言ってみて」

 振替休日の大家さんはともかく、母さんは有給休暇を取ってまで?

「食事を作った褒美や言うてくれとんねん、どこでも言うてみ」

 鹿山さんは、まだしぶとくうちでの滞在を続けております。

「サンシャインシティに……、行きたいです」

 行きたいところが、サンシャインシティだったのにも驚いたけれど。

 意外にもはっきりと答えたあゆみの顔を、みんなが穴の開くほど見ている。

「サンシャインシティって、随分と渋いチョイスね」

「水族館や、あゆみは昔から水族館が好きやから」

「そうなんだ、あゆみちゃんは水族館が好きなのね」

 こくりとうなずいたあゆみ。

 今まで僕が見た中で、一番うれしそうに笑っている。

「いいわよ、明日はサンシャインシティに行きましょ」

「じゃあ僕は、自転車用のヘルメットを買おうかな」




 あゆみが水族館を好きだというのは、どうやら本当らしい。

 水族館の水槽なんて、ひとつ当たり一分間も眺めれば次へと移動するよね。

 なのにあゆみは、ひとつの水槽を五分もかけて眺めているんだもの。

 それも、僕に声をかけられて渋々ながら次の水槽に移るって感じで。

 特に食い付いていたのは、ひときわ大きな水槽。

 小さな魚の群れがぐるぐる回り、大きな筒のようになって泳いでいるのを。

 目を大きく見開いて、僕が呼んでも反応しないんだもの。

「魚が好きなの、それとも水槽を見ているのが好き?」

 思わず聞いちゃった。

「どっちも……、好きです」

「ふうん、一番好きなのは何?」

「一番は……、イルカかな」

 途切れ途切れに、あゆみが話してくれたのは。

 小学校の入学祝いで旅行をしたときに、水族館で見たイルカのショー。

 水面からジャンプしたイルカが、太陽を背に逆光の中でキラキラしていて。

 それを見て以来、イルカを大好きになったんだって。

「残念だね、ここにはイルカがいなくて」

「ううん……、ほかのお魚がいっぱいいるもの」

「でもさ、そんなに魚が好きなのはどうして?」

「わたしと同じ……、お話しをしないのに楽しそうに泳いでいるから」

「君も楽しそうにするじゃない」

「わたしが……、楽しそうに?」

「料理をしているときは、いつも楽しそうだよ」

「ほんと?」

「それに、しゃべるときは小さくてもかわいい声でしゃべるし」

「わたしが……、かわいい?」

 その後のあゆみは、ずっと何かを考えているようで。

 いつにも増して、無口になっていた。


 僕とあゆみが、ようやく水族館から出てきたのは。

 みんながとっくに外に出て、アシカのショーまで見終わったころ。

「ウチらが出てから三十分もたっとるで」

「あゆみがゆっくり水槽を見ているから、付き合っていたんだよ」

「暗闇の中で何をしとったんや、二人して」

「何もしていないよ、あんなに人がいっぱいいるのに」

「少なかったらなんぞするつもりやったんか、きょうびの小学生ときたら」

「鹿山さんっ!」

「お姉ちゃんっ!」

「そないにむきにならんと、あゆみが水族館を好きなんは知っとるさかい」

「鹿山もいつまでも良太をからかっていないで、お昼にしましょ」

「昼飯やいうても夕飯でもおかしない時間やで、どこに行くん?」

「前に行った、駅向こうのうなぎ屋さんは?」

「あの店なら、土用の丑の日に行ったばかりだろ」

 大家さんからのそんな指摘にひるむこともなく、母さんは。

「もうすぐ夏も終わっちゃうから、うなぎでスタミナを回復したいのよ」


 結局、母さんの主張が通ったうなぎ屋さんでは。

 キモ串を片手に、ビールのジョッキを飲み干した母さんが。

「明日は大阪に帰っちゃうのよね、あゆみちゃんは」

「大家さんに礼を言わんか、自分」

「ありがとう……、ございます」

 帰りも東京に寄ってあゆみと合流する予定だった、あゆみの両親だけれど。

 東京を経由せずに、まっすぐ大阪に帰ることになったんだ。

 大家さんが、あさってからの大阪出張を入れてくれて。

 明日は前乗りをして、あゆみを送ってくれることになったから。

「そういえば良太、自転車のヘルメットを買うって言っていなかった?」

 僕がヘルメットを買っていないのに気づいた母さんが、そう聞いてきた。

「買い忘れちゃったんだ」

「あれだけ楽しみにしていたのに、変な子ねえ」




「これ」

 母さんや鹿山さんと見送りに来た、新幹線のホームで。

 僕があゆみに渡したのは、青いリボンが結んである箱。

「開けてみてよ」

 不思議そうな顔をしながら、あゆみが箱を開けると。

 中には、ガラスでできた青いイルカが付いているヘアピン。

 サンシャインシティでトイレに行くときに、売っていたのを偶然見つけて。

 イルカが好きだと言っていたし、あゆみに似合うだろうなと思ったから。

 ヘルメットを買うつもりのお金で、これを買ったんだ。

「かわいい……」

「あゆみに似合うと思ったけれど、気に入るかどうか」

「とっても……、すてき」

「良かった、女の子のものなんて買ったことがないから」

「どうして……、わたしに?」

「お礼だよ、おいしいエビフライやグラタンを作ってくれたから」

「ありがとう……、うれしい」

 消え入るような、小さな声。

 でも、喜んでいるのはあゆみの顔を見れば伝わった。

「今……、着けてもいい?」

 青いイルカのヘアピンは、思っていたよりもずっとあゆみに似合っていた。

「どう……、似合っている?」

「うん、とっても」

 良かった、気に入ってもらえて。

「また遊びにおいでよ、今度は好きなところに連れていってあげるから」

「ほんと……、じゃあ約束」

 そう言うと、小指を差し出したあゆみ。


 ホームを離れていく、あゆみと大家さんを乗せた新幹線。

 見えなくなるまで手を振りながら、大切なことを忘れていたのに気づいた。

 あゆみの住所や電話番号。

 そして、またエビフライを作ってくれるかなって聞くのを。

 失敗したかな。

 それにしてもあゆみって、今は夏なのに春風のような子だったな。


「良く似合っていたじゃない、あなたにしちゃ上出来よ」

「なっ、何がだよ」

「あゆみにやったヘアピンに決まっとるやろ」

 まいったな、見られていたのか。

 二人とも普段は大ざっぱなくせに、こんなときばっかり。

「せっかくだから、もっとどこかに連れていってあげれば良かったのに」

「いいんだよ、今度は連れていってあげるって約束したんだから」

「ふうん、今度ってことはまたあゆみちゃんに会うつもりでいるのね」

「うるさいな、大きなお世話だよ」

 こんな言い方をしたら怒るんだろうな、あゆみがいたら。




 実は、その約束はほどなく果たされることになるんだ。

 茶化した母さんはもちろん、茶化された僕にだって思いもよらない形でね。




Copyright 2024 後落 超


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