第十三話 プールサイドは1×(3+1) 前編
夏休みに入ってから、早くも十日が過ぎ。
強い日差しがこれでもかと照りつけ、セミの集団が朝から盛大に合唱を。
そんな毎日が続いた、ある日の夕食では。
大家さんと母さんの三人で、焼き肉屋さんのいつもの席に陣取っています。
いつもの席とは、お店に入ってすぐの席。
ここが、大家さんのお勧めなんだ。
開けっ放しのドアから煙が逃げるし、外の風も入ってくるからだって。
ビールのジョッキを片手に、網の上の肉をひっくり返している大家さんに。
同じくジョッキを片手に、焼き終えたタン塩にレモン汁をつけた母さんが。
「どうせ行くなら、あたしは海より山の方が好きなのに」
母さんが会社のパーティーのビンゴで当てた、十万円分の旅行券を使い。
僕たちは、隼人を誘って旅行をすることになっていて。
八月の第一週に、二泊三日で伊豆の伊東に行くんです。
っていうより、出発日はもう明日なんだけれど。
「母さんったら、まだそんなことを言っているの」
「そりゃそうよ、こんなに日差しが強いのに海へ行くなんて」
「夏だからこそ、海へ行くんだろ」
「だって、ビーチパラソルの下から動けないでしょ」
「プールサイドには、水着のままで入れるレストランがあるよ」
大家さんの助け舟で、母さんの不平にはかたがつきそうなんで。
今度は、僕から。
「せっかく近くに海水浴場があるのに、行かないの?」
さっきから、僕も母さんも海に行くと言っていますが。
実際に泳ぐのは海ではなく、ホテルのプールなんです。
「心配するな、海なら二日目の午前中に連れていってやるから」
「ちょっと大家さん、あれだけ海は嫌だって言っているのに」
「良太の年頃なら、プールだけじゃなくて海にだって行きたいんだよ」
「そうだよ、母さんは海の家で涼んでいればいいだろ」
やっぱり、大家さんだけだね。
遊びたい盛りの、小学五年生の気持ちを理解してくれるのは。
僕は、タレを付けた肉をご飯に乗せながら。
「母さんだって、せっかく大家さんに水着を買ってもらったんだから」
「あの水着は大家さんの趣味でしょ、必ずしも着るとは限らないんだから」
ふん、何を偉そうに言っているんだか。
何度も試着しては、寝室の鏡の前でポーズまでとっていたくせに。
「とにかく、明日の朝は早いんだから飲み過ぎないで」
「何てことを言うのよ、大家さんに失礼でしょ」
「あのねえ、僕は母さんに言っているんだよ」
特急が待つホームで。
駅弁を買いに売店に行こうとしている僕と隼人の背中に、大家さんから。
「買うなら、飲み物とお菓子ぐらいにしておけよ」
「どうしてなの、せっかくだから駅弁を食べるのを楽しみにしていたのに」
「向こうに着いたら、すぐにおいしいものを食べに行くからだよ」
ちょっとがっかりしたけれど、テンションはすぐにもとに戻る。
乗り込んだ特急は、さすがにリゾート列車と名乗っているだけあって。
窓が広くて、開放感もばっちりなんだもの。
僕と隼人は、お菓子を食べたりゲームをしたり。
大家さんと母さんは、のんびりとビールを飲んだりおしゃべりしたり。
もう少しすると海が見えるぞって、大家さんに言われたから見ていると。
左手の車窓に広がったのは青い海、空には白い雲がぽかりと浮いて。
夏の旅行に気分は最高潮、プールや海が僕らを呼んでいるぜ!
到着した駅もリゾート感が満点で、セミの鳴き声すら東京とは違うみたい。
わくわく気分が、自然と高まっているのに。
改札に向かう僕らの背中に、突き刺さってきたのは黄色い声。
「大家さん、見ぃつけた!」
恐る恐る振り返ると。
手を振りながらこっちに来るのは、猪鹿蝶の三人娘と河野先生じゃないか。
そういえば、思い当たる節がないわけでは。
十日ほど前に、母さんが有給休暇の申請をしたのに気づいた三人娘は。
理由を探るため、僕しかいないときを見計らいうちに電話をしてきたんだ。
そのときは、うまくごまかしたはずなのに。
どこで旅行のことを嗅ぎ付けたんだろ、地獄耳だな。
「くまさんごめん……、まさか来るとは思わなかったから」
大家さんが沈んだ声を出している、ってことは。
行き先と日程を聞き出したのは、大家さんからだね。
自分たちだけでは、母さんからの風当たりが強いのは目に見えているから。
こともあろうに先生を巻き込んだ、そんなところだろうな。
平日なのに母さんを含めて四人も休んじゃって、仕事は大丈夫なの?
