23 君を愛してる
それから数カ月後。
レスリー様が、無事に王子を出産された。
産み月が近くなるにつれて「あちこち動き回れないから」との理由でますます頻繁に呼び出されていた私だったけど、まさか話している最中に陣痛が始まるとは思わなかった。
「さっきから、なんだかお腹が張るのよね」
「え?」
「痛みもあるんだけど」
「ちょ、大丈夫ですか?」
「大丈夫。今は痛くないから。でもなんだか、痛くなったかと思うと痛みが引いたりして」
「レスリー様。それ、もしかして陣痛なのでは?」
「やっぱりそうなのかしら」
妙に冷静なレスリー様とは対照的に侍女の皆様が一斉に慌て出し、医者も呼ばれ、私は早々に退出することになった。
そのまま、真夜中近くになって王子を出産されたらしい。妊娠初期は悪阻との格闘ですったもんだしたレスリー様だったけど、出産自体は超安産だったと聞いてほっとした。
待望の世継ぎ誕生に国中が沸き、ヴァージル殿下も生まれて間もない王子にメロメロな中、王子誕生を祝う夜会が一部の貴族だけを招いて開かれることになった。
「アナイス様、今日の装いも申し分ありません」
「アナイス様は何をお召しになってもお似合いですからね」
シーラとサマンサが、自分たちの完璧な仕事を終えて満足そうに目を細めている。
銀色のAラインドレスは、深い青色の糸で繊細な刺繍の施されたレースがふんだんに使われている。見るからに高そうである。しかも、最新の流行をしっかりと取り入れた凝りまくりのデザインはクライド自らの発案である。「アナイスのなめらかな黒髪に映え、俺の色味だけを存分に使い、さらにはアナイスの聡明さと麗しさを惜しみなく引き出す唯一無二のものを」なんて無茶苦茶なコンセプトを掲げたときにはどうするんだと思ったけれど、ちゃんと実現しちゃってるからすごい。当然、同じ色味で統一されたアクセサリーのデザインも手掛けている。どんだけ多才なんだあの人。
そういえば結婚して間もない頃の夜会のときは、サマンサに乗せられて勝手にクライドの色味のドレスを着たんだっけ。
あのときのクライドの反応を思い出して、ふっと笑みがこぼれる。あの日と同じように玄関ホールに向かうと、クライドはすでに準備万端で待っていた。しかもすこぶる上機嫌で。
「思った通りの美しさだね、アナイス。いや、想像以上だな。夜空を纏う星の女神エレンのようだ」
「褒めすぎですよ」
「そんなことはない。言い足りないくらいだよ。君を褒めたたえる言葉ならいくらでも思い浮かぶ」
「ふふ。クライドが用意してくれたドレスが素晴らしいからです」
「気に入ってくれたならよかったよ。でも今日の君はいつも以上に美しく妖艶すぎて、誰の目にも触れさせたくないな」
言いながら人目も気にせず私の額やこめかみにキスをするクライドに向かって、サマンサがわざとらしい咳払いをする。
「クライド様。少しはまわりへの配慮というものをお考えくださいませ」
「悪いな。アナイスを前にすると、どうしてもまわりが見えなくなってしまう」
そう言って、躊躇なくキスを続けるクライド。悪びれるつもりなど一切ないその様子に、言い返すことのできる強者などいるわけがない。
そのまま夜会の会場である王宮へ向かうと、一部とはいえすでにたくさんの貴族が集まっていた。
「お義姉様! お兄様!」
一際明るい声に振り返ると、駆け寄るステイシー様とにこやかに微笑むヴァレリー様が視界に入る。
「あら、二人とも早いのね」
「お父様が早くしろとうるさくて」
「宰相家たるもの、遅れを取ってはならぬなんて一体いつの時代の話なんだか」
呆れたように苦笑する妹たちを前にして、クライドも幾分頬を緩めている。
あれから、フィンドレイ家の女性陣とは手紙のやり取りをしたりお互いの家に招いてお茶会を開いたり、良好な関係を築いている。
そもそもクライドがステイシー様のために護衛をつけたことで、フィンドレイ家の女性陣の間ではクライドの株が面白いほど爆上がりしていたらしい。それからも会うたびにクライドは感謝され、賞賛され、尊敬の念を抱かれている。
一番感謝していたのはお義母様で、「クライド様がいなかったらステイシーはどうなっていたかわかりません」なんて未だに熱く語っている。
