4 夜会の提案
「今後顔を合わせることはほぼないだろう」とか言ってたやつが、その翌々日には「話があるから執務室に来るように」なんて言って来た。
用があるならお前が来いよ、と内心では思ったけど、それを言いに来たイアンが見てられないくらい申し訳なさそうな顔をしていたから、黙っておいた。
イアンにとって、旦那様は息子のような孫のような、そんな存在なんだろう。気の毒としか言いようがない。
仕方なく忌々しい思いをこらえて執務室に行くと、想像の数倍は険しい顔をした旦那様が偉そうな態度でソファに座っていた。
「なんの御用でしょうか?」
思った以上に冷たい声になってしまったことに自分でもちょっと驚いていると、旦那様は口も開かず目でソファに座るよう合図する。
いや、なんか言えや……!
すぐ言い返しそうになるのをぐっと抑えてひとまず旦那様の目の前に座ると、旦那様は嫌味なほどこれ見よがしに大きなため息をついた。
「ヴァージル殿下が、夜会を開かれるそうだ」
「はあ」
「王太子殿下が自ら主催されるのだ。俺たちにもぜひ夫婦で出席しろとの仰せだ」
うわ。まじか。
思わず言いそうになって、慌てて口を噤む。
ていうか、それが不服でこんなにご機嫌ななめなのね、旦那様。
「出席されたくないのですか?」
「当たり前だ。夜会など時間の無駄だ。出席したところでなんの実りも得もない。だから必要最小限の夜会以外はすべて断っているのに、わざわざ俺たちのために夜会を開くとおっしゃる」
「俺たち?」
「俺と君だよ。せっかく結婚したのだからお披露目も兼ねて出席しろと。まったく、余計なことばかりしてくれる」
「ああ、なるほど」
「何がなるほどだ。ありがた迷惑な話だ。君と違って、俺は夜会など何の意味も見出せない」
「あら、奇遇ですね。私も夜会には行ったことがないし興味もなかったです」
意外な共通点にちょっとだけ口元を緩めると、旦那様は途端に怪訝な顔をする。
「君はこれまでもたくさんの夜会に出席してきただろう? 社交界で君のことを知らない者はいないと聞いていたが」
「ああ、それは多分、妹のことですね。妹は確かにかわいいしきれいだし、明るくて素直でみんなに人気がありましたから」
「妹?」
「え、縁談の話をいただいたとき、お伝えしましたよね? クレヴァリー伯爵家には私と妹がいて、でも妹はすでに婚約が決まっているので私でいいですかと。構わない、とのお返事をいただいたはずですが」
旦那様は私の話を聞きながら、なんとか記憶の糸を辿ろうとしているのか思案顔をして唸っている。
そして一昨日といい今といい、自分が言っていたのは恐らく妹の方だったのだと合点がいったらしい。
「あ」と言いかけた旦那様は、微妙に決まり悪そうな表情になる。
「何か?」
「いや、俺は勘違いをしていたようだ」
はいはい。知ってましたよ。
なんならその勘違いを逆手に取ってここまで来てますのでね。
こんなこともあろうかと、縁談を受ける際にわざと確認したのだ。あとで「こっちの目当てはアリシアで、アナイスではなかった」とか言われないように。ろくに調べることも確かめることもせず、適当に事を進めようとするからこうなるのだ。
そもそも縁談なんて人生を左右する一大事だというのに、相手についてしっかり調べることを怠るなんてなめすぎである。
クレヴァリー伯爵家に娘が二人いるなんて、調べればすぐにわかること。私は社交界には出ていなかったけど、学園にはきっちり通ったし友だちもいたんだもの。少なかったけど。
そういうことを全部ないがしろにして、雑な仕事をするからこんなことになってんだよ。ざまあみろ。
とは思ったけど、もちろん口には出さなかった。
後ろに控えていたイアンに目を向けたら、今にも土下座しそうな焦った顔をしてるんだもの。気の毒すぎて、何も言えなくなる。
「では君は、夜会には出席したことがないと……?」
「ないですね。夜会らしいものといえば、学園の卒業パーティーくらいでしょうか」
「それ以来、経験がないというのか? では卒業してから何をしていたんだ?」
「何って……」
そりゃ、執筆活動に勤しんでおりましたよ。
とは言えないよねえ。さすがに。身バレはいろいろ困るんで。
「まあ、いろいろですね。家事手伝いとか? とにかく夜会には興味がなかったので行ったことはありません」
「そうか。しかし今回は殿下主催の夜会だ。欠席することはできないからな。君には次期公爵夫人として参加してもらう」
「はい」
「まずはドレスを仕立てる必要がある。侍女長のサマンサにも話してあるから、ドレスについてはサマンサと相談してくれ」
「はい」
「それから」
旦那様は一層気難しい顔をしたかと思うと、眉根を寄せて言い淀む。
「……夜会では仲睦まじいとは言えないまでも、それなりの対応をしてもらえると助かる」
「それなりの対応、とは?」
