21 公爵家のその後
「アナイス様、いらっしゃい」
フェリクス様の執務室に入ると、いつも以上ににこやかな表情のフェリクス様と私と同じように呼び出されたクライドがすでにソファでくつろいでいた。
「いろいろと忙しいときにすまないね」
「いえ、今はまだそれほど忙しいというわけではないので」
「でも後編を書き始めてるんだろう?」
「そうですね。ぼちぼちと」
言いながらソファに近づくと、さも当然というようにクライドの手が伸びてきて私を引き寄せた。
「会いたかったよ。アナイス」
「毎日会ってるじゃないですか」
「何言ってるんだ。俺は四六時中君と一緒にいたいのに」
「もう。クライドったら」
「ちょっと! 俺の前だからってわざといちゃいちゃしてるよね! いい加減やめてくれる!?」
呆れたように大声を出すフェリクス様を無視してクライドは私を隣に座らせ、いつものように腰の辺りに手を回す。人前だろうがなんだろうが、この密着状態が常態化している今日この頃。
「で? わざわざ俺たちを呼びつけた理由はなんだ? あっち側に動きがあったのか?」
「そうだよ。一応、今回の事態の決着がついたと思うからね。ヴァージル殿下からも君たちには話していいとの許可が出たから」
今回、フェリクス様は外交を担うヴィンセント侯爵家という立場上、バルテルス公爵家とエドフェルト王国の動きを監視する役割を担ってくれていた。
今回の小説を書き上げる際、一番の懸念材料はエドフェルト王国の反応だった。もしバルテルス公爵家が名誉毀損だの何だの言ってきたとしても、知らぬ存ぜぬを押し通せばなんとかなる勝算はある。でもエドフェルト王国から正式な抗議があったり国同士の問題に発展したりしたら、非常にまずい。
だからその辺の情報収集や情勢操作も視野に入れていたのだけど。
「結果として、俺の出番はほとんどなかったんだよね」
「そうだったのですか?」
「まあね。マウノが留学を取りやめて、急遽エドフェルトに帰国したのは聞いた?」
「はい。つい数日前のことだと聞きました」
「今回の件、実はエドフェルトでも内々では結構な問題になったみたいでね。というか、そもそもバルテルス元公爵は素行の悪さから長いこと問題視されていたんだよ」
フェリクス様が早速説明を始めたと思ったら、唐突にクライドが怪訝な顔をする。
「おい。『元公爵』ってなんだよ」
「ああ、爵位を長男に譲ったんだよ。というか、エドフェルト王に譲渡を言い渡されたんだ」
「え」
「まじですか」
「うん。あのエロ王弟はね、現エドフェルト王の末弟なんだけど、末っ子だったせいか甘やかされて育ったらしくてね。そのうえ王族ってことで容姿の良さもずば抜けていて、あちこちで悪さしまくるわ女性問題で大騒ぎになるわで王室も手を焼いていたんだ」
「マウノ様と同じじゃないですか」
「いやマウノ以上だろ」
「そう。それで、早々にバルテルス公爵家に婿入りさせたんだよ。でも態度を改めることはなかったらしいね。まあ、婿入りしてからは女性問題のほかに大きな問題を起こすことはなかったから、王室も注視しながら放置していたんだろうけどさ」
「いや女性問題も十分ダメでしょ」
「まあね。で、今回の一件なわけだ。エドフェルトでもサエルの小説は読まれているけど、向こうの国民はまさかこれが自国の公爵家の話だとは思ってないんだ。でも王室に近い貴族家のほとんどはすぐに気づいたよね。これまでがこれまでだし、マウノ自身も向こうでは散々やらかしてたみたいだし」
「やっぱり」
「しょうもないやつだな」
「小説に書かれていることが事実かどうかの問題ではなく、書かれるだけの根拠となる言動が以前から認められていたということを改めて重く受け止めたということらしい。この醜聞はエドフェルトの貴族全体の名誉を著しく傷つけかねず、もはや看過できないとしてエドフェルト王は爵位の譲渡を命じたんだよ」
あのエロ親父、ほんとどうしようもないクズだったのね。息子ともどもね。
エドフェルト王の英断を考えると、兄弟のはずなのにこの差は何? と思ってしまう。でももしかしたら、王室の方は元公爵の断罪の機会を注意深くうかがいながら、手ぐすねを引いて待っていたのかもしれない。
元公爵は、その緻密で抜け目のない網にまんまと引っかかってしまったというわけだ。
「現公爵は夫人との間に生まれた正当な後継者だし、元公爵を反面教師にして生きてきたせいか品行方正で正義感の強い人物でね。爵位を継いですぐ、元公爵と愛人たちを公爵家が所有する辺境の地に追いやったんだよ。事実上の追放だね」
「元公爵の子どもたちはどうしたんだ?」
「まともなやつもいれば、マウノみたいなどうしようもないやつもいたけど、まあ適材適所ってとこかな。公爵家の令嬢令息として恥ずかしくないと認められた者はそのまま公爵家の人間として扱い、マウノとその弟とか、始末に負えないやつらは元公爵たちと同じ辺境の地に行くか、公爵家と縁を切って平民として生きていくか、どちらかを選択させたらしいよ」
「ちなみに全員辺境の地に行ったらしいけどね」と付け加えながら、フェリクス様は優雅な仕草でティーカップを口元に運ぶ。
バルテルス現公爵の鮮やかすぎる手腕に感心していると、ティーカップをソーサーに戻したフェリクス様が少し浮かない顔つきになった。
「ただね、元公爵、全然諦めてないらしいんだよね」
