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3 クライドの事情

 結婚式翌日の朝。



 だだっ広いベッドの上で戦闘力の高いナイトドレスで大の字になったまま、どうやら寝てしまったらしい。


 慌てて飛び起き、誰もいないことを確認し(というか誰もいないからあんな格好でいられたわけだが)、そそくさと立ち上がるとドアをノックする音が聞こえた。



「アナイス様。お目覚めですか?」



 私が実家から唯一連れてきた、侍女のシーラの声がした。




 婚姻にあたり、伯爵家から一人だけ侍女を連れてきていいと言われていた。シーラは私の6歳上の侍女で、実家にいた頃は私とアリシア両方の侍女でもあった。


 私たちにとっては姉のような存在のシーラを連れていくことに、アリシアは最初のうちちょっと抵抗した。

 私だけじゃなくシーラまでいなくなることがだいぶ不安だったみたいだけど、最後には「仕方ないわよね」と納得してくれた。


 私にとっては、シーラがいないと困る明確な理由がある。



「入ってもいいわよ」



 声をかけるとシーラは素早く入ってきて、私の格好とベッドの様子を何度も交互に見ながらだんだんと不満げな表情になっていく。



「言いたいことはわかるけど、しょうがないじゃない。これが愛のない結婚になるだろうってことは薄々気づいてたでしょ。いわゆるお飾りの妻ってことよ」

「でもアナイス様は、期待を持っておられたじゃないですか。少しずつでも寄り添っていけたらと」

「まあ、そうなんだけどね。でも向こうは全然そんなつもりないみたいだし、だいたい『君を愛することはない』って言われちゃったからね。頭に来て言い返したら、最終的にはバトルになっちゃったし」

「え」

「なによ」

「次期宰相相手にバトル……?」

「だって、ひどいんだからあの人」



 それから私は、昨夜の一部始終を一気に説明した。


 シーラは「旦那様になんてことを」とか言いながらも、私の話が進むにつれてだんだんこっちの味方になって、最後には「旦那様許すまじ」と小声でつぶやいていた。



「だからさ、しょうがないのよ。向こうはこの先私と顔を合わせるつもりもないみたいだし。まあでも、次期公爵夫人の務めはしろしろってうるさいから、ひとまず離縁するつもりはないんだろうけど」

「ああ、そういえば執事のイアン様が、あとでそのことについてお話ししたいと言ってましたが」

「えー、早速?」



 それについては承諾してないんだけどな、とか思いつつ、シーラに手伝ってもらいながらささっと着替える。



「ちなみに旦那様は?」

「朝早く朝食を摂られ、王太子様に急用があるとかで出かけられました」


 

 結婚初日に仕事とは、ご苦労なことで。



 あの男、最初から私のことなんか眼中になかったんだろう。一切交流する気がないから、こんな日でも平気で出かけるわけだよ。腹立つ。





 苦々しい気分を持て余したまま朝食を済ませた私は、執事のイアンが現れるのを待った。



「奥様。よろしいでしょうか?」



 やって来たイアンは少し白髪交じりの柔和な顔つきをしたベテランの執事で、丁寧な物言いと柔らかな物腰は確かな安心感を抱かせた。


 イアンは硬い表情で私室に入ってきたかと思うと、いきなり深々と頭を下げる。


「坊ちゃま、いえクライド様が大変失礼なことを申し上げたかと思います。主に代わり、私が謝罪いたします。申し訳ございません」

「え、ちょ、ちょっと」



 きれいな角度で腰を折り曲げるイアンにプロ意識を感じながらも、私は慌てて立ち上がる。



「あなたが謝ることじゃないでしょう? というか、どこまで知ってるのかしら」

「昨夜のことについては、ある程度存じ上げております。クライド様が一言一句何を言ったかまでは聞いておりませんが、奥様が憤慨なさるのは当然のことかと」



 老執事は言いながら、硬い表情を一向に崩さない。


 真剣なその表情に、これまでも幾度となくこんな場面があったのかもなんて簡単に想像できてしまった。



 そりゃそうだよね、あんな頑固で人の気持ちの分からない暴言男、相手にするの大変だよね。



 そう思ったら、なんだかそこはかとない同情心が湧いてきてしまう。



「あなたもいろいろと、苦労しているのね。イアン」

「いえ、そんなことは」

「あなたはいつからこの家に仕えているの?」

「現公爵のダグラス様が幼少の頃からですから、もう何年になりますか……。クライド様が独立されてこの家にお移りになる際、私も共に参りました」

「そうなの。どうしてクライド様は、公爵家からお出になられたのかしら」



 ふと疑問が口をついて出ると、イアンは何故だか沈鬱な表情を浮かべた。その表情に、今度は抗いがたい好奇心が頭をもたげる。



「あなたは詳しい事情を知っているんでしょう?」

「はあ。まあ……」

「じゃあ、知ってることだけでも教えてくれない?」

「しかし」

「あなたも知っての通り、私は昨日旦那様とほとんど会話らしい会話をしてないし、それどころかこの家のこともクライド様のこともまったくと言っていいほど知らないのよ。それって、次期公爵夫人としてはまずいと思わない? 何も知らないことが外に知られたら、世間ではどう思われるかしら」