「一昨日のような喧嘩腰はやめてほしいということだ。余計なことは言わなくていいし、できれば一切何も言わずにいてもらいたい」
「は?」
私ははっきりと、明確な意志を持って目の前の旦那様を睨みつけた。
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だ。俺たちが不仲だと知られるのは、世間的にも外聞が悪い。特に殿下はそういったことに敏感だからな。いろいろお節介を焼こうとするから困るんだ」
「不仲って、誰のせいだと思ってるんですか? あなたが喧嘩売ってくるからでしょう?」
「そういうところだよ。すぐにあれこれ言い返してくる。だから黙っていてほしいと言ってるんだ」
またしても、頭の中で何かがぶちぶちっと切れる音がした。
でも旦那様の後ろに目を向けると、もうほとんど土下座してると言っていいくらいの体勢を取ったイアンが視界に入る。いや、そこまでしなくても。つい二度見しちゃったじゃない。
私は少し視線を下に向けて、一度だけこっそり大きく深呼吸をした。
とりあえず、落ち着こう。自分。
「……わかりました。一切何も言わないというのはさすがに難しいと思いますが、できるだけ口を開かないようにします」
「そうしてくれ」
そう言うと旦那様は、話は終わったとばかりにさっと立ち上がり、執務机に向かう。
ひたすら申し訳なさそうなイアンに促され、私は執務室をあとにした。
*****
「本当に申し訳ございません。奥様」
翌日、夜会のドレスのことで顔を合わせた侍女長のサマンサは、来るなり初日のイアンと同じ角度で頭を下げた。
「坊ちゃま、いえ、クライド様が大変失礼なことを申し上げたそうで……。お詫び申し上げます」
「あなたが謝ることじゃないでしょう?」
イアンにも同じようなこと言ったな、と思いながら顔を上げるサマンサに目を向ける。
イアンと違って、ちょっときつい目つきの一見とっつきにくそうなベテラン侍女長だけど、滲み出る雰囲気は温かさで溢れていた。
「いえ、せっかく来ていただいた奥様に大変失礼なことを」
「確かに失礼だとは思いましたけど、だからってあなたたちが謝ることではないでしょ」
言いながら微笑むと、サマンサは「奥様の寛大なお心に感謝いたします」とか言いながらちょっと涙ぐんでいる。
いやいや、寛大なわけではないのよ。
もうここまで来たら、あの横暴で傍若無人な旦那様が小説のネタのようにしか思えなくなってきて。
いつか公爵家の暴露本でも出してやろうかと思ってるくらいなのよね。それか、私の体験談をそのまま自分の小説にしちゃうとかね。『「君を愛することはない」から始まる最悪な結婚生活』とかね。
だから本当に頭には来るんだけど、ネタとしてはこれほど面白いこともないよなあなんて、ちょっと冷静に客観視できてるのよね。
それに。
ここに来てから旦那様の扱いがひどすぎて、否応なしに振り回されているせいもあってジャレッドのことを考える暇がない。
単純にアリシアやジャレッドと物理的に距離ができたせいなのかもしれないけど、実家にいた頃は毎日のように感じていたじくじくとした痛みから、少しだけ解放されている自分がいる。
それだけでも、ここへ来てよかったのかもしれないと思う。
この結婚がどんなものになるとしても、たとえ愛のない結婚生活になるとしても、実家から、というかアリシアやジャレッドから離れることを選んだのは私自身だし。
まあ、ここまでひどいとは正直思ってなかったけども。
「イアンから旦那様のことは大体聞いているから。幼い頃からのことを考えると、仕方がないと思うところも多少ありますし。それに旦那様にとっては、この結婚がだいぶ不本意なのも理解はできますから」
「でも私たち使用人一同は、クライド様がやっと結婚する気になってくれたと大喜びしていたんです。昔から人を寄せつけないところがありましたので、このまま結婚されないのではと心配で心配で」
「ほんとは結婚なんてしたくなかったけど、王太子様の圧に勝てなかったんでしょ。殿下が殿下がってやたらと話に出てくるくらいですし」
「クライド様とヴァージル殿下は、幼い頃から親交がおありなのです。お父上のダグラス様が宰相ということもあって、学園に入学する前から王宮に上がってヴァージル殿下と顔を合わせることが多かったもので。学園に在籍してからはヴァージル殿下の側近として、常におそば近くに控えていたのです」
「あの人がうるさいから」とか「お節介が困る」とかやたら小言が多かったけど、要するに旦那様って王太子殿下と仲良しなわけね。
意外とツンデレ要素があるのかしら。
だからって、私にもデレてほしいとは今んとこ一ミリも思わないのよねえ、困ったことに。
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