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8 レスリー妃殿下

 翌週には、早速王宮にいらっしゃるレスリー妃殿下を訪ねることになってしまった。



 ヴァージル殿下がいつだ、いつ来るんだと、再三にわたって急かしてくるんだもの(しつこいとも言う)。あの人、「時々でいい」とか「気が向いたときでいい」とか言ってなかったっけ?



「悪いな。殿下は昔から、妃殿下のこととなるとまわりが見えなくなるから」



 真正面に座り、少し困ったように和やかな表情を見せる旦那様。




 どういうわけだか、私は今、王宮に出仕する旦那様と同じ馬車の中にいる。


 どうせ同じところに行くんだからと予定を合わせてくれたのはいいんだけど。




 あの夜会の日以来、旦那様は夜遅くに帰ってくることはなくなった。常識的な時間に帰ってきて、しっかり家で休むようになった。


 多少は反省したらしい。結構なことではある。



 でも、変化はそれだけではなかった。




「アナイスが嫌でなければ、その、食事をともにしたいのだが」



 なんてことを、突然言い出した。どういう風の吹き回しなのか、あの傍若無人を極めたような人が歩み寄りを見せている、ここ数日。



「私は構いませんが」

「そうか」



 気を抜くとどうしても喧嘩を売りたくなる衝動をぐっとこらえる。できるだけ平常心を保って返事をすると、旦那様は何故かほっとしたような表情を見せた。



 あの最悪な初夜から続いていた横暴な態度や口の悪さは鳴りを潜め、人並みに普通の、取り立てて問題のない人間になっている旦那様。もはや普通の、ただの超絶美形な人になっている。



 その様子をイアンとサマンサが涙目になりながら見守ってるのは通常運転として、旦那様の思いがけない変化についていけないのは完全に私の方なのだ。



 だって、初日からあれだけひどいこと言われてバトルになって、それ以降も口を開けば言い争いになりかけてたのよ?


 一体どういう心境の変化なわけよ。説明してほしいわよ。でもなんか、「説明しろ」なんて詰め寄るのも違う気がするじゃない。だから困ってるのよ。



 どうしていいのかわからないし、旦那様がどういうつもりなのかもわからないから、結局食事の間も話が弾むわけでもなく、ただただ淡々と、ほとんど会話もなく食べ進める私たち。いや逆に、空気悪くない? 別々に食べてたときの方がまだ気が楽だったと思うんだけど。




「アナイス」



 言葉少なに物思いにふけっていた私の様子をうかがうように、旦那様が訳知り顔で口を開く。



「レスリー妃殿下は気さくな方だから。緊張しなくても大丈夫だ」




 いや、そこじゃないから。むしろ妃殿下のことはそれほど緊張も心配もしてないのよ。


 あなたのその急転直下の豹変ぶりについていけないのよ。




 とは言えなかった。さすがに。







*****






 初めてお会いするレスリー妃殿下は、柔らかな山吹色の髪に深い翡翠色の目をした絶世の美女だった。


 ただ少し、悪阻のせいなのか顔色が冴えないように思う。現れた私に向ける微笑みも、心なしか弱々しい。



「今日はあなたが来てくれると聞いて、とても楽しみに待っていたのよ。なんだかいつもより気分もいいの」



 それでも、その表情には万人を惹きつける圧倒的な魅力が感じられるし、さすがは妃殿下といった優雅な佇まいも健在で、あーこれは確かにヴァージル殿下が大事にしたくなるわけだと納得した。



「体調はいかがですか? 妃殿下」

「そうね。あまり変わらないわ。少し良くなったかと思えば、翌日にはまた動けないほどつらくなることもあって。ままならないわね」

「今はそういう時期だと聞きました。時が過ぎれば次第に良くなっていくようですから」

「医者もそう言うのだけれど……。本当にそんな日が来るのかしらと思ってしまって。思うように食べられないし、これではお腹の子にも良くないんじゃないかと……」

「今は無理をせず、食べられるものを少しずつ食べてみてはいかがでしょう? お腹が空くと気持ちの悪さがひどくなるようですので、一度の食事の量は減らしつつ回数を増やす方法もあるようですよ」

「まあ、そうなの?」

「それとさっぱりしたものは気持ちの悪さを軽減する効果があるようです。水分補給も大事ですから、口当たりの軽い野菜スープなど試してみてはいかがでしょうか?」

「野菜スープ……」



 妃殿下は頭の中で野菜スープを想像してみて、食べられそうだと判断したのかぱっと顔を輝かせた。そして近くにいた侍女に何やら指示を出し、侍女の方も心得たとばかりに頷いて退出する。