「う……」



 執事としては、公爵家の内部事情を妻とは言えお飾りの新参者に話すなんて、ためらいが生じても仕方がない。


 ただ公爵家の面子や体裁を考えたら、話しておいた方がいいこともあるだろう。イアンにとっては、かなかなかに迷うところではある。



「じゃあ、これからの公爵家のことを考えたときに、私が知っておいた方がいいと思うことだけを教えてよ。あなたが必要だと思うことだけでいいから」



 私がそう言うと、イアンは観念したように頷いて、「そうですね」とすんなり答える。



「奥様は冷静で的確な判断の出来る聡明な方とお見受けいたしました。事情はどうあれ、クライド様の奥様としてお迎えしたお方です。私が知っていることはすべてお話しいたします」




 そうして、イアンが話してくれたクライド様の物語はこうだ。




 クライド様が公爵家の嫡男として生まれてから数年、実のお母様はとある病を患い、あっけなく亡くなってしまったという。


 まわりの勧めもあってわりとすぐに公爵は再婚し、その後二人の妹たちが生まれた。でもクライド様はこの継母や妹二人との折り合いがすこぶる悪かったのだという。



「それって、その後妻さんが旦那様に意地悪したとか邪険に扱ったとかそういうこと?」

「いえ、はじめのうちは、大奥様も幼くして母を亡くしたクライド様に心を痛め、できる限りの愛情を注ごうとされておりました。しかしクライド様がまったく心を開かず、それどころか頑なに『お前は母ではない』などと言い張って」



 あー、なんかわかるわー。


 そしてすごく言いそう。あの人。



「そうこうしているうちに妹のヴァレリー様やステイシー様がお生まれになり、大奥様も自然とそちらに手がかかりきりになってしまいました。クライド様と大奥様、お二人の間の溝は埋まることなく、そしてヴァレリー様やステイシー様もクライド様の冷たい態度にだんだん距離を置かれるようになりまして。そうして学園の卒業を機に、クライド様は公爵家本邸を出ることにしたのです」

「それで、あなたは放っておけなくてついてきたわけね」

「侍女長のサマンサも同様です。彼女は私の妻なのですが、二人でクライド様について行こうと決めました」

「ねえ、肝心の公爵様はどうしてたの? 父親なんだしもうちょっとなんとかしてくれなかったの?」



 私の言葉にイアンはどんどん気難しげな表情になり、言いづらそうにしながら重い口を開く。



「ダグラス様は、以前から仕事熱心な方でございました。ブレンダ様、亡くなったクライド様のお母上ですが、ブレンダ様が嫁いでいらしてすぐに宰相の座を継ぐことになりまして。多忙を極めたダグラス様のご帰宅される時間は遅く、クライド様がお生まれになってもなかなか顔を合わせる時間はなく」

「ああ、俗に言う、家庭を顧みない夫ってやつね」

「はあ、まあ」

「じゃあ、もともと公爵様と旦那様の親子関係は希薄だったということかしら」

「親密な親子とは言えなかったと思います。さらにブレンダ様が亡くなって以降、ダグラス様は何故かクライド様を遠ざけるようになってしまって……」

「そんな状態なら、後妻さんと旦那様の関係が拗れていくのも放置していたのでしょうね。そもそも、それに気づいていなかったかもしれないし」

「おっしゃる通りでございます。クライド様の方も成長するにつれダグラス様とのかかわりを避けるようになり、二人が顔を合わせて言葉を交わしたのもどれほどあるか」

「そこまで?」

「一方で、ダグラス様は二人の娘、ヴァレリー様やステイシー様のことはそれなりに心を砕いておいででして。次期公爵家当主並びに次期宰相としてクライド様に期待し、それ故に厳しさを持って接してこられたのでしょうが、クライド様としてはずいぶん寂しい思いをなさってきたのではと思います」




 ああ、もう話しながらイアンが泣きそうなんですけど。




「イアンは、旦那様のことが好きなのね」

「は? いえ、すみません……」


 私がハンカチを差し出そうとすると、イアンは取り乱した様子で自分のハンカチをポケットから出し、目頭を押さえる。



「まあ、好きじゃなかったら旦那様が公爵邸から出るとき、ついてこないわよね」




 きっと、イアンとサマンサ、二人の使用人は旦那様の孤独を間近で見ながら、できる限り支えになろうとしてきたのだろう。


 多分、旦那様もその二人には心を許しているのかもしれない。




 だが、しかし。




 旦那様の寂しい生い立ちはわかったけど、だからって昨日のことが許せるわけではないのよね。


 私もそこまで寛大ではないのよ。


 「そんなことがあったのですね、それならあんなことをおっしゃるのも仕方がないことですね」とはならんでしょうよ、普通。暴言が過ぎるのよ。



 まあ、旦那様の複雑であろう心情を理解したところでもう会うこともないし別にいいか、と思っていたのに、そうは問屋が卸さなかった。






 

 

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