「何をですか?」
「サエルのことだよ。自分がそこまでの憂き目に遭ったってのに、それをやってのけたサエルに対して更なる劣情を募らせちゃったみたいで」
「え」
「サエルの小説が出てすぐ、元公爵は名誉毀損だと大々的に訴えたうえで、これを口実にサエルを手に入れようと画策していたらしいんだよね。でもあれこれ策を練っている間に、エドフェルト王の堪忍袋の緒の方が先に切れちゃったんだよね」
「元公爵が今後何かしでかす可能性はないのか?」
「まあ、あの親父が持っていた権力も財力もほぼ奪われたと言っていいからね。辺境の地は王都からも遠いし、何もない辺鄙な場所らしいし。直接的な害を及ぼすことはほとんど不可能だと思うけど、でもほら、あの人も一応作家だろ?」
「あ」
「そうでしたね」
「サエルがやったことと同じように、マリオン・エルーラとして何かしらの小説を書くことで世に訴え出ないとも限らない。まあ、そのあたりはエドフェルトの方でもきっちりと監視するつもりらしいよ。王室に恨みを抱いて、王室や他の貴族たちの不利益になるような小説を書かれたりしたら困るからね。もちろん、そのための協力は惜しまないとヴァージル殿下も話していたけど」
「あれ、じゃあ、殿下はご存じなのですか? 私がサエルだってことを」
「いや、そこはね、まあ薄々は気づいてるんだと思うけど、『知ってしまうとレスリーに言いたくなるから俺には教えるな』なんて言っててさ」
奥様想いの王太子殿下を思い出して、ちょっとほっこりしてしまう。
いつか、レスリー様にも本当のことを言えたらいいなと思う。きっとそのときは、これ以上ないと言うくらいの羨望の眼差しと信じられないほどの賞賛の言葉にさらされると思うんだけど。それから、「どうしてもっと早く教えてくれなかったの!!」っていう恨みつらみとか。……覚悟しておこう。
*****
それから数日後。
今度はどういうわけか、フィンドレイ公爵家本邸に招かれることになった。
クライドは実家から手紙が届いたとき、不快感と嫌悪感からだいぶ派手に抵抗していた。それこそ子どもが駄々をこねるみたいに。でもイアンやサマンサ、シーラにまで説得されることになり、最終的には不本意ながらも承知した。
私たちの結婚式に、フィンドレイ公爵家の方々はどなたも参列していない。ステイシー様には何度も会う機会があったけど、それ以外の方々とは初めての対面である。緊張しないわけがない。
でも超絶不機嫌なクライドをなだめるのが大変で、馬車の中では緊張してる暇もなかった。
「用があるならそっちから出向いてくるべきだろ」
「でも、来たら来たで追い返すのでは?」
「当たり前だ。どうせなら王宮にいる間にさっさと用件だけ言いに来ればいいものを」
「あら。でも筆跡はお義母様のものだと聞きましたけど」
「そんなの、宰相閣下が書かせたに決まってるだろ」
「ほらまた。『宰相閣下』はやめた方がって言ってるのに。せめて『父上』でしょ」
「あんなの父親でもなんでもない」
一事が万事この調子。イアンとサマンサからも、
「クライド様に輪をかけて、ダグラス様も気難しいお方です。今回どういった用件でお呼びになったのかわかりませんが、親子で親しく会話を楽しむなんてことは期待なさらない方がいいかと」
「クライド様はともかく、奥様がひどいことを言われないか心配です。ダグラス様はこの結婚をお認めになっていないので」
散々な脅されようである。
だいたい、お義父様がこの結婚を認めてないなんて知らなかった。クライドが勝手に決めて勝手に進めたことを、快く思っていないのは仕方ないとしても。
でもここまで来て引き離そうなんて鬼畜な真似しやがったら、絶対にまた小説に書いてやる。なんてどす黒い怨念を胸に公爵家本邸に到着すると、見覚えのある令嬢が玄関で待っていた。
「お義姉様! お兄様!」
すべての憂いが払拭され、晴れ晴れとした笑顔を見せるステイシー様だった。
「ようこそいらっしゃいました」
「ステイシー様、元気にしてました?」
「はい。ユーリも療養を終えて学園に戻ってきましたし、私たちの婚約も決まりそうなんです」
「あら! それはよかったわ。ね、クライド」
むすりとして一言もしゃべらない不機嫌な夫は、「まあ、うん」なんてぼそりとつぶやく。
「お兄様。その節は私に護衛までつけてくださって、ありがとうございました。お礼を言うのがこんなに遅くなってしまってごめんなさい。でもユーリがいないのもあって心細い思いをしていましたけど、護衛の皆様のおかげで安心して学園に通えました」
「あ、まあ、何事もなくてよかったな」
「はい」
学園で『麗しの才媛』と名高いステイシー様が、ふんわりと人懐っこい笑顔を見せる。
まさか直接お礼を言われると思ってなかったのか、仏頂面のクライドはあたふたと視線を泳がせた。
「お母様もヴァレリー姉様も、お会いできるのをとても楽しみにしていたんです。でも、お父様がまずは執務室に来るようにとおっしゃっていて」
「え。お義父様、いるの?」
「はい」
おずおずと心配そうなステイシー様の言葉で、クライドの目にはあからさまな憎悪の炎が宿る。
うわ。これはやばそう。どうなるんだろ。
不安と恐怖を胸に、いよいよ伏魔殿(?)突入である。
明日は二話更新して完結予定です。
よろしくお願いします。