2 アナイスの事情
私には、双子の妹がいる。
アリシア・クレヴァリー。
明るい胡桃色の髪に藤色の瞳。明るく、人懐っこく、他人を押しのけようとする邪気など欠片もない。いつも穏やかでにこにことしていて、その小さな唇が人を悪く言うこともない。
まさに「天使のような」という形容詞が似合う、大事な妹。
一方の私はといえば、禍々しささえ漂う長い黒髪に青灰色の瞳。ぱっとしない、地味な見た目に似つかわしくないほど口が悪い。非常に悪い。「毒舌」という言葉が大人しく聞こえるくらい、勝ち気で、向こう見ずで、人を遣り込めることに何の躊躇もない。
見た目も性格も、天と地ほどに違う私たちだったけど、何故だかとても気が合った。何をするにも一緒だったし、仲良し姉妹だとまわりもみんな目を細めていた。
両親もそんな私たちに分け隔てなく愛情を注いでくれた。差別されているとか、妹の方が大事にされているとか、そんなことは一切ない。
世間で流行りの設定は、残念ながら現実ではそう簡単にお目にかかれなかったりする。
そんな私たちには、幼馴染がいた。
両親同士の仲が良く、家族ぐるみのつきあいの長いセルヴィッジ伯爵家には息子が二人いた。
私たちと同い年の男の子と、少し年の離れた兄。
兄のデリックは10歳近く年が離れていて、すでに伯爵家の跡取りとしての自覚があったのか子どもの私からしたらだいぶ大人びた少年だった。気づいたときにはすでに王立学園に入学していて、直接顔を合わせることもあまりなかったように思う。
そうなると自然に、同い年のジャレッドとアリシアと私、三人で遊ぶことが多くなる。
ジャレッドは明るい金髪の巻き毛に深い碧色の瞳をしていて、優しい男の子だった。怒ったところは見たことがないし、常に笑顔を絶やさない。穏やかな空気を纏い、まわりを和ませる癒しの存在。
私が話しかけると、いつもうれしさを隠そうともせず眩しい笑顔を見せてくれる。
だから、気づいたときには好きになっていた。
でも同時に、ジャレッドが見ているのはアリシアだということにも、気づいてしまった。
自分が恋をしたと気づいた瞬間に、私は失恋してしまったのだ。悲しいことに。
それでも初めの頃は、アリシアはジャレッドのことをなんとも思ってなさそうだったし、そういう目で見ている様子もなかった。私の方も、間近でジャレッドを見ていられればそれでよかった。
ジャレッドの気持ちを考えたら、自分の気持ちを伝えることはできない。でも近くにいられるだけでドキドキしてときめいて、もしかしたらいつかジャレッドが私の方を見てくれるかもしれない、なんて淡い期待もあった。
そんな期待は、無情にも早々に打ち砕かれる。
学園に入学する頃には、アリシアもジャレッドに対して恋心を持つようになっていた。双子だからなのか仲が良すぎたせいなのか、私にはアリシアの気持ちの変化が手に取るようにわかってしまった。それはもう、残酷なほどに。
穏やかで似た気性の二人が惹かれ合うのは、むしろ当然の成り行きだったのだ。
そうして二人が想いを通わせたとき、律儀にもそれをわざわざ報告に来たのだからたまらない。
胸の奥を鋭利な何かでえぐられるようなあのときの痛みを忘れることができたら、どんなに楽だろうと今でも思う。
いつかこんな日が来るんじゃないかと恐れていたことが現実になった瞬間の絶望を、忘れることができたら。
心の裏側の葛藤に気づかれないよう細心の注意を払いながら、私はめいいっぱいの笑顔で二人を祝福した。でも胸の奥では、心臓からとめどなく血が流れているような気さえした。
それからは、幸せそうな二人を一番近くで見続けることになる。
その惨めで哀れな日々の中で、抱えきれなくなった苦しさや葛藤、痛みややるせなさを、私は文章を書くことで昇華するようになった。
もともと本を読むことが大好きで、小さな頃から文字に慣れ親しんできた私にとって、心の奥の悲痛な叫びを言葉にすることはまったく苦にならなかった。むしろ、それを言葉や文章として表現することにある意味救いを見出していた。
はじめは単なる日記のようにただ漫然と書き連ねていたものが、そのうち描写が細かくなり、感情表現にこだわるようになり、そうした感情を抱く人物設定を考え、その人物たちが紡ぎ出すストーリーを描くようになった。
そして学園を卒業する直前、一本の小説を書き上げて、いきなり出版社に送り付けてみたのだ。
