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22 伏魔殿の父子

 執務室は異様なほど重い空気に満ちていた。



 執務机に向かっていたお義父様が無言で顔を上げる。クライドを一瞥したあと、初対面の私に対して無遠慮に値踏みするような視線を投げつける。




 うわ。こりゃこわい。




 玄関での和やかムードとはほど遠く、呼吸すら苦しく感じられるほどの圧迫感しかない。



「ようやく来たか」



 挨拶も満足にさせてくれない憎々しげな渋い声に、クライドが早速牙を剥いた。



「わざわざ呼びつけるとはどれほどの重要事項なのでしょう。できれば手短にお願いしたいのですがね」



 吐き捨てるような口調は、重量を伴って部屋の空気をどんどん重くしていく。



 そりが合わず、争いの絶えない険悪な関係の親子が睨み合う姿。あまり直視したくない。怖いし帰りたい。しかしそうもいかない(当たり前)。



「座りなさい」



 言われて仕方なく、二人そろってソファに座る。お義父様も執務机から離れて真正面のソファに移動した。



「何故ステイシーに護衛をつけた?」

「は?」



 唐突に、試合開始のゴングが鳴る。単刀直入が過ぎる。



「何を考えて護衛をつけたのかと聞いているんだ。両国の関係を考慮し、バルテルス公爵家の重要性を鑑みたうえで私は静観していたのだが」

「お言葉ですが宰相閣下。あなたはステイシーの身にどんな危険が迫っていたのかご存じないのですか?」

「ふん。知らないわけがないだろう。学園内部のことは逐一報告を受けている。しかし我が国の国益を考えれば、あそこで動くなど愚策中の愚策」

「知っていたのにまるで他人事のようにおっしゃるのですね。あなたは自分の娘よりも国を優先するのですか? 何かあってからでは遅いし、実際いつ何が起きてもおかしくない状況だったのですよ?」

