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第十二話 夏休み、そして夢の花壇

 鶏の唐揚げと枝豆を持ったら、仕事から帰ってきた大家さんの部屋に。

「急に暑くなったにしても、この部屋は暑いわね」

「たった今、エアコンをつけたばかりだもの」

 そりゃそうよね、まだ帰ってきてから三分もたっていないんだもの。

「もう夏も本番よ、駅から電話をくれればあたしか良太がつけておくのに」

「そうだね、明日からは頼もうかな」

 大家さんが甚平に着替え終わったんで、冷蔵庫から出した缶ビールを渡す。

「カーテン、やっと夏物に替えたのね」

「さすがに暑苦しいから昨日ね、エアコンのフィルターの掃除も済ませたよ」

「週末に済ませておけばいいのに」

「土曜日は仕事だったし、日曜日は良太と釣りに行っていただろ」


 ビールを一口飲んだ大家さんは、唐揚げにレモンを搾りながら。

「どうしたの、くまさんが浮かない顔をしているなんて珍しいね」

「明日から良太が夏休みだからよ、ご飯のことで頭が痛いの」

「良太の夕飯なら、俺がいるときは」

「いつもと変わらないから夕飯の心配はしていないわ、問題なのはお昼よ」

「土日はくまさんがいるし、平日でも週に二日は俺がいるだろ」

「残りの三日は、コンビニエンスストアで買ってこさせるしかないから」

「良太は五年生だよ、心配をしなくても自分の食べるものぐらい買えるさ」

「心配なのは、そこじゃなくて」

「じゃあ、何を?」

「良太に自分で買わせたら、揚げ物ばかり食べることになるでしょ」

「それなら、俺がたまっている振替休日をもう一日取るようにするよ」

「いいの?」

「今年はお盆休みにシステムの変更がないからね、何とかなるよ」

「ありがとう、助かるわ」

「俺がいるときは、揚げ物を食べさせないようにするから」

 去年までは親と同居していたから、気にもしなかったけれど。

 こんな感じなら、共働きの夫婦って大変なんでしょうね。


 ついでに、もうひとつの頭が痛いことも話しちゃお。

「来週の火曜日と水曜日に、良太が隼人と二人でキャンプに参加するでしょ」

「小中学生が対象のキャンプだっけ、俺と二人っきりになるのが心配なの?」

「そんなことは、心配していないけれど」

 むしろ、ちょっと楽しみにしているわよ。

「じゃあ、何を?」

「三人娘に知られたら、面倒なことになるでしょ」

「俺とくまさんを二人っきりにはできないからって、泊まりに来るだろうな」

「間違いなくそうなるでしょうね、賭けてもいいわ」

「だったら、どうするの?」

「もちろんあたしは、会社では何も言わないけれど」

「くまさんが言わないなら、ばれないだろ」

「三人娘は、今週末にここに泊まりに来るもの」

「ああ、そうだったね」

「良太には、余計なことは言うなと言ってあるけれど」

「残るのは、俺か」

「だから、大家さんもあの子たちには黙っていてね」

「森野家の最重要機密事項ってことだね、分かったよ」


 これで頭痛の種は何とかなるかな、なんて思っていたら。

「そうだ、あれを忘れていた」

 大家さんがあたしの目の前に置いたのは、丸々とした大きなスイカ。

 一難去ってまた一難、新たな頭痛の種を大家さんが運んでくるなんて。

「どうしたの、これ?」

「踏み切りの向こうに果物屋があるだろ、あそこで買ったんだ」

 聞いているのは、どこで買ったかじゃないわよ。

「そうじゃなくて、どうして丸のままのスイカを買ったのかってことよ」

「自分で言ったばかりだろ、夏本番だって」

「こんなに重そうなものを、駅からぶら下げてきたの?」

「確かに重かったな、でも良太が食べたいだろうと思ってね」

「あたしと良太だったら、スイカなんて四分の一もあれば十分よ」

「そうかなあ、良太の年なら丸ごとのスイカを見たら喜ぶと思うけれど」

 子供はともかくとして、主婦は困るのよ。

「食べる量を考えてよ、何日も三食スイカばかりになっちゃうわ」

「まさか」

「それにどこにしまうの、こんなに大きいんじゃ冷蔵庫に入らないわよ」

「じゃあ、半分はこの部屋の冷蔵庫に入れておけば」

「七夕の笹といい、大きければいいってものじゃないのよ」


