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第十一話 七夕と夏風邪

「玄関の前に置いてあるあれ、どうしたのよ」

 家に帰ってくるなり、良太にそう聞いちゃったのも無理はないの。

 ドアの横に、それはそれは立派な笹が立て掛けてあるんですもの。

「大家さんが買ってきたんだよ、もうすぐ七夕だからって」

「あんなに大きな笹、どこで買ってきたのかしらねえ」

 まさか、これを持って電車に?

 さすがに、それはないか……。


 良太を連れて、大家さんの部屋に。

「あんな大きな笹なんて、幼稚園や保育園でしか見たことがないわよ」

「外に置く場所がないだけだよ、家の中には小さい笹を飾るんだろうし」

「だったら、うちだって小さい笹でいいじゃない」

「くまさんは夢がないなあ、七夕に願いごとをするなら大きい笹の方が」

「悪うござんしたね、現実的なバツイチで子持ちのアラフォーで」

「子供の前ですねないの」

 そう言った大家さんは、あたしと良太に短冊をくれて。

「これに、一番のお願いを書いておいてよ」

 一番のお願い、ねえ。

 この家で、ずっと大家さんと一緒にいられますように?

 母親ですもの、やっぱり良太が元気に育ってくれますようにかしら?

「あと、これも」

「また短冊、一人に何枚も書かせるの?」

「大きい笹に短冊が、俺とくまさんと良太の三枚きりじゃ寂しいだろ」

「そうねえ」

「どうせだからくまさんは三人娘に、良太は隼人と先生に書いてもらおうよ」

 隼人はともかくとして、まるで枯れ木も山のにぎわいじゃない。

 あの子たちのお願いなんて、どうせ大家さん絡みのよこしまなことでしょ。


 七夕の日は、朝から良いお天気。

 うっとうしい梅雨のぐずぐず模様も、ひと休みしてくれたみたい。

 天上もデート日和で、織姫と彦星が上機嫌だったらいいな。

 きっと、あたしたちのお願いも快く聞いてもらえるでしょうから。

 そう思って、玄関に飾られている笹を見ると。

「短冊を上に結び過ぎでしょ、これじゃあ何て書いてあるのか読めないわよ」

「俺らは読めなくてもいいだろ」

「どうしてよ」

「お願いは織姫と彦星にするんだ、星に近い方が読んでもらいやすいだろ」

「良太が何をお願いしたのか、見ておきたかったのに」


「七夕って、行事としてはメジャーじゃない気がするのよね」

「何なの、メジャーって」

「クリスマスやお正月にバレンタインデーは、メジャーですって感じでしょ」

「何を基準に言っているのさ」

「そりゃ、子供たちの期待度よ」

「期待度?」

「クリスマスがMAXなら、七夕への期待度ってそこそこな感じがするのよ」

「比較するものじゃないだろ、そこそこなんて言ったら罰が当たるよ」

「お願いされる当人の織姫と彦星は、年に一日だけしか会えていないのよ」

「だから?」

「他人のお願いを聞いてあげる余裕なんて、あるのかしら」

「やっぱり夢がないなあ、くまさんは」

「あたしだって分かっているわよ、それぞれの行事に意味があることぐらい」

「だったら」

「女の子だったら、プロポーズならクリスマスにしてほしいって思うでしょ」

「そうなの?」

「わざわざ七夕にしてほしいとは思わない、でしょ?」

「まあ、ねえ」

「そういう意味で、メジャーって言ったのよ」




 翌日の帰りの電車で、珍しく大家さんと一緒になったの。

「随分早かったのね、夕ご飯は?」

「まだだけれど」

「だったら、良太を呼び出して駅の近くでご飯にする?」

「一度家に帰ってからにしようよ、寄りたいところもあるから」

 こんな時間に寄りたいところって?

 駅を出て、おうちに向かって歩いていると。

 小学校の手前の自転車屋さんに、裏口から入っていく大家さん。

 もう閉店しているのに、何をしに?

