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「君を愛することはない」から始まるまさかの溺愛結婚生活  作者: 桜 祈理


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18/23

18 悲恋の女王

 即座に言い放つと、公爵は無遠慮なまでの大声でどっと笑い出した。



「一瞬でも考える素振りを見せないとはね」

「初対面でいきなり妻になれと言われても、ふざけているとしか思えませんが」

「まあまあ、そう目くじらを立てないでくれよ」



 楽しげな雰囲気を崩さない公爵は、人を小馬鹿にしたように目配せをする。



 さっきまで上品だとか好感が持てるだとか呑気に考えていた自分をちょっとぶん殴りたい。




「私が『悲恋の女王』として長年もてはやされてきた理由がわかるかい?」

「……いえ」

「人の人生においてはね、悲恋の要素というのは必要不可欠な娯楽なんだよ。だからこそ、世の人々は私の書く小説にのめり込む。そうした人々の期待に応えようと、私は心を揺さぶるような悲恋を数多く描いてきたつもりなんだが」

「……はあ」

「ところが、君の作品と来たらどうだ。悲恋になりそうな文脈があっても、それを押しのけて快活に突き進む力強さがある。それは世の人々を癒し、和ませ、そして時には明日へと向かう活力にもなる。私にとっては信念でもあった悲恋の要素とは真逆の方向性に、不覚にも一瞬で魅了されてしまったんだよ。それからは君の新刊が出るたびに読みふけり、その類まれなる才能に尊敬の念を抱き、サエル・アレステルとはどんな女性なのかをあれこれ想像して想いを募らせてきた。サエルを最も深く理解し愛するこの私が、君を手元に置きたいと恋願うのは自然なことだと思うがね」



 想定外に熱い視線で私をじっと見つめながら、恍惚とした表情を浮かべる公爵。




 うーん。なんだろう、このそこはかとない気色悪さは。


 私の作品を褒めてくれるのはうれしいんだけど、でもちょっと、何かが違うような。




 どうにも腑に落ちない違和感が、頭の中を支配する。




「公爵が恋願われているのは、あくまでもサエル・アレステルであって私自身ではありませんよね?」



 その違和感をなんとか言葉にしてみると、公爵はすぐさま怪訝な顔をした。



「ん? どういう意味だね?」

「あなたは私の書いた小説から勝手にサエル・アレステルという作家のイメージを作り上げ、想像を膨らませ、幻想を抱いているに過ぎないと思うのです。そして、その幻想を一方的に崇拝しているだけではないかと」

「面白いことを言うね。確かに、会ったのは今日が初めてだし初対面でこんなことを言われて戸惑うかもしれない。しかし私はサエル・アレステルという作家を熟知し、心酔し、こんなにも愛しているのだよ。君がサエル・アレステルだと言うのなら、私が愛をささやくべき相手は君ということになるだろう?」



 いえ、違います。と即座に言いたいくらいだった。



 代わりにはっきりと眉を顰めて、ただただうっとりとした目をして私を眺める公爵の顔を鋭く見つめる。



「そうでしょうか? サエルの作品は単なる作品であって、私という人間の一部でしかありません。公爵の中にあるサエル像も、完全に公爵自身の想像によるもの。むしろあなたは私自身のことを何もご存じないはずです。何も知らないくせに、勝手な幻想を押しつけて愛だのなんだの言われても困ります」

「いやいや、実際の君は私の想像をはるかに超えていたよ。一目見ただけで君の知性と美しさに私は心奪われた。そしてますます、君がほしくてたまらなくなったよ」




 え、なんかもう完璧にきもい。鳥肌立ちそう(いやもう立ってる)。



 なんで今日会ったばかりのくせに、愛だの恋だの心奪われただの、挙句の果てにはほしくてたまらないだの平気で言えるわけ? 理解できない。



 公爵が見ているのは、「私」であって「私」ではない。彼は私の作品を通して、私という人間を妄想しているだけだというのに。




 どこまでいっても言葉が通じないようなもどかしさに、私はじりじりとした苛立ちを募らせていく。



「何を言われようと、あなたがどれだけサエル・アレステルを評価しようと、私の気持ちは変わりません。サエル・アレステルは私という人間を構成する一つの要素にすぎないのです。私はアナイス・フィンドレイで、すでにクライド様と結婚しております」

「だから言ったじゃないか。夫婦としての契りを交わしていない君たちの婚姻など、いつでも無効にできるんだと。もう駄々をこねるのはやめて、素直に私のもとに来たまえ」

「は? これが駄々をこねているように見えます?」

「違うのかね? 素直に私と結婚すれば、王弟の妻という輝かしい立場に身を置くことができるのはもちろん、存分に執筆活動に専念できる環境を整えてあげられる。もちろん、マウノのこともしっかりと手を打とう。君にとっては申し分ないくらいの話だと思うのだが」

「すみません、王弟の妻という立場にまったくと言っていいほど魅力を感じません。執筆活動に関しても、クライド様から全面的な理解と支持を得ていますので今のところ何の不自由も感じておりません。それに」