今考えれば果てしなく無謀な挑戦ではあったのだけど、それが幸運にも一人の編集者の目に留まる。その編集者に「もう一本書いてみないか」と言われ、思いつくまま勢いのままに書いた二作目の小説が予想外に大当たりする。
それは、王族に婚約破棄された公爵令嬢が奮起して立ち上がり、自分の力で幸せを掴み取るというありがちで王道なストーリー展開だったのだけど、思った以上に売れた。人気作家が書評で絶賛してくれたおかげもあって、売れに売れた。
そのまま私は、作家として活動することになってしまったのだから驚きである。
ただ、一応身バレしてはいけないので、「サエル・アレステル」というペンネームを使っている。
ちなみに、私の作家活動に関しては家族みんなが知っている。ジャレッドも知っているし、ジャレッドの家族も知っているし、当然みんなが応援してくれている。
だったら身バレを警戒しなくてもいいのでは、とも思ったのだが、世の中何が起こるかわからない。それに当時はまだ学園を卒業したばかりの若い小娘だったから、担当編集者の提案で念のためそうしようということになったのだ。
そういうわけで、クレヴァリー伯爵家には「サエル・アレステル」の本がすべて置いてある。
ただ私の得意ジャンルはゴリゴリの恋愛小説だし、まあまあ溺愛系というかいちゃいちゃする描写が多いから、本当は家族に読まれるのはわりと恥ずかしいのだけど。アリシアはともかく(あの子は気に入った表現や展開についてはわざわざ書き出して絶賛してくれるくらいには私のファンである)、新刊を読み終わったあとの両親の生温かい目線だけは、ほんと勘弁してほしい。
デビュー後、作家活動に没頭する私は社交界に出ることもなく、ほとんどひきこもり生活を送っていた。
アリシアとジャレッドの交際は順調のようだったけど、何故かなかなか婚約に至らなかった。そういう話は当然当初からあったのだけど、アリシアがいつも「もう少し待って」と言っていたから。
多分、アリシアは私の気持ちに気づいていたんだろうと思う。
私がアリシアの気持ちに気づいたように、アリシアもきっと気づいたのだろう。
そんなアリシアの遠慮する気持ちが苛立たしくもあり切なくもあり、その曖昧で宙ぶらりんの状態は傷だらけの私を長く縛りつけることになった。
そうして、いよいよアリシアとジャレッドとの婚約が正式に決まりそうという段階になって、突然フィンドレイ公爵家から婚約の打診があったのだ。
しかもそのとき、あろうことか婚約を申し込む相手の名前がしっかりと書かれていなかった。
「クレヴァリー伯爵家の令嬢」としか書かれていなかったところを見ると、うちには令嬢が一人しかいないと思っていたらしい。
無理もない。社交界に顔を出していてみんなに人気があったアリシアと違って、私は学園を卒業したあと家に引っ込み、執筆活動に専念してたんだもの。
娘が一人しかいないと思われても、まあしょうがない。
突然届いた家格が上の公爵家からの縁談話に、両親はひどく狼狽えた。
そしてこの縁談は、恐らくアリシアに対してのものだとみんなが薄ら(というか確実に)気づいていた。
せっかく愛するジャレッドと婚約できるという段階になって、これはない。
だから、私が行くと言ったのだ。
幸運にもというか残念ながらというか、相手は私の存在を恐らく認識していない。
アリシアの婚約はもう決まってるも同然だし、うちに令嬢が二人いることに気づかないのは向こうの落ち度と言っていい。それを逆手に取ろうと。
両親は反対した。もちろんアリシアも。
皮肉なことに、ジャレッドも反対した。
だからこそ、私は決意したのだ。
ここにいて、大事な妹と大好きな彼が幸せに暮らす様子をいつまでも一番近くで見続けるのはさすがにつらい。
そしてもう、疲れた。
だから離れたかった。
この家から離れて、何も知らない、何の関係もない人のところで静かに過ごしてみたかった。
それがどんなにつらい結婚生活でも、どんなに蔑ろにされたとしても、ここにいるよりはきっとマシだと強く思った。
だけど、まさか初日で夫となった男とだいぶ激しいバトルを繰り広げることになるとは、いくらなんでも思っていなかった。
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