 そう思いながら待っていたら、真新しい自転車を押して出てきた。

「自転車を買ったの、大家さんが乗るにはちょっと小さいみたいね」

「良太の自転車だよ」

「えっ、良太の短冊には自転車が欲しいって書いてあったの?」

「いいや」

「じゃあどうして?」

「今の自転車は小さいみたいだし、そろそろこんなのに乗りたがる年頃だろ」

「だからって大家さんが買うことはないわ、あたしが出すから」

「いいんだよ、俺が買ってやろうって決めていたんだから」


 家に帰ると、二階から下りてきた良太は自転車を見て驚いているじゃない。

「大家さんからよ、お礼を言いなさい」

「ありがとう、大家さん」

「気に入ってもらえたなら良かったよ」

「ちょっと小さくなっていて、新しい自転車が欲しかったんだ」

 やっぱり、小さくなっていたのか。

「誕生日に、母さんにお願いしようと思っていたんだ」

「もう暗いから、乗るのは明日になってからだそ」

「家の前で、ちょっとだけでもだめ?」

「明日のお楽しみに取っておけよ」

「サドルの調節をするのもだめ?」

 大家さんが許してくれないだろうからって、あたしに聞かないで。

「だめよ、おなかが減ったでしょうからご飯に行きましょ」

「今まで乗っていた自転車は、どうするの?」

「小学校の前にある自転車屋で、俺の名前を言えば引き取ってもらえるよ」


 ベッドの中で考えちゃった。

 あたしは気づかなかったな、良太の自転車のこと。

 しかも、あんな本格的なのを欲しがっていたなんて。

 やっぱりあるのね、男の人にしか分からないことって。

 大家さんがいてくれて良かった。


 そんなことをのんきに考えていたあたしは、知らなかったの。

 良太が短冊に書いていたのは、とんでもないお願いだったことを。

 それを見たからこそ、大家さんが短冊をあんな高い枝につるしたこともね。




 七夕から、十日ほどして。

 やっと梅雨が明けたと思ったら、いわゆる夏風邪ってやつをひいちゃった。

 家族が健康で過ごせますようにお願いしたのは、ついこの間の七夕なのに。

 大家さんが言っていたとおり、罰が当たったのかしら。

 七夕はメジャーじゃない、なんて言ったから。


 出社前の大家さんに伝えるよう、良太を行かせたんだけれど。

「母さんが風邪をひいたみたいで、ベッドから起きられないって言うんだ」

「風邪って、熱は?」

「あるんじゃないかな、せきもしているし赤い顔をしているから」

「昨日は何ともなかったのにな」

「どうしよう」

「リビングのクローゼットに薬箱があるから、体温計と総合感冒薬を渡して」

 やっぱりそうきたか、大家さんは上に来ないものね。

 教えたとおりにしっかり言うのよ、良太。

「大家さんが直接見てあげてよ、僕はまだ子供だもの」

 ちゃんと言えたわね、偉いわ。

「こんなときばっかり子供のふりかよ」

「そんなことを言わないで、緊急事態なんだし僕はもう登校しなくちゃ」


 渋々ながらも、あたしの看病をしに寝室に来てくれた大家さん。

「はい体温計、会社には連絡をしたの?」

「さっき電話したわ」

 コンコン。

「三十八度はないか、ほかにはどんな症状が?」

「頭が痛いの、あと喉が痛くてせきが少し」

「関節は痛む?」

「肩と肘が少し痛いかな」

「この薬を飲んで」

「ありがとう」

 コンコン。

「良太の飯は俺が作るから、くまさんにはおかゆを作ってあげるよ」

「大家さんだって会社があるでしょ」

「もう休むって連絡したよ、家族が病気だからって」

 大家さんは独り暮らしだって、会社の人なら知っているでしょうに。

「わざわざ休ませちゃうなんて、悪いわね」

 コンコン。

「振替休日がたまっているからね、かえって喜ばれたよ」

 あたしのために休んでくれる、この展開を期待していたのよ。

 しかもうれしいのは、家族が病気だと言ってくれたこと。

「下にいるから、何かあったら携帯電話に連絡をして」




 これって抜き差しならない予想外の展開よね、困ったなあ……。

 仕方がないわよね、一人じゃどうにもできないんだから。

 そう自分に言い聞かせてから、ベッドサイドの携帯電話を手に取る。

「あのね、大家さん」

 コンコン。

「どうしたの?」

「寝汗がひどいから、体を拭いたついでに着替えているんだけれど」

「洗濯なら、後で俺がしておくよ」

「違うのよ、脱いだのはいいけれど」

「けれど?」

「肘と肩が上がらないから、替えの服が着られなくて困っているの」

