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「君を愛することはない」から始まるまさかの溺愛結婚生活  作者: 桜 祈理


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7 夜会②

 夜の王宮庭園は、煌びやかな大広間とは対照的にひっそりと静まり返っていた。



 なんだかんだとひどく疲れてしまって、私は一人で外に出た。庭園のベンチに腰かけて大きく息を吐き出すと、瞬く間に気が緩んで涙が溢れそうになる。



 初めての夜会、びっくりするくらい上質なドレス、着飾ったたくさんの人、威風堂々たる王太子、友人と戯れる旦那様、そして相変わらず麗しい妹とその妹に寄り添ういつまで経っても愛しい人。




 アリシアとジャレッドとは、結局話せていない。人が多すぎて見つからないし、そもそも王太子殿下に捕まっていたから二人を探すどころではなかった。



 でも、今はその方が都合がよかった。



 自分の気持ちがまったく変わっていないことに、私は打ちのめされていた。心臓からとめどなく血が流れ出る感覚を味わいながら、それでもすべての感情に蓋をして二人に対峙するなんてとてもじゃないけど今日は無理。



 なんでもない「普通」の顔がどんなだったかすら、思い出せないのに。




 下を向くとそのまま涙が溢れてしまいそうで、私は顔を上に向けて虚空を見つめる。



 涼やかな夜の風が、痛みに喘ぐ私の頬を優しく撫でてくれた。






「アナイス」



 呼ばれたことに驚いて振り返ると、何故かそこに、旦那様が立っていた。



「どうした? 気分でも悪いのか?」

「あ、いえ。少し人に酔ってしまって」

「そうか」



 旦那様はさも当然のように静かに近づいてきて、それから遠慮がちな様子で隣に座る。



「大丈夫か?」

「はい。なんとか」

「確かに今日は、人が多いからな。ヴァージル殿下が久しぶりに自ら主催されると聞いて、参加者が膨れ上がったんだ」

「夜会初心者の私には、だいぶ難易度が高かったです」



 心身ともに消耗している本当の理由は違うけど。でもまあ、これだって嘘ではない。

 


「私より旦那様の方こそ、昨日の今日で体調は大丈夫ですか?」

「俺は大丈夫だ。昔からよく熱を出したものだが、次の日にはもうなんともないことが多いから」

「そうなんですか」



 そういえば、サマンサがそんなようなこと言ってたなあとぼんやり思う。



「君は……」



 旦那様は何か言いかけて、でもどういうわけだか無表情のまま黙り込んだ。


 それきり、沈黙が続く。




 なんか今日のこの人、馬車の中と言い今と言い、やたら沈黙が多いわね。




 そう思って端正な顔があるはずの場所を見上げると、柔らかい色をした目が私を見つめていたからどきりとした。



「何か、あったのか?」

「え?」

「さっき、うわの空だっただろう? 殿下が近づいてくることに気づかないほど」

「あ、いえ……」



 探るような青藍色の目が、容赦なく私を捕らえる。


 咄嗟に、私は目線を逸らした。




 言えるはずもないし、言うつもりもない。この気持ちは、誰にも明かしたことがないのだから。


 ジャレッドはもちろん、アリシアにも、シーラにも誰にも話したことなどない。心の奥底に秘めて、隠して、そのままずっとやり過ごしていくんだと、そう決意した私の想いをここで話すつもりなんか毛頭ない。



 まして、この人に言うなんて。一応、旦那様だし。



 いくら「君を愛することはない」と宣言されているからといって、私にも別に好きな人がいるのでお気遣いなく、とはちょっと言えないじゃない。乱暴すぎて。




「なんでもありません」



 顔を上げて、すべてをごまかすような満面の笑みで答えた。それなのに、旦那様は何故か傷ついたような表情をして眉を顰める。




 ……なんでそんな顔するのよ。とは思ったけど、聞かなかった。




「そんなことより、旦那様が私の名前を覚えていらっしゃったことに驚きました」

「あ? ああ、それくらいは……」



 なんて言いながら、旦那様はバツが悪そうに視線を泳がせている。



「さすがに、妻の名前くらい知っている」



 急に仏頂面になって、むすりと答える旦那様。



 多分、夜会があるから慌てて調べたんだろうけどね。だって今日の今日まで、ずっと「君」呼ばわりだったものね。



「でも、名前を呼ばれて、素直にうれしかったです」



 そう言って、ふふ、と小さく笑うと、旦那様はどういうわけだか明らかに狼狽えた。



「し、しかし君の、アナイスの受け答えは的確で簡潔なうえに洗練されていて、ヴァージル殿下もいたく感心されていた。君がいつレスリー妃殿下に会いに来てくれるのかと何度も確認されたよ」