「私は宰相だ。国を優先するのは当たり前のことだ」




 うわー。



 ああいえばこう言う、こう言えばああ言い返す。敵意と蔑視の応酬が止まらない。止まらないどころか、どんどんヒートアップしていく。



「本気で言っているのですか? ではステイシーがどんなひどい目に遭っても仕方がないと?」

「我がフィンドレイ家の娘であれば、降りかかる火の粉は自ら払い、事を荒立てることなく穏便にやり過ごすことができねばならない。違うか?」

「あんな傍若無人な相手に対して、穏便にやり過ごせるわけないでしょう? 隣国の公爵令息ですよ?」

「だからこそだ。たとえそれが他国の王族であっても、フィンドレイ家の娘であればそれができなければならないのだ」

「あなたの言っていることは無茶苦茶ですよ。それでよく宰相が務まりますね」

「お前は宰相という立場の重要性を理解していないからそんなことが言えるのだ。お前こそ、それで宰相補佐が続けられるとでも思っているのか」



 二人とも射るような視線でお互いを見据えたまま、ぴくりとも動かない。いわば膠着状態。



 長年積み重ね、拗らせてきた対立感情はそう簡単に解消するわけもなく。



 一触即発ともいえる二人の雰囲気にひりひりするような危うさを感じながらも、それでもなんだか、よくここまで言い合いが続くよなあなんてちょっと感心してしまう。




「あなただって、宰相である前にステイシーの父親でしょう? 国益を守ることと家族を守ることとが同等にできてこそ、秀でた宰相といえるのではないですか?」

「ふん。どちらかを優先するためにはどちらかを犠牲にせねばならないのが世の道理。そのような理想論を語るなど、片腹痛いわ」

「理想を語って何が悪いのです? 最初から何かを諦めること前提で事に当たるなど、俺に言わせたら怠惰の極みでしかない」

「怠惰? 理想のみを語り、現実を見ないことこそ怠惰では――」

「ぷっ」




 思わず場違いな笑い声が噴き出た。



 やばい、と思う暇もなく、二人の顔が同時に私の方へと向けられる。



 目が合ったお義父様は、この世の不機嫌さをすべて集めたような顰めっ面になっていた。



「君はなんだ」

「俺の妻のアナイスです」

「そんなことはわかっている。今のはなんだと聞いているんだ」



 刺々しさしかない声に気圧されて、私はやむを得ず、遠慮がちに口を開く。



「あ、すみません、お義父様。つい、おかしくて」

「おかしい? 何がだ」

「だって、お二人があまりにもよく似てらっしゃるもので」



 取り繕うように苦笑しながら答えると、二人とも怪訝な顔をする。その顔まで、ちょっと似ている。



「怒った表情も、立ち居振る舞いも、罵り方まで似てらして。なんというか、控えめに言ってもそっくりで」

「アナイス……」



 想定外に不本意なことを言われたクライドは、あからさまなショックと動揺を隠せないでいる。



 一方のお義父様は、クライドとは比べ物にならないほどの大きな衝撃を受けていた。呆然としたまましばらく私を見つめ、それから今度は黙ってクライドを凝視する。



 そして何故か、徐に立ち上がった。


 窓のそばまで行き、ゆっくりと外に広がる庭園に目を向ける。



「クライド。お前、いくつになった?」

「は? 24ですが」



 そんなことも知らないほど己の息子に無関心だったのかと言いたげな表情のクライドは、それでもお義父様の様子がどことなくおかしいことに気づいている。



「……20年か」

「何がですか」

「お前は自分の母親のことを覚えているか?」

「……いえ。あまり多くは……」

「だろうな」



 さっきまであんなに刺々しかった声が、何が起こったのか急に行き場を失ったように弱々しく響く。



「私がお前の母親と結婚するとき、実は父から反対されてな」

「……は?」

「ブレンダは伯爵家の出ではあったが、新興貴族だったがゆえに家格が釣り合わないと一蹴されたのだ。そのとき、今の私たちと同じように父と言い合いになってな」

「え?」

「真面目に言い争っている私たちの横で、ブレンダも私と父とを見て『そっくりですね』と言って笑ったのだ。しかも声を上げてな」



 その言葉に、私とクライドは思わず顔を見合わせる。



 窓の外に向けられたお義父様の目がどんな色をしているのかはわからない。でも私たちは、突然始まったその問わず語りに黙って耳を傾けるしかなかった。



「いきなり笑い出したブレンダに父は驚いたが、その豪胆な性格をいたく気に入ってな。最後には結婚を許してくれたのだ。しかし結婚して間もなく父が突然の病に倒れ、私は宰相の座を継ぐことになった。あまりの多忙さにお前のこともブレンダのことも気にかけている余裕などなかった。ブレンダが患った病に気づかないほどな。そしてブレンダを亡くし、ブレンダそっくりのお前が残った」

「……はい」

「幸せにすると誓っておきながら、忙しさにかまけて結局何もしてやれなかったことを私は悔いた。ブレンダそっくりのお前を見ると否が応でもブレンダを思い出し、愛しさと自責感に囚われて何もできない日々が続いた。お前を見るたびに、私はブレンダに責められている気さえした。そんな私を見かねて周囲が再婚を勧めたのだ。そして私は、ブレンダを失ったつらさや哀しさを遠ざけるためにお前をも遠ざけるようになった」



 はあ、というお義父様の大きなため息に、クライドははっきりと不愉快そうに眉根を寄せる。



「だからなんだと言うのです」

「……クライド」

「今更そんなことを言われても、そうだったのですかとしか思いませんね。まさか今になって、許してほしいなどとおっしゃるわけじゃないでしょう?」



 冷たく尖った言葉とは裏腹に、クライドの声は少し震えていた。お義父様は何も言わず、ただじっと窓の外を眺めている。





 重い沈黙が執務室を支配する中、私はお義父様の寂しげな背中に目を向けた。





「お義父様はお義母様を、ブレンダ様を愛してらっしゃったのですね」

「……そうだな」

「生前のブレンダ様に、お義父様を責める気持ちがあったとお思いですか?」

「……どうだろうな。あいつはいつも笑っていて、病気のこともずっと隠していたからな。本心がどうだったのかは……」

「私はブレンダ様にお会いしたことはありませんし、どんな方だったのかまったく存じ上げません。でもブレンダ様が残してくださったクライド様は、人の心の機微に聡い、優しい人です。そんな人の母たる方が病に伏し、幼い我が子を残して逝かなければならないとなったとき、最後に願ったのは残していく大事な人たちの幸せだったのではないですか?」



 お義父様は外に向けていた視線を私に向けたかと思うと、またすっと静かに逸らす。



 そして、



「すまない。一人にしてくれないか」




 憂いを帯びた哀しい声が、執務室の床に落ちた。






*****





 

 湯浴みを終えて夫婦の寝室に入ると、クライドがソファにもたれていた。何かの本を開いたまま、所在なげに宙を見つめている。



「お義父様のことですか?」

「あ? いや……」



 声をかけるとクライドは虚ろな表情のまま、開いていた本を閉じる。



「……あんな話、初めて聞いたからな。母のことも、俺のことも」



 戸惑いと混乱に縁取られた目線を下に向けて、クライドは顔を上げずに話し出す。



「母が亡くなってすぐに父上は再婚したから、二人の間に愛があったなんて思いもしなかった。いや、幼心にそう思い込もうとしたのかもしれないな。義母上が来てから、ますます父上に冷たく突き放されるようになったから」

「……そう」

「だから愛のない結婚の結果として生まれた俺は邪魔者で、父上に愛されることはないんだとずっと思ってきた。嫌われているとさえ、思っていたんだけどな」

「……クライド」



 目を伏せたままのクライドは、独り言のようにぽつりぽつりと続ける。



「俺は、何もわかっていなかったんだな。もしも今、アナイスを失ったら俺は正気でいられない。想像するだけで息ができなくなるほど苦しいのに、父上はどれほどのつらさや苦しさを味わったのかと思うと……。愛する人を失うということがどんなことなのか、俺はアナイスに出会うまで知らなかったから」



 絞り出すような低い声を聞きながら、私はクライドの硬く握りしめられた冷たい拳に触れてみた。クライドはためらいがちに大きく息を吐いて、それから顔を上げる。


 その目に、後悔の色が深く沈んでいた。私はたまらなくなって、そっとクライドの頬に手を伸ばす。



「知らなかったのなら、これから知っていけばいいじゃないですか。あなたとお義父様の関係が拗れてしまったのは、いわばボタンの掛け違いということでしょう? これから一つひとつ、その思い違いを正していけばいいのです」

「アナイス……」

「すぐにはわかりあえなくても、歩み寄ることはできるでしょう? そうやって少しずつ、またやり直していけばいいのです。あんなに最悪な出会い方をした私とあなたが、今こうして愛し合えているのですから」



 得意げに笑ってみせると、クライドもふっと小さく笑う。



「そうだな」



 そう言ったクライドは、自分の頬に触れていた私の手を取って手のひらに口づけた。



 そのまま切なげに目を閉じて、私の唇にキスを落とした。










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