クライドが思っていたほど、お義父様以外の家族との関係は冷めたものではなかったのだ。一方的に距離を置いていたのはクライドだけだった、というのが最近になって徐々にわかってきたところ。
お義父様とクライドの関係はあまり変わっていないようだけど、それでも王宮での仕事の際は直接会ってやり取りすることが増えているらしい。
あんなにいがみ合っていた二人だもの。すぐに距離を縮めるのは難しいとは思うけど、少しずつでもお互いのことを理解できればいいと思っている。
「クライド! アナイス様!」
「フェリクスも早いな」
「さっきまで殿下にこき使われてたんだよ。俺だって夜会の準備があるのにさ」
「何かあったのか?」
「あー、ほら。例のエロ親父が」
「あいつか」
「そう。あいつだよ」
二人がため息交じりに私の方へと顔を向ける。
エロ親父ことバルテルス元公爵は、あの後も大人しく辺境の地で過ごしていたわけではなかった。
まず、マリオン・エルーラの名前で新たな小説を発表した。『ベッドサイド』なんていかにもなタイトルのその小説は、若くして夫を亡くした伯爵夫人に報われないながらも激しい恋心を募らせる中年の公爵家当主の物語だった。
そう。元公爵も、私と同じようなことをやろうとしたのだ。
設定と言い展開と言い、現実を彷彿とさせる内容にぞわぞわと鳥肌が立つのを我慢しながら読み終えたけど、私個人の感想としては悪くなかったと思う。マリオンお得意の悲恋がしっかりと描かれていたし、『中の人』はいくらエロ親父でもマリオン・エルーラの緻密な表現にはやっぱり唸るものがあるし。
ただ、これが信じられないほど、ウケなかった。
マリオン・エルーラの小説は、これまですべて女性が主人公だった。女性目線で切ない悲恋を数多く描いてきたのに、いきなり中年のおじさんを主人公にしたもんだからマリオンファンから総スカンを食らってしまったのだ(ついでに言うと、マリオンファンでない人たちからのウケはそれほど悪くなかったらしい)。
思ったように売れ行きが伸びなかったうえ、その小説が出てすぐフルロア・ヴィンスの『愛される資格などない』の九巻が出版されてしまった。当然、世の中的にはそちらの方が話題の中心になってしまい、ますます元公爵の新刊は売れなかった。
フェリクス様に「タイミングを合わせたのですか?」と聞いたら、「たまたまだよ」なんて笑ってたけど。
「あのエロ親父、この前出した小説が全然売れなくてイラついてんのか、今度はエドフェルト王家の暴露本を出そうと画策してるらしいんだよね。その情報をキャッチしたから、エドフェルトに情報を流して対応に追われてるわけ」
「暴露本? マリオンの名でか?」
「そうらしい。ほんと、節操がないと言うかなんというか」
困ったような顔でぶつぶつつぶやくフェリクス様を見ながら、どうやってその情報をキャッチしたのだろう、なんて思ってしまう。薄々思っていたけど、だいぶ侮れないのかもこの人。
「アナイス様も忙しいんじゃない? そろそろでしょ?」
「ああ、はい」
「前のが出てからちょっと時間が経ってるし、みんな待ち焦がれてるよ」
「まあ、ぼちぼちですかね。前のは急いで出しすぎたので、ちょっと手直ししながら進めてるんです」
私の小説、『やられてばかりは性に合わない』も現在後編を鋭意執筆中である。前編の加筆修正をしながら書き進めているから少し時間がかかっていたけど、もうすぐ出版に漕ぎつけそうなところまで来ている。
「まあ、エロ親父の方は心配することないからね。次のが出るのを楽しみにしてるよ」
コミュ力お化けが爽やかに立ち去ったあと、今度はその後ろから見慣れた顔が近づいてくる。
「アリシア!」
「アナイス! 久しぶり!」
駆け出しそうになるのを隣にいたジャレッドに咎められ、茶目っ気たっぷりの笑顔を見せながらクライドにも挨拶するアリシア。
「元気そうね。体調はどう?」
「全然なんともないわよ。世の中には悪阻で何も食べられなくなる人もいるって聞いたけど、ほんとになんともなかったの。それよりすぐお腹が空いちゃって」
瞳と同じ淡い紫色のエンパイアラインのドレスに身を包んだアリシアは、愛おしそうにその腹部に触れる。
