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20 アナイスの戦い方

 それから急いで帰ってくると、私はまずシーラに指示を出した。



「すぐにロランに連絡して。今日から一週間、いえ五日の間に新作の前編を書き上げるから、できるだけ早く出版できるよう準備しておいてと」

「五日ですか? 間に合います?」

「大丈夫。中身はもう頭の中にあるから。それからクライド」

「なんだ?」

「ステイシー様と、ユーリ・カーライル侯爵令息に会えるよう手配してくれますか? できれば二人一緒に、そして今日明日中に」

「え、俺?」

「妹でしょ? 連絡くらい取れますよね?」

「ああ、まあ」



 渋々といった様子で曖昧な返事をするクライドは、それでも意を決したように私に背を向け執務室に向かう。


 と思ったら、いきなり振り向いた。



「本当にいいのか? 君の正体がバレることになるのに」



 私の企みについて説明したとき、クライドが真っ先に心配したのはそれだった。


 でもこれは、むしろ必要不可欠で避けては通れないこと。そのことはすでに何度か話し合ったというのに、やっぱり納得しきれないのだろう。


 どこまでいっても私のことを真っ先に考えてくれる優しさに、ため息が漏れる。



「いいのよ。あなたの家族は私の家族だもの」

「アナイス……」



 近づいてきたクライドの目に愛しさが溢れている。ごくごく自然な動きで私の頬にクライドが手を当てた瞬間、後ろで聞こえる咳払い。



「アナイス様。時間がないのでは?」




 そうでしたそうでした。




 私たちはそそくさと離れて、それぞれの役割を全うすべく目配せを交わした。






*****






 ステイシー様とユーリ様に事情を話すと、二人とも私の正体を知って心底驚いていた。


 特にステイシー様は読書が趣味だったらしく、しかもレスリー様同様サエルファン(完全にガチ勢)だったから驚きである。


 ちなみにマージョリー様も読書家で、趣味が合うことから仲良くなったらしい(マージョリー様の読書好きは多分レスリー様の影響っぽい)。




 すべての段取りを終えた私は、一階の書庫にこもってひたすら書き続けた。食事を書庫に運んでもらうのはもちろん、夜も寝室に向かう時間が惜しくてペンを握り続けるという徹底ぶり。でも気を失うように寝落ちしたあとは、目覚めると何故かいつも寝室のベッドの上にいたからクライドが運んでくれていたんだと思う。



 イアンとサマンサには、クライドが説明してくれたらしい。二人はそういった方面にはあまり詳しくなかったようだけど、私の体調だけをとにかく心配していたようだ(書いてる間は会ってないので、あとから聞いた話だが)。




 そうして、私は宣言通り五日目の朝に新作を書き上げ、すぐシーラに頼んでロランの出版社に持って行ってもらった。



 そこから、ロランは最速でこの小説が世に出るよう駆け回ってくれたらしい。ちょうどロランの出版社が定期的に発行している大衆紙があって、そこにタイミングよく滑り込ませてくれることになった。ロランにはおおよそのことは説明したけど、今学園で何が起きているのかについてどういうわけか聞き及んでいたようで「面白いことになるぞ」とほくそ笑んでいたらしい。




 もちろん、その間もステイシー様の身辺警護は怠らなかった。小説が世に出るまで、いやきっと出たあともステイシー様の身にはどんな危険が及ぶかわからない。静観を決め込んで何もしてくれないお義父様に代わって、クライドは「妹のために」と少数ながらも精鋭ぞろいの護衛を雇ってくれた。ステイシー様はこれでだいぶ安堵したようで、このところずっと暗かった表情に明るさが戻り始めたとマージョリー様も報告してくれた。