「服が着られないって、良太は?」

「まだ帰ってきていないし、いたとしても親の裸なんか見せられないでしょ」

「俺に見られる方がまずいだろ、成人男性だぞ」

「そんなことを言われても寒いんだもの、背に腹は代えられないわ」

「だからって、裸のくまさんを」

「大家さんが目をつぶっていてくれれば、大丈夫でしょ」

「しょうがないなあ」


「痛いっ、こんなところに何を置いているんだ」

 言われたとおり、目をつぶってドアを開け一歩中へ入った大家さん。

 床に置いてあるダンベルに、小指をぶつけちゃったみたい。

「それ、鹿山がシェイプアップに使っているのよ」

「こんなものまで持ち込んでいるのか、しかも入り口に置いておくなんて」

「はい、これが上着だから」

 目をつぶりベッドに腰を掛けて、スウェットの上を広げている大家さん。

 その中に、体を入れようとしているあたしは。

「大家さん、これじゃ後ろ前よ」

「面倒だな、本当に」

 改めて、大家さんが持つスウェットに体を入れようとしたその瞬間。

「母さん、だだいま」

 あと一時間は学校から帰ってこないはずの良太が、入ってくるなんて。

「何をやっているの、二人とも……」

「ちっ、違うんだ良太」

「違うのよ、これは」

 慌てて良太に背を向け、しどろもどろながらも事情を説明したんだけれど。

 その結果、目を開けた大家さんはあたしの正面に座っているわけで。

 裸のままの、あたしの上半身が丸見えに。

「嫌だ大家さん、目を閉じてってば!」

「ごめん」

 もう遅いか、目の前なんだものばっちり見られちゃったわよね。


「脱いだ服を洗濯しちゃうから、ゆっくり眠るといいよ」

 何もなかったかのようにそう言うと、部屋を出ていってくれた大家さん。




「三階に行くと風邪がうつるから、今日はリビングにいろよ」

「はあい」

「夜は何を食べたい、くまさんを一人にできないから外食はなしだぞ」

 あたしのおかゆを作りながら、夕食の相談をしている二人。

「チーズが乗ったハンバーグがいいな、トマトソースの」

「じゃあ、洗濯物を干したら二人で買い物に行くか」

「うんっ!」


 大家さんが持ってきてくれた、昆布の佃煮と梅干しが添えてあるおかゆ。

「食欲がなくても食べるんだよ、その間に洗濯物を干しているから」

「おかゆ、おいしいわ」

「食欲が出たみたいだから、夜はひき肉とチンゲン菜の中華がゆにしようか」

「うん、大家さんが食事を作ってくれるのは初めてよね」

「そりゃそうさ、俺はキッチンに行けないからね」

「料理は得意なの?」

「大抵のものは作れるよ、料理は好きだし何年間も独り暮らしをしていたし」

「そうなんだ、良太の夕食はどうするの?」

「トマトソースのチーズハンバーグを食べたいって、リクエストをされたよ」

「あの子ったら、料理の指定まで」

「これから、二人で材料を買いに行くんだ」

「あの子が買い物に付き合うなんて、欲しいものでもねだるつもりかしら」

「くまさんと行きたがらないのは、荷物持ちをさせられるからだろ」




 夕方になると大家さんから許可が出たらしく、良太が洗濯物を取り込みに。

「具合はどう?」

「朝に比べればだいぶ良くなったみたい、大家さんの看病のおかげね」

「良かったね、一日で済んで」 

「熱も下がったしせきも少なくなって、あとは関節がちょっと痛いぐらいね」

 良太の次は、大家さんがおかゆを持ってきてくれた。

「おかげで随分良くなったわ、明日には起きられそう」

「無理しちゃだめだよ、治りかけなんだから」

「はあい」

「明日の朝ご飯用に、カレイを煮ておいたからね」

「風邪をひくのも、悪くないわね」

「ひいた本人はね、大変なのは周りだよ」




 あたしの大いなる期待に反して、夏風邪は大家さんにうつらなかったの。

 病気のときには、気弱になるって言うじゃない。

 ここぞとばかりにかいがいしく看病してあげて、ポイントを稼ぐ。

 せっかくのチャンスだったのに、ちょっと残念。

「それにしても、風邪が全快したと思ったら真夏の暑さじゃない」

「今日は、初めてセミが鳴くのを聞いたよ」

「もうすぐ良太の夏休みだものね、旅行が楽しみ」

「旅行の前に良くなったのは、不幸中の幸いだったね」

 あたしとしては、それほど不幸でもなかったんだけれど。


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