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9  実家からの手紙

 その後も定期的に、というかわりとしょっちゅう、いや頻繁にレスリー様を訪ねることになった(呼びつけられているともいう)。


 おかげで次期公爵夫人としての務めどころか、執筆活動すら思うように進まない。



 もちろん、結婚するとなったとき、当然これまでのようなペースでは執筆できないだろうという予測はあった。実家はみんなが快く協力してくれて、心置きなく作家活動に専念できる環境だったから。


 でも結婚したら、多分そうはいかない。だから予め担当編集者にも話してはあったんだけど、ここまで書く暇がないとは思わなかった。



「ロラン、怒ってるかしら」

「アナイス様の事情については私から伝えてありますので。レスリー妃殿下の話し相手として王宮にたびたび呼ばれるようになったと話したら、『出世したもんだ』と笑っていましたよ」

「その経験も、いずれ今後の作品に活かさなくちゃね」



 実は、シーラは私と担当編集者であるロランとの仲介役になってくれている。それもあって、実家から連れてこないわけにはいかなかったのだ。



「アナイス様。それよりクレヴァリー伯爵家からお手紙が届いております」

「あら、何かしら」



 手にした実家からの手紙は、見るからにかなり上質な紙が使われていた。そこはかとなく、なんだか嫌な予感がする。



「いよいよですね」

「え? 何が?」

「アリシア様とジャレッド様がご結婚されるようですよ」



 シーラの言葉で、私は弾かれたように手紙に目を落とす。


 手紙には父の筆跡で、ようやく二人の結婚の日取りが決まったこと、結婚式は身内でこぢんまりと行う予定だができれば私にも出席してほしいことなどが認められていた。



 久しぶりの父の字を何度も読み返すうちに、手紙に触れる指先からどんどん体温が奪われていくのを感じる。動揺と混乱で、顔を上げることができない。まるで時間が止まったかのように、その場に自分一人だけが取り残されていく感覚。




 とうとう、この日が、来てしまった。



 決まりきっていたことだ。いずれこうなると、わかっていたはずだった。




 それなのに。







*****






 夜。



 自室のソファにもたれて、実家からの手紙を見返していた。


 もう一度隅から隅まできっちりと目を通し、書かれていることが何一つ変わってないことを確かめる。何一つ、本当に何一つ変わってない。


 そのまま顔を上げ、どこを見るでもなく視線を漂わせた。


 ぼんやりしていると涙が滲んでくる。さっきはシーラがいたから、喜ばしいことだと取り繕うのに必死で泣くこともできなかった。


 今は自室だし、誰もいないし、思い切り泣いたって誰にも咎められない。そう思ったらぶわっと涙が溢れてきて、それを拭うこともなく流れるままにしていたら、突然ドアをノックする音がした。




「アナイス。今、いいか?」



 旦那様の声だった。




 は? なんでこんなときに!? なんでよりによって今!?




「は、はい!」



 驚いて立ち上がり、慌てて頬を拭い、鏡で自分の顔を確認する余裕もなくドアノブに手をかけて、開けるべきか一瞬悩んだけど、結局そろそろとドアを開ける。



 旦那様は私の顔を見て一瞬目を見開き、そしてつらそうに顔を歪めた。


 それから憂いを含んだ目をして、低くつぶやく。



「アナイス。話がある。中に入れてくれないか」

「え」



 旦那様がこの部屋に来たことなんか、これまで一度もない。もちろんない。自分の執務室に私を呼びつけたことはあっても、自分から私に会いに来たことなんかそもそもなかった。



 それが何故いきなり? とは思うものの、断る理由もない。一応、夫婦だし。「愛することはない」と宣言されていても、一応は。



 私は渋々ドアを大きく開けて、「どうぞ」と答えるしかなかった。



 