「あなたと話していたらなんだか食欲が湧いてきたわ。それにしても、悪阻について詳しいのね」

「あ、そ、そうですかね。以前、知り合いに聞いたことがあって……」




 完全なる嘘である。


 本当は、以前自分の小説で悪阻について書いた部分があって、あれこれ調べたことがあっただけで。


 いやー、でも調べておいてよかったわ。人生、何が役に立つかわからないものね。




「ねえ、アナイスと呼んでもいいかしら?」

「もちろんです。妃殿下」

「私のことはレスリーと呼んでちょうだい。あなたとは仲良くなれる気がするの」



 そう言って、こぼれるような笑顔を見せるレスリー様。



 あーこれは殿下が、以下同文。




 さっき退出した侍女とは別の侍女がお茶の準備をし始め、ふと目をやるとレスリー様の文机の上に何冊もの本が山積みになっているのが視界に入る。



 しかも、その一番上に開いた状態のまま置かれているのは。



「あ、『博識令嬢』」

「え?」



 レスリー様は振り返り、私の視線の先にあるものを見定めてまたぱっと顔を輝かせた。そして、さっきの野菜スープのときとは比べ物にならないほどの反応を見せる。



「え!? あなた、知ってるの!? 『博識令嬢』って」

「あー、はい、まあ」




 知ってるも何も。


 それは、作家サエル・アレステルの名を世に知らしめた二作目にして代表作。


 つまり、書いたのはこの私なんだから。




「読んだことがあるの!?」

「まあ、はい」

「どこまで読んだのかしら? 『博識令嬢』はシリーズもので、五巻まで出ているのだけど」

「一応、全部読みました」

「本当!? じゃあほかの作品はどう?」

「サエル・アレステルなら、だいたい全部読んでます」

「まあ!! 仲間じゃない!!」



 レスリー様はうれしさを爆発させるようにそのほっそりとした手で拍手をしながら、ずずずっと身を乗り出す。



「あなたもサエル・アレステルのファンなのね!?」

「そう、ですかね」

「私もなのよ! 特にこの『博識令嬢』シリーズは大好きで、もう何度読んだかわからないわ。特に四巻が好きなのよ。あなたは?」

「あー、そう、ですね。最新巻かな」

「五巻もいいわよね! ようやく二人が結婚するものね! 四巻でグレースが帝国の将軍に誘拐されるじゃない? 間一髪のところでアッシュと皇太子が助けに行ったあと、アッシュの独占欲が炸裂して五巻で早々に結婚しちゃうでしょ! きゃー、もうたまらないわ!!」



 じたばたと身悶えし、なおもきゃーきゃー叫びながら早口で『博識令嬢』シリーズの魅力について説明し続けるレスリー様。


 その圧倒的な勢いに押され、私は恐ろしく完成度の低い愛想笑いしかできない。




 ていうか、レスリー様、だいぶガチ勢だな。


 そりゃ、ありがたいことはありがたい。でもこれ、何目線で聞いてたらいいんだろう。




「巷ではフルロア・ヴィンスやマリオン・エルーラも人気だけれど、私はやっぱりサエルなのよねえ」

「あ、私はフルロア・ヴィンスも好きですよ」

「あら、そうなの?」



 さっきまで見せていたあふれんばかりの熱はどこへ行ったのか、レスリー様は急にちょっと冷めた目をして私を見返した。



「フルロア・ヴィンスの小説に出てくる男性って、誰にでも愛想がよくて軽い感じの人が多いでしょう?」

「そうですね。社交性の高い男性が多いですね」

「話の中身とか展開とかはともかく、そういう人が主人公だとどうにも好きになれないのよね。感情移入できないのよ。女性を取っ替え引っ替えするところなんか、特に腹立たしくなっちゃって」

「あー、なるほど」

「マリオンもいいのだけれど、彼女の作品は悲恋が多いじゃない?」

「それは、確かに」



 マリオン・エルーラもかなり有名な、言わずと知れた人気作家である。ガチガチの恋愛小説を多く執筆し、独特の設定や緻密で計算された表現を多用しながらも基本路線としては女性目線の切ない悲恋ものが多いため、「悲恋の女王」なんて呼ばれている。



「そうなると、やっぱりサエルなのよねえ。全部ハッピーエンドだし、ヒーローはみんな素敵だし、ユーモアがあって楽しくて、でも時々ほろりとさせられるところもあって。とにかく読んで元気になれるじゃない。やっぱりサエルが一番よ」



 自信満々のドヤ顔で話すレスリー様。



 まさかこんな目の前で、これでもかというほど容赦ない大絶賛の嵐にさらされるなんて思わなかった私は、曖昧に頷くしかなかった。












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