 そうして、関係者全員が水面下でそれぞれの役割を全うし続けて数週間。




 私の新作『やられてばかりは性に合わない』がいよいよ世に出ることになる。






*****






「もちろんもう読んだわよね?」



 久しぶりに王宮のレスリー様から呼び出されたその日。



 このところの固定メンバーを前に、レスリー様はうれしさを爆発させていた。



「もちろんですよ。サエルの新作ですよね?」

「そう! やっと出たのよ! しかもあの話、そのままステイシーたちの話じゃないの!」



 興奮を抑えきれず、またしても身もだえしながらきゃーきゃー叫び続けるレスリー様。



 そして、高貴な姉君と同じような表情で「だよねだよね!」とはしゃぐマージョリー様と、微妙な愛想笑いでやり過ごそうとするステイシー様。




 私がサエル・アレステルだということは、レスリー様やマージョリー様には話していない。というか、話したのはステイシー様とユーリ様にだけ。


 横暴なバルテルス公爵家を遣り込めるべく、ステイシー様をモデルにした物語を書くためには二人の許可が必要だと思ったからだ。ステイシー様とユーリ様はその意図をしっかりと理解しながらも、私の正体については秘密を守ることを自ら約束してくれていた。




「まあ、細かい設定はいろいろ違いますけどね」

「そうね。でも読む人が読めば、これがステイシーとユーリの話だということは一目瞭然じゃないの。前半は二人の出会いと切磋琢磨しながらお互いに恋心を持つようになるまでのじれじれもだもだ展開、後半は想いが通じたあとの悪役令息の登場、これがステイシーの話じゃなくて何だと言うの?」

「サエル・アレステルは、学園で起こっていることを知っていたのでしょうか? だからわざと、それを彷彿とさせる小説を書いたのかな」

「あなたのところに、サエルから連絡とかはなかったの? ステイシー」

「あ、ああ、そうですね。理由はわかりませんが、お兄様を通して打診があったようです。私は直接お話を伺っていないのですが」

「お兄様? 何故クライドを通して?」

「わかりません。お兄様もわからないと言っていました。でも宰相補佐という立場なので、コンタクトを取りやすかったのではないかと」



 ちなみに、この辺の前後関係についても「ということにしておこう」という口裏合わせができている。



「決して迷惑はかけないので、というお話だったようです。私としては、サエルが私のことをモデルにして小説を書いてくれるのなら光栄です、と二つ返事でお答えしました」

「そうよねそうよね。私も自分をモデルにした話を書きたいなんてサエルに言われたら、感激のあまり卒倒しちゃうわ」

「それで、学園の生徒たちの反応はどうなのですか?」



 果てしなく昂り続けるレスリー様の高揚感に水を差さないよう、さりげなく今日一番聞きたかったことをマージョリー様に尋ねてみる。



「そうですね、学園では多くの人がステイシーとユーリ様のことを知っていますし、そこにマウノ様が横槍を入れていたのも知らない人はいないくらいでした。マウノ様は人目を憚らずステイシーを追いかけ回していましたし、あからさまにユーリ様のことを敵視して、時には実力行使に及ぶくらい邪険に扱っていましたし。でもマウノ様のお立場を考えると、誰も真正面から抗議したり苦言を呈したりすることはできなかったんです」

「それはそうですよね」

「はい。そういう、悔しさとか無力感、屈辱感のようなものは、ほとんどの人が少なからず抱いていたと思います。今回のサエルの小説が出版されたとき、学園の中で起こっていたことがまるで見ていたかのように事細かに描かれていて、みんな一様に驚いたんです。すべてが事実ではないとしても、たくさんの人が目撃していたマウノ様の蛮行がああやって文字になって書かれると、改めてその非道さや深刻さを痛感した人が多かったようで。あの誘拐未遂事件のところも、細かい部分は事実とだいぶ違いますけどみんなはそれを知らないので、ステイシーがこんなにひどい目に遭っていたんだとショックだったようです」