それにしても。
どこまでもお気楽な三人娘はともかく、先生まで来るなんて。
不機嫌そうな顔をしている母さんも、僕と似たようなことを思ったらしく。
「教師が特定の教え子やその家族と仲良く、旅行をしてもいいんですか?」
などと、母さんにしては珍しく正論を。
「友人であるこの子たちに誘われて、知人である大家さんとの旅行ですから」
対する先生は、あろうことか三人娘を友人だなんて言っている。
しかも、まだ食い下がるつもりの母さんに。
「良太君やお母さんだって、大家さんは家族ではないんですよね」
「うう……」
事態を把握したようで、渋い顔をしている母さんと大家さん。
そんな二人を見ながら、顔を見合わせている僕と隼人。
どんなもんだと、胸を張っている三人娘。
「課長ったら、びっくりしているみたい」
「四人して浮かれすぎやで、まるで仲良し家族で旅行しとるっちゅう感じや」
「わたしたちに内緒で旅行されるなんて、どういったおつもりですの?」
気まずい場の雰囲気をものともせず、文句を言っている三人娘。
「こんなところで立ち話もなんですから、早く改札を出ましょうよ」
僕の気遣いも知らずに、そんなことを言う先生。
宿題の絵日記に、先生を登場させるのはまずいだろうな。
それに、クラスのみんなに話すのも。
後で、隼人にもくぎを刺しておかないと。
改札を出る間に、それぞれが気持ちを切り替えて。
駅から二台のタクシーに分乗して向かったのは、海沿いの船宿。
一階には、磯料理を食べさせるお店があって。
大家さんは、釣りで来たときにはいつもここに寄るんだって。
お店とは道路を挟んだ向かいのビーチには、海の家が何軒も並んでいて。
人もいっぱいで、まさに夏が真っ盛りって感じ。
お昼にはまだ間があるから、お座敷が空いていたのはラッキー。
テーブルを二つ付けてもらい、みんなで陣取ると。
大家さんが、すらすらとオーダーしてくれたのは。
伊勢エビの姿造りとアジのたたきに、キンメダイの煮付けとイカの姿造り。
それと、母さんがリクエストした天ぷらの盛り合わせ
すべて三つずつ注文して、僕と隼人にはエビフライの定食も頼んでくれた。
大家さんが好きなお店だけあって、料理はどれも新鮮でおいしくて。
あっという間に、プチ宴会になっちゃった。
料理やお酒を追加しようとしている三人娘に。
「お店に入る前に、大家さんから言われていたのに」
半分、諦めながら僕がそう言うと。
「ホテルに着いたら、すぐにプールに行くんでしょ」
「せやから、ほどほどにしておけ言うとったな」
「そう言われましたから、追加のお料理はこんな程度にしましたの」
食事に大満足してお店を出たのは、一時を過ぎたころ。
腹ごなしに駅まで散歩をしてから、送迎バスでホテルへ。
フロントでチェックインを済ませ、キーを受け取った大家さんに母さんが。
「別々に予約してあるんでしょ、このままお部屋に?」
「隣り合った部屋に変更しておいたよ」
さっきのお店に着く前、タクシーの中で大家さんがホテルに連絡したんだ。
隣り合った三部屋に変更してもらうようにね。
部屋割りは、僕と隼人と大家さんでひと部屋。
母さんと先生がひと部屋で、三人娘はまとめてひと部屋に。
部屋で水着に着替えて、プールサイドに集合することにしたんだけれど。
母さんが部屋で荷物を分けている間は、僕がいるからと。
先生は、三人娘の部屋に行って着替えることに。
プールサイドで待っているのに、いつまでたっても三人娘と先生が来ない。
さすがに心配をし始めたころ、一人でやって来た蝶野さん。
「蝶野だけって、ほかの三人はどうしたのよ?」
母さんに、そう聞かれると。
「みなさま、水着を買いに行かれましたわ」
シチュエーションにそぐわないことを、平然と言ってのけた蝶野さん。
夏の旅行に来ていて、ここはホテルのプールです。