 そこで一呼吸置いた私は、わざとらしくにっこりと微笑んだ。



 そしてクライド様の方に一歩近づいて、ここぞとばかりにその左腕に自分の腕を絡めてみせる。クライド様はちょっと慌てていたけれど、その腕の温かさに私はなんだかほっとして、呼吸が楽になった気さえした。



「先ほどから、夫婦の契りを交わしていないとか何とかずいぶんな言われようなんですが。私たちが真に愛し合っていないなどとお思いなのですか? 『悲恋の女王』の目も、だいぶ節穴のようでがっかりです」

「なんだと?」

「私たちが心から愛し合っていると、見てわかりませんか? 私はクライド様を心からお慕いしておりますし、私の夫はこれまでも、そしてこの先も未来永劫クライド様以外あり得ません」 



 真っすぐに、平然と言ってのける。


 私の言葉を一言も聞き逃さないよう、息を潜めていたクライド様の緊張がふっと解けるのがわかった。その代わり、歓喜に打ち震えている気配もするけど今はちょっと放っておこう。



 挑発的ともいえる私の愛の宣言を聞いた公爵は、怫然とした表情のまま咎めるような口調で言い返す。



「そんなことを言っていていいのかね? マウノをなんとかしてほしくて、わざわざここまで来たんだろう? 私の協力が得られなければ、困るのは君たちの方だと思うのだが?」

「それはそうなんですけど、まさかそれを口実にしてここまで気色悪いうえに横暴なことを言われるなんて思わないじゃないですか。ご子息もだいぶ身勝手で独善的で厚顔無恥な方だと思っておりましたが、さすがは公爵。一見上品で親しみやすい、素敵な方だと思いましたが完全に裏切られました。いや驚きです」

「……君は、自分の言っていることがどういう意味なのか、わかっているのかね?」

「これでも作家の端くれ、自分の遣う言葉の意味がわからないわけないでしょう?」



 どこまでも公爵をあおり続ける私に、フェリクス様はあからさまな動揺を見せて蒼ざめている。



 でもね、こうなったら私、止められないし止まらないのよね。ふふ。




「いいのかね? 君は私を侮辱し怒らせたうえ、私の息子の暴挙を止める手段を失うのだよ?」

「公爵を侮辱したなどと恐れ多い。私はただ、公爵からの突然の求婚を丁重にお断りしただけですし、その程度のことで王弟ともあろうお方がお怒りになるはずがありません。ご子息の独りよがりで不遜な振る舞いに関して公爵の協力を得ることが叶わないのは残念ですが、こうなっては致し方ありません」



 圧倒的な怒りのこもった眼差しを向ける公爵を前に私は一歩も引くことはなく、そして見事に交渉は決裂した。






*****






「クライド様、すみません」



 へそを曲げたバルテルス公爵をなだめるために残ったフェリクス様を置いて、私たちはさっさと宿へと向かう馬車に乗り込んだ。



 それなのに、いつものように隣に座っても、クライド様は硬い表情のまま一言もしゃべらない。



「公爵になんとかしてもらおうとせっかくここまで来たのに、結局喧嘩を売るようなことになってしまってごめんなさい。でも私、勝手に自分好みのサエル像を作り上げて愛だのなんだの言ってくる公爵がどうしても気持ち悪くて。あの人は私自身のことなんかちっとも見ようとしないくせに、どうして――」

「アナイス」

「は、はい」

「さっきの君の言葉は、その、公爵への怒りに任せて言った出鱈目なのか?」

「さっきの言葉? どれですか?」

「その、俺のことを心から慕っているとか、俺たちは愛し合っているとか、自分の夫は俺以外あり得ないとか……」



 クライド様は硬い表情のまま、視線を逸らして私の方を見ようともしない。でも言いながら、ちょっと頬を赤らめている。



「え、出鱈目じゃないですよ」

「……それって」

「私はクライド様を心からお慕いしておりますし、私の夫は未来永劫クライド様以外あり得ません。クライド様が私を愛してくださってるなら、私たちは愛し合っていると言っても間違いじゃないでしょう?」



 言い終わると同時に、クライド様の温かな両腕が私を包み込んでいた。



「アナイス、ほんとに……?」

「お待たせしてすみません。ほんとはもっと、ずっと前から好きでした」

「え!? いつから!?」

「いつでしょう……? はっきりとはわかりませんが、この前喧嘩したときにはもうだいぶ好きになってたと思います。すごく寂しかったんですからね。でも、もっと前からのような気も……」



 一人でごにょごにょ言いながら考えていると、突然クライド様が私の左手をそっと握った。


 不思議に思って目を向けると、やけに熱烈な甘い視線で私を見つめながら手の甲に軽く口づける。



「え? ちょ、クライド様」

「なんだ?」

「その、なんか恥ずかしいです」

「何が?」

「え、だからそういうの……」

「手の甲に口づけるのが?」

「は、はい。ちょっと刺激が強すぎます」

「今夜、もっとすごいことをするのに?」



 その言葉に固まってしまった私は、気づいたらうれしさと愛しさで蕩けそうな表情のクライド様にキスされていた。






 



 

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