「あー、そうよね。あそこ、もう未遂というよりほぼ誘拐されちゃってるものね」

「連れ去られる途中で奪還されますけどね」

「奪還したのはユーリ様じゃないけど、ユーリ様をモデルにした令息が活躍した筋書になっているので必然的にユーリ様の株も爆上がり中です。そして当然のように、マウノ様に対しては学園全体が冷ややかな視線を向けるようになりました。心なしか、先生たちもマウノ様に遠慮しなくなったように思えます」

「先生たちまで?」

「はい。さすがに、犯罪まがいのことをしていたマウノ様をこれ以上野放しにはできないと思われた先生方も多いようで。とにかくこれまでは、みんながみんなまるで腫れ物に触るかのようにマウノ様に遠慮して、気を遣いながら過ごしていたんです。今はその反動で、マウノ様を相手にする人は誰一人としていません。マウノ様が話しかけてもみんな一定の距離を置いて、他所他所しく対応するのでマウノ様が癇癪を起こして激昂することも増えました。マウノ様の取り巻きの方々がそのとばっちりを受けていますが、それでもみんな相手にしませんね」

「マウノ様、だいぶ孤立した状況なのね」

「はい」

「それは学園内部の話に留まらないでしょう? 王宮でも、学園に通う令嬢令息のいる者を中心に至るところでサエルの新作は話題らしいわよ。バルテルス公爵令息だけでなく、公爵家そのものへの不満や苛立ちの声をよく聞くようになったと、ヴァージル殿下もおっしゃっていたもの」

「そうそう。サエルの小説だと、マウノ様だけじゃなくてバルテルス公爵もかなり腹黒な人物として描かれてるもんね」

「でも、バルテルス公爵家やエドフェルト王国から名誉毀損だと抗議されることはないのでしょうか? 場合によっては国際問題にもなりかねないと思うのですが」

「そこがサエルのうまいところよね。これがバルテルス公爵家のことだとはもちろん一言も書いてないし、匂わすような描写もないでしょう? 向こうが抗議して来たら、逆に心当たりがあるのかと痛くもない腹を探られることになるから何も言えないんじゃないかしら」



 三人があれこれと談議に花を咲かせている中で、私は内心、ニヤついてしまうのを抑えられなかった。





 そう。私が狙っていたのはこれだ。



 法で裁くことはもちろん、公には誰も手出しができず処断できない相手を遣り込める方法。それは「世論を味方につけること」。


 世の人々に公爵家の鬼畜の所業を次々と暴露して、その是非を問うこと。そして「これは横暴だ」「許せない」「このままではいけない」という正しい正義感を発揮してもらうこと。



 そのために、前・後編にしたのだ。前編の前半は、レスリー様が言ったようにじれじれもだもだ展開だけど、後半はマウノ様をモデルにした悪役令息が出てきて暴虐の限りを尽くす。尽くしまくる。


 そして前編の最後にはバルテルス公爵をモデルにした腹黒公爵を登場させ、主人公はこれ以上ないというくらいのピンチに陥る。



 ここで前編が終わると、読者は窮地に追い込まれた主人公に共感するあまり、公爵家への怒りや反感、苛立ちを増幅させることになる。学園に通う年若い生徒たちも、これまでずっと我慢してきた不満や非難といった感情に加えて「もう見過ごしてはいけない」という良心を取り戻し、それをさまざまな形で表出することになる。




 自分の立場や権力といったものを振りかざし、乱暴狼藉を繰り返してステイシー様を力ずくで奪おうとするマウノ様と、サエル・アレステルに倒錯的な執着を抱いて私とクライドを引き離そうとするバルテルス公爵。




 私の大事な人たちを害そうとするものを、私は私のやり方で屈服させたかった。「ペンは剣よりも強し」ということを、自分の手で証明したかったのだ。




 その強い気持ちと勢いだけで書き上げた小説の前編が世に出回るようになって半月後、事態は急変する。









ブックマークや評価など、いつもありがとうございます。残り三話で完結です。

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