「水着を買いに行ったって、持ってこなかったの?」
これまた当然の質問をぶつけた母さんの視線を、かわしながら。
「あの、これにはいろいろとありまして……」
いろいろというのは少し前、水着に着替えていた三人娘の部屋でのこと。
猪口さんは、ふすまを閉めた玄関の上がりで着替えながら。
「この水着で、大家さんはいちころね」
鹿山さんは、お風呂場の脱衣場で着替えながら。
「ウチには、もっと健康的な水着が似合うのに」
蝶野さんは、障子を閉めた窓側のスペースで着替えながら。
「こんな水着だなんて、お母さまに知られたら」
先生は、独り占めした部屋の隅で着替えながら。
「小娘が相手なら、この水着と大人の色気で大家さんを一発KOね」
そんな、四者四様の思惑はどこへやら。
着替えを終えたお互いの格好に、顔を見合わせている四人。
そりゃそうだよね、全員がパステルレモンのビキニ姿なんだもの。
「あなたたち、どうして……」
言葉を失っているのは先生。
「四人して同じ水着って……」
そう言ったのは猪口さん。
「まさか、良太に……」
恐る恐る口にした鹿山さん。
「聞いたのですわね、大家さんのお好みを……」
諦めたように、そうつぶやく蝶野さん。
うちに来たときに、こっそりと聞いてきた三人娘。
母さんがいないときを見計らって、電話をしてきた先生。
四人はあの手この手で、大家さんの水着の好みを僕から聞き出したんだ。
僕が伝えたのは、大家さんが母さんに買ってあげた水着のイメージ。
だから、四人がおそろいの水着になっちゃったってわけ。
再度お互いの水着姿を見比べて、ぼうぜんとしている四人。
「これじゃ変な団体だと思われちゃうでしょ、今から水着を買いに行くわよ」
年長者らしく、最初に気を取り直した先生が三人娘に呼びかける。
「そうね、プールがあるホテルなんだから水着ぐらい売っているわよね」
「蝶野は行かへんの?」
「母が、別の水着を持たせてくれましたから」
そう言って手にしたのは、お母さんが持たせてくれたフリフリの水着。
つまり、蝶野さんを除く三人は館内の水着売り場に突撃しているそうです。
二十分ほどしてから、疲れ切った顔をしてプールサイドにやってきた三人。
「やけに派手な水着だね、先生」
先生が買ったのは、露出度満点のセクシーな水着。
そんな水着、よく家族連れが大半のホテルで売っていたね。
「おまえはえらく地味な水着だな、猪口」
猪口さんが買ったのは、ここで買える中で一番落ち着いた水着。
水着を持ってこなかったおばちゃんが買うような、とても地味な水着で。
「中学生みたいな水着だな、鹿山」
鹿山さんが買ったのは、一番健康的な水着。
健康的だと売り場で薦められた水着は、まるでスクール水着なんだもの。
大家さんからそう言われて、はっとわれに返り。
自分の、そしてほかの二人の水着姿を改めて見て複雑な顔をしている三人。
母さんも別の水着を持ってきていて、一度はそれを着ようとしたんだ。
それでもブールサイドに来たときに着ていたのは、やっぱりあの水着。
昨日の焼き肉屋さんで、こんなやり取りをしていたんだもの。
「年上のあたしだけ、あんな水着じゃ恥ずかしいわ」
「着てくれないの、くまさんに似合うと思って買ってあげたのになあ」
「でも」
「俺は楽しみにしているよ」
「そっ、そう?」
大家さんにそう言われただけで、母さんはうれしそうにしていたからね。
僕と隼人は、疲れてぼうっとしている先生を連れてスライダーに。
三人娘はプールに入り、ビーチボールで遊んでいる。
そして、母さんはといえばパラソルの影で。
日焼けに夢中な大家さんの横で、笑いながらおしゃべりを。
楽しい夏の旅行の、仕切り直しです。
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