 ソファに向かい合って座ると、早速旦那様が気遣わしげな目を私に向ける。



「夕食のとき、なんだか元気がないように見えた。だから思い切って来てみたんだが」



 言われて、旦那様の顔をついまじまじと見返してしまった。




 食事のときなんて、今までだってろくに話もしてないし、何か変わった素振りを見せたつもりもない。


 むしろ何食わぬ顔で、いつも通りに振る舞えていたと思っていたのに。




 なんでわかったんだろう。




「その、今だって、泣いていたんだろう? 何かあったんじゃないのか?」

「泣いていません」

「嘘をつくな」



 鋭い口調ながらも、旦那様の低く抑えた声は耳に優しく響く。




 でも、言えるわけがない。何があったかなんて。



 ずっと心ここに在らずな理由も、今ここで泣いていた理由も、目の前の旦那様に言えるはずがなかった。




 黙ったまま何も答えない私を見かねて、旦那様は何かを決意したように、とても神妙な顔つきになる。



「君に、アナイスに、言わなければと思っていたことがある」

「……何でしょうか?」

「その、初夜の日のことだ。『君を愛することはない』などと言ったが、ひどいことを言ってしまった。すまなかった」

「は?」




 え、急になんなの?


 謝ったの? この人。


 あの横暴で思いやりの欠片もない冷血漢が?



 いきなりの展開にぽかんとしたままの私を置いてけぼりにして、旦那様は堰を切ったように一方的に話し出した。



「以前も話した通り、もともとはヴァージル殿下の圧に押されて君と結婚することになった。でも俺は、昔から結婚というものに意味を見出せなかったというか、むしろ否定的だったんだ。そもそも人とのかかわりそのものに、あまり興味を持てなかったからな。友人と言えるのは殿下とフェリクスくらいだし、それで充分事足りると思っていたんだ。それであんなことを言ってしまった。しかし失礼極まりない言葉だったと今になって激しく反省している」

「な、なんで急に」

「アナイスが好きだから」

「は!?」



 驚きのあまり文字通り後ろに仰け反った私に、旦那様は破壊力抜群の蕩けるような目をしてなおも続ける。



「夜会の前日、俺は熱を出しただろう? あのとき傍らに寄り添ってくれていた君が、慈愛に満ちた女神に見えたんだ。可憐で凛としていて、素直に美しいと思った。夜会の日も、俺の色を纏った君の華やかな麗しさに目を奪われ、ヴァージル殿下と穏やかに話す君の思慮深さを誇らしく思い、気づいたら君から目が離せなくなっていた。そしてあのとき、明らかに様子がおかしかったのに何も話してくれないことに少なからずショックを受けたんだ。俺は君にとって、頼るべき相手ではないという事実に今更ながらやり切れない思いになった。悔しかったし、それまでの自分の言動を思い出してひどく後悔した。そのとき気づいたんだ。俺はもう、君のことを好きになっているんだと」



 怒涛の告白に、私は返す言葉が見つからない。ただはくはくと口を動かすことしかできない。




 いや待って。


 「慈愛に満ちた女神」って何よ。熱に浮かされて幻でも見たんじゃないの? 


 それに私、「可憐」でもないし「穏やか」でもないわよ。そりゃ物書きだから、人より知識はあるかもしれないけどその分毒舌だし。ていうか、性格悪いし。


 ヴァージル殿下とフェリクス様で十分事足りると思ってた人が、なんでここまでストレートに愛を語ってるわけ? 他人とのかかわりに興味を持てなかったんでしょう? だったらそのままでいなさいよ。豹変ぶりが過ぎるのよ。




 考えれば考えるほど、疑問とツッコミどころしかない。だんだん混乱してめまいすらしてきた。一気に疲労感に襲われて、旦那様の熱烈な視線を見返すと。



「『君を愛することはない』なんて、言うべきじゃなかった。最初に君が言った通り、相手への思いやりも尊重する気持ちもない、ただ傷つけるだけの失礼な言葉だった。しかも君のことを好きになった今となっては、単なる嘘の宣言になってしまった。本当に意味のない、無駄な宣言だった。だから撤回したい。そのうえで、改めて、君と最初からやり直したいのだが」



 旦那様は、祈るように瞬きもせず、息を凝らしてじっと私を見つめている。



 その目に急かされるように、私は不承不承重い口を開いた。




「え、無理です」






 





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