「そんな。褒めすぎですよ」

「そんなことはない。フェリクスも『あんなにきれいで聡明な奥さんをもらえるなんてうらやましい』などと言っていた」

「それこそ褒めすぎです」

「それに……。俺のことも、その、悪く言わずにいてくれて、礼を言う」

「あら。私としては、できるだけ口を開かないとお約束しましたのにあんなにしゃべってしまって、また怒られるだろうなと思っていましたが」



 ちょっと皮肉を込めてそう言うと、旦那様は途端にいつもの険しい顔つきになる。



「あ、ごめんなさい。また言い過ぎましたね」

「……そんなことはない」



 険しい顔つきのまま、またしても黙り込んでしまう旦那様。




 あー。なんだかな。


 ついつい減らず口を叩いてしまうけど、旦那様が私のことを心配してここまで来てくれたことは事実なわけで。


 あれこれ思うところはあるけど、これまでの扱いをチャラにするつもりはまったくないんだけど、傷心に沈む今の私はその優しさに慰められるところもあるわけで。




 少し気持ちを切り替えた私は、黙り込む旦那様に向かって殊更明るい声をかけた。



「ところで旦那様は、レスリー妃殿下と面識がおありですか?」

「は? あ、ああ」

「どんな方なのでしょう?」



 突然話題が変わったことに驚いた様子を見せながらも、旦那様は少しの間何やら考えをめぐらし、それからてきぱきと答えてくれる。



「レスリー妃殿下はアークライト公爵家の長女で、10歳でヴァージル殿下の婚約者となられた方だ。お二人は婚約当初から非常に仲睦まじく、ヴァージル殿下はどこへ行くにもレスリー妃殿下を伴っていたくらいだよ」

「では、幼少時から殿下と親しかった旦那様とも旧知の仲というわけですね」

「そうだな。俺とフェリクスは殿下と行動をともにすることが多かったから、四人で一緒にいることも多かったな」



 そう言って、旦那様はその頃を懐かしむように、ふわりと微笑む。




 あー、やばいやばい。美形の微笑みは眼福だけど、不意打ちは心臓に悪いわ。




「レスリー妃殿下の話し相手になる件か?」

「はい。恥ずかしながら、妃殿下のことをまったく存じ上げないので。学園でもお会いしたことはなく」

「そうか。三歳下の君とはまったくの入れ違いになるからな」

「そうなんです。殿下と妃殿下の仲睦まじさは、卒業されたあとの学園でも伝説のように語り継がれていましたけど。旦那様や殿下はみなさん同い年なのですよね?」

「ああ。ただフェリクスは、途中で隣国に留学したあとそのまま向こうで卒業しているんだ。ヴィンセント侯爵家が我が国の外交を担っているからというのもあるが、あいつはなんというか、自由奔放といえば聞こえはいいが鉄砲玉のようなところがあって」

「鉄砲玉」



 さっきの爽やかイケメン、留学してたのね。無駄にコミュ力高そうなのは、そのせいなのかも。


 あんな自由人と旦那様みたいな堅物が仲良しなんて、世の中わからないものね。



 にしても、知らないことが多いなあと気づく。



 そりゃそうか。この人とまともに話したの、結婚してこれが初めてなんだもの。



「レスリー妃殿下は何をやらせてもそつなくこなす優秀な方だが、実は努力の人でもある。ヴァージル殿下をお支えしようと、学園の学業と王太子妃教育を両立させていた方だからな。真面目でひたむきだが、少し繊細過ぎるところもあって殿下がいつも心配していたよ」

「あら。そうなのですか?」

「ああ。しかしアナイスが話し相手になってくれるなら、妃殿下もだいぶ気が楽になるんじゃないかな」



 まるで期待してくれているような旦那様の言葉に、驚いて反射的に顔を上げてしまう。


 旦那様は何故だか口元を手で押さえて、不自然に視線を動かした。



「あ、あの、妃殿下のお好きなものというか、趣味とか、そういったものはおありなんでしょうか?」



 想定外の旦那様の様子になんだか私も焦ってしまい、妙にしどろもどろになってしまった。



「妃殿下の好きなもの?」

「は、はい。そういったものが何かあれば、その、話のネタになると思うので。ある程度準備することもできますし」

「ああ、そうか。……あの方は、幼い頃から本を読むのがお好きなんだが」

「はい」

「巷で流行りの恋愛小説なんかをよく読むらしい。殿下や俺たちにもしきりに勧めていたからな。確か、一番好きな作家はサエルなんとか、という作家だ」

「は?」




 サエルなんとか。



 サエルなんとか……。



 いやそれ、サエル・アレステルでしょ。



 ていうか、私じゃん……!!








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