 そういえば、子供のころにもこんなことがあったっけ。

 お父さんが丸ごとのスイカを買ってきて、お母さんに怒られていたわね。

 いつの時代も、男の人って……。

「今回だけだよ、いっぺん良太が喜ぶのを見れば満足だから」

「わざわざ、こんなもので喜はせなくても」

 そう言ったあたしは、おもわず笑っちゃったの。

 だって、大家さんがいつになく申し訳なさそうな顔をしているんだもの。

 なのに、やってきた良太は大喜びしているじゃない。

「うわあ、丸ごとのスイカなんて初めてだ」

 実家では、四分の一にカットされたスイカしか見たことがなかったものね。

「ほらね、喜んでいるだろ」

 こっちを見た大家さんは、さっきのお返しだとばかりに笑っちゃって。

「ねえ母さん、今から食べてもいい?」

「いいわよ」

「店では、さっきまでケースの中で冷やしてあったぞ」

「僕が切ってもいい?」

「好きになさい」

「もう遅いから、食べても四分の一にしておけよ」

 あっという間に言われた四分の一を食べ終わった良太は、満足そうに。

「ようやく、夏がきたって感じだね」

「夏休みになったらプールや花火を楽しむと言っていたくせに、いまさら?」

「丸ごとのスイカなんて、夏っぽいもん」

「それに、来週にはキャンプだって控えているでしょ」

「遊べば遊ぶほど、遊び足りないんだよ」

「じゃあ、今度は屋形船に乗りに連れていってやろうか」

「やったね!」

 大家さんったら、良太を喜ばせるのがそんなに楽しいのかしら。




「ねえ大家さん、車で連れていってほしいところがあるんだけれど」

「車で、どこに?」

「電気屋さんが入っている、ショッピングセンターよ」

「家電を買うなら、量販店に行った方がいいんじゃない?」

「ほかにも買うものがあるの、荷物になると思うから車を出してほしいのよ」


 二十分ほどで、ショッピングセンターに着いて。

 大家さんが車をとめている間、先に降りて店内の案内板を見ているあたし。

「さて、まずはどこに行くの?」

「三階の家電売り場ね、ジューサーミキサーを買いたいの」

「健康に気を使うのか、いい心掛けだね」

「あたしと良太は野菜もフルーツも十分に取っているわ、大家さんのためよ」

「俺の?」

「朝に、ビタミンがたっぷりの野菜ジュースを飲んでもらおうと思って」

「どうして、俺が野菜ジュースなんて」

「大家さんって、明らかに野菜不足でしょ」

「焼き肉屋じゃキムチやニンニクを、とんかつ屋でもキャベツを食べるだろ」

「そんなことで、野菜を食べたって言えるとでも?」

「れっきとした野菜だろ」

「洋食屋さんの付け合わせや、ちゃんこ鍋の野菜は食べないでしょ」

「野菜は食べなくても、タバコは葉っぱだし酒だって農作物が原料だよ」

「大の大人がそんなことを言って、恥ずかしくない?」

「だいたい、俺は野菜不足なんかにならないよ」

「どうして?」

「たとえば、運動不足は普段から運動している人がなるものだろ」

「それが?」

「だったら俺は野菜不足にならないよ、普段から野菜を取る習慣がないもの」

「へりくつばっかり」

「そもそも俺が出勤する時間には、くまさんが起きていないだろ」

 鈍いわね。

 毎朝あなたに会えるなら、早起きをしてあげるって言っているんでしょ。

「自分の体のためなんだから、ちゃんと飲むこと」

「野菜ジュースを飲むのはちょっとね、せめてフルーツジュースにしてよ」


 ジューサーミキサーを買い終わると。

「次は四階の園芸コーナーで植木鉢をいくつかと土、あと種や苗を」

「年齢的にはちょっと早いんじゃない、趣味の園芸を始めるには」

「嫌ねえ、終業式の日に良太が学校からアサガオの鉢を持ってきたでしょ」

「玄関脇のアサガオって、良太のだったのか」

「ビニールの鉢のままじゃかわいそうだから、植木鉢に移してあげようかと」

「でも、どうして何鉢も買うの?」

「ひと鉢だけじゃかわいそうだもの」

「どこに置くの、ベランダ?」

「良太が自転車をとめている奥のスペース、空いているでしょ」

「だったら、植木鉢なんか買わずに花壇を作ればいいじゃないか」

「えっ、いいの?」

「くまさんが好きにしていいよ、あそこはデッドスペースだから」