「食べ過ぎないようにしなきゃいけないのがつらいのよ。お医者様にも食べ過ぎだって注意されちゃって」
「そうなの?」
「だって、なんだかご飯がすごくおいしいんだもの。でもまあ、それ以外は至って順調よ。この前も初めて赤ちゃんが動いたの」
「ほんとに!?」
「そうなの。でもね、ジャレッドが触ると途端に大人しくなっちゃうのよ。不思議でしょう?」
「だから俺、一度も動いてるのを感じたことないんだよ。嫌われてるのかな」
ジャレッドが本当に残念そうに肩を落とすから、私とアリシアは思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
「そういえば、レスリー様も似たようなことおっしゃってたかも。ヴァージル殿下が話しかけると、急に静かになっちゃうって」
「ほんとに? じゃあみんな同じなのかしら」
「どうなんだろう?」
ころころと楽しそうに笑うアリシア。と思ったら、急に顔を近づけて声を潜める。
「それより、後編はいつ出るのよ?」
「は? 今書いてる途中よ」
「この子が産まれる前に出してくれない? でないと私、続きが気になっちゃって安心して出産できないもの」
「わかったわかった」
一番のファンを豪語する妹は、「絶対だからね!」と念を押しながら天使の笑顔で遠ざかっていく。
気がつくと、隣に立っていたクライドが唐突に私の腰に手を回していた。
「ん? どうしたのですか?」
「いや……」
不自然に視線を泳がせて、それから観念したように口を開く。
「久しぶりだっただろう? 会うのが」
「ああ、アリシアですか?」
「まあ、アリシアもそうだがジャレッドもさ。久しぶりに会ったら、その、君の気持ちがまたジャレッドに戻ってしまうんじゃないかと……」
完全に挙動不審になるクライド。
「え、忘れてました。ジャレッドを好きだったこと」
「は?」
「そういえばそうだったって、今あなたに言われて思い出しました。ほんと、そういえばそうでしたね」
けろりと答えると、クライドは拍子抜けしような表情をする。
「不安だったのですか?」
「まあ、少しな」
「私、今まで何度も言いましたよね? あなたのことをお慕いしていますと。信じてなかったのですか?」
「そうじゃない。ただ以前の夜会のとき、久しぶりに会ったら気持ちを再確認してしまったと言っていただろう? 今日もそうなったらどうしようかと……」
「……ああ、確かに、そんなこと言いましたね」
まったく覚えてなかったという気まずさが頭をかすめる。そんな私を見て心からほっとしたのか、クライドはいつもの余裕を取り戻したらしい。
「まあ、君の気持ちがもし万が一ジャレッドに戻ってしまっても、俺がまた奪い返すけどね」
「は?」
「言っただろ? 何があっても君を諦める気はないし、逃がすつもりもないとね」
「そう、ですけど」
「君が俺のことを好きでいてくれる気持ちより、俺が君を好きな気持ちの方が何千倍も重いんだってこと、そろそろ自覚してくれないと」
「そんなことないと思いますよ。私だってあなたが思ってるよりずっとずっとあなたのことが好きですし、負ける気はしません」
「へえ。じゃあそれを証明できる?」
「証明? 私の方があなたを好きだってことを?」
「そう」
「え、証明ですか? どうやって? ていうか、あなたは証明できるんですか?」
「もちろん。でもいいのか? ここで証明しても」
「え」
なんだか非常に、悪い顔をしているクライド。これは相当やばいことを考えているに違いない。私への愛情表現に関しては、今や羞恥心の欠片もないクライドのことだ。公序良俗に反するような恥ずかしい行為すら考えているのかもしれない。まずい。
「アナイス」
「は、はい」
「今いかがわしいことを考えてただろ」
「え」
「俺のアナイスはいやらしくてほんとにかわいいな」
とんでもないセリフに真っ赤になって言い返そうとした私の耳元で。
甘く蕩けるような声が「愛してるよ、アナイス」なんてささやくから、さすがの私も言葉を呑み込んだ。
この人には一生勝てないかも、と思いながら。
これで完結です。
最後までおつきあいくださってありがとうございました。