「マンション住まいだから無理だったけれど、ずっと花壇が欲しかったのよ」

「たたみ半分くらいの花壇なら作れるだろ」

 ブロックと速乾セメントに土、栄養剤と肥料に虫よけ剤を買って。

「種や苗木はどうするのさ」

「花壇を作った後で買いに来たいけれど、二度手間になるわねえ」

「苗木はともかく、種だけでもいくつか買ったら?」

「そうしようかな、後は軍手と麦わら帽子にスコップね」

「くまさんって、格好から入るタイプなの?」

「あのねえ、日差しが強い真夏に作業するなら女性には必需品なのよ」


「この後はどこに?」

「二階のスポーツコーナーで、水着を」

「水着なら買ってあげたじゃない、この間」

「あれはあたしのでしょ、去年の水着は小さいでしょうから良太の水着を」

「自分で買わせれば、五年生ならお金をもらって自分で買いに行く年だよ」

「だって、水着なんて電車に乗ってデパートに行かないと」

「行かせりゃいいじゃないか、デパートぐらい」

「一人で行かせるの、デパートに?」

「デパートが遠いなら、隣駅のスーパーマーケットの衣料品コーナーに」

「でも」

「過保護だって言われちゃうよ、一人でできる年なんだから行かせてみなよ」

 そんなことを言って大丈夫なの、男親なんて大ざっぱなものね。

「買い物をさせて金の使い方を覚えさせるのさ、きっと隼人とでも行くだろ」

「そこまで言うなら、大家さんも良太の年には自分で?」

「もちろん金をもらって自分で買っていたよ、おふくろは放任主義でね」

「へえ……、じゃあそうさせようかな」

「くまさんの子離れがようやく始まる、ってか」




 翌日のお昼過ぎには、配達してもらったブロックと土や肥料が届いたんで。

 さっそく、花壇作りに挑戦していると。

 隼人と一緒に、サッカーに行こうとしている良太が。

「どうして大家さんが一人で作っていて、母さんは高みの見物をしているの」

「見物だなんて、応援と言ってちょうだい」

「母さんの花壇なんだろ」

「あたしは家庭菜園が好きなんで、花壇を作るのは好きじゃないの」

「だからってこの暑い中、大家さんは母さんに甘いなあ」

「これだって絵日記の題材になるんだから、あなたも手伝えば?」

「今日は母さんの花壇を作りました、なんて絵日記に書くのはまっぴらだね」

「気にしないで遊びに行っていいよ、俺が一人でやった方が早いんだから」


 まずは、ブロック塀に水抜き用の穴を開けてから。

 買ったブロックに速乾セメントを塗り、手際良く積み重ねていく大家さん。

 二時間ほどで、花壇は完成。

「明日には乾くから、肥料を混ぜた土を入れれば完成だよ」

「お疲れさま」

 窓を開け放した大家さんの部屋に二人並んで腰掛け、タオルを渡して。

「これで汗を拭いてから、ゆでたての枝豆と冷えたビールをどうぞ」

「汗だらけだからありがたいけれど、ここで飲んでいたら外から丸見えだよ」

「ひと汗かいた後なんだし、夏の夕方だもの」

「これも、風流でいいか」


「そういえば、何の種を買ったの?」

「ミニトマトとキュウリを、花壇じゃなくて野菜畑になっちゃうわね」

「くまさんには夢がないなあ、初めての園芸で育てるなら普通は花だろ」

「夢見る少女は、いつの間にか立派な主婦になっていたのよ」

 そりゃ、あたしだって。

 小さなころからの夢だった、お花を植えた奇麗な花壇にしたかったわよ。

 でも、野菜ジュースはいらないって言われたときに思ったんだもの。

 自家栽培の野菜サラダを、大家さんに食べさせてあげたいって。




 花壇で収穫した野菜の用途は、ジュースからサラダへ。

 譲歩させられたフルーツジュースですら、大家さんが飲もうとしないし。

 大家さん以外のために使うには、後片付けが面倒だという事実。

 さまざまな障害により、何度か使われただけで。

 ごく短い使命を終え、箱にしまわれたジューサーミキサーは。

 階段の下の物入れで、そのまましばしの眠りについたのでした。

 自分を目一杯に利用してくれる、そんな女の子が現れるのを待ちながら。




Copyright